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ヒーローの形式と実質

卒論その他で予定が忙しくなっていることもありますが、PCに向かってみるとあまり長い話を書く気が起こりません。
しかし、圧縮気味になるかも知れませんが、思ったことは書いておきます。

まずは言っておきます。今回は『仮面ライダー剣(ブレイド)('04放送)の話です。ネタバレもあります。
先に、先日紹介したひこ・田中氏の『ふしぎなふしぎな子どもの物語』から引用しましょう(その後はどうしても批判的になってしまいますが…)。

 主人公の剣崎一真(ブレイド)と、その先輩の橘朔夜(たちばな さくや)(ギャレン)は、人類基盤史研究所(BOARD)の一職員で、怪人を倒すのは仕事です。だから、BOARDが危機を迎えたとき、口座に給料が振り込まれていなくて困っている剣崎の姿が描かれたりします。
 一話で印象的なシーンがあります。アンデッドを封印して、「会社」に戻ったとき、橘が剣崎に、何のために戦っているのかと問いかけます。すると剣崎は「仕事って言っちゃったら身も蓋もないんですけど、やっぱりあれですかね、地球と人類を守るため……?」と照れ笑いを浮かべます。
 ここにはもう、正義のヒーローの姿はありません。
 物語が進展すると、剣崎たちが属している組織そのものがアンデッド騒ぎに関わっていることがわかります。ライダーたちがアンデッドを封印してきた行為も、最初から織り込み済みだったのです。
 彼らの封印を逃れ、最後に残ったアンデッドが最強ということになり、ゲームが終わったとき、世界中に再びアンデッドが溢れ、人間を襲うというのです。つまり、一年にわたって、子どもたちが応援してきたライダーたちの活躍こそが、世界の滅びへとカウントダウンだったのです。
 最終話、全てを理解した剣崎は、自らがアンデッドとなり、友人となったアンデッドとの戦いを避けて、消えていきます。そうすれば、アンデッドは二体となり、世界が救われるからです。
 かつて英雄的行為であったことを「仕事」に還元し、戦うべき相手であるアンデッドと、最後は戦わないまま終わってしまう物語。これは、『仮面ライダー』の、いやテレビヒーローの全否定です。
 (ひこ・田中『ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか?』、光文社新書、2011、pp.118-119)


物語の内容に照らし合わせて多少おかしいところも見られますが、まず気になるのは、第一話のことと最終回のこととを同列に語っていて、その間の時間を考慮していないことです。
少なくとも、ライダーが「仕事」であることとそれに関する第一話の剣崎の態度に関しては、ヒーローとしての自覚の足りない未熟な主人公の態度であり、これからヒーローとしての自覚に目覚めていくのだと考えれば、何もおかしなことはない、オーソドックスなものです(『仮面ライダー』に限っては、それまでそのような設定はありませんでしたが)。
むしろ、そのような過程を、ヒーローとしての「成長」と言うのではないでしょうか。
実際、そのような展開――BOARDから給料が振り込まれなくても戦うんだ、という――もありました。
問題は少し別のところにあります。

橘という「先輩」がいることから、「より熟練した先輩と未熟な主人公」という取り合わせなのだろうと予想されます。もっとも、第一話の最後で早速、橘が裏切ってアンデッドにBOARD本部を襲撃させた疑惑が発生しますが、たとえ橘が悪に転ぶのであれ、「反面教師」として、とにかく剣崎の成長に当たってモデルとなることが期待されたはずです。
ところが、「メンタル面の理由で変身できなくなる」「敵に利用される」「恋人の死を経て自らの弱さを乗り越え、再び戦う」といった成長イベントを経験したのは、橘の方でした(だからこそ、ネット上では橘さんはよくネタにされます)。
「より成熟した先輩」と思われた人物が実は頼りなかったわけで、「成長」という観点からならば、そこを問題にすることは可能(むしろ、問題にすべき)でしょう。

後半部分に関しては、ストーリー上で田中氏の触れていない重大なポイントがあります。
確かに、アンデッド同士の「バトルファイト」においては、負けたアンデッドが封印され、最後に残る一体のアンデッドを決める仕組みですが、カードに封印されたアンデッドを使用する「ライダーシステム」は、本来のバトルファイトには存在しなかったということです。それゆえ、ライダーは最後の一体まで「全てのアンデッドを封印する」ことが可能です。
現に、本編放送の中盤で公開された映画『MISSING ACE』は、剣崎が「最後のアンデッド」となったジョーカー・相川始(あいかわ はじめ、田中氏の言っている「友人となったアンデッド」です)をも封印した、その4年後の物語です。

しかし、本編は結局、田中氏の述べている通り、それとは別の結末を迎えます(ライダーシリーズでは、映画と本編はパラレルであることの方が一般的です)。
なぜか? それはジョーカーもまた人間・相川始として生活していて、帰りを待つ人達がいるからです。
そもそも、相川始も4人の仮面ライダーの一人・仮面ライダーカリスとして一年間戦ってきたのでした。「子どもたち」の視点からしても、ジョーカー=相川は必ずしも「戦うべき相手であるアンデッド」には留まらない存在でしたが、田中氏の説明からはその点が完全に抜け落ちています。

さらに言えば、アンデッドのバトルファイトに関する設定が「バトルロワイヤル」物である時点で、物語の目指すポイントは「ルール通りに戦って勝つこと」ではなく「ゲームマスターを出し抜くこと」へと傾きがちなものですが、「ライダー」シリーズにこの種の設定を持ち込んだ原点は、『剣』より2年前の『仮面ライダー龍騎』に求めるべきでしょう。

こうした『剣』のストーリーも、以前紹介したプロデューサー・白倉伸一郎氏の考えを見れば、ある程度理解できます。
『ヒーローと正義』によれば、ヒーローは出生によってヒーローであり、怪人は(ことさらに「自分は人間の味方である」ことを示さない限り)存在するだけで悪であって、「悪に虐げられる人々をヒーローが助ける」といったことは二次的なものでした。
このようなヒーローと怪人=悪の規定をヒーロー物の「形式」、具体的な悪や、それに傷付けられている、ヒーローの守るべき人々の姿を「実質」と呼ぶことも可能でしょう。

このように考えた場合、「形式」のみによってヒーローであるヒーローには、それこそヒーローとしての自覚など必要ありません。そして、ヒーローとしての自覚を持つ、つまり「実質」を持つようになる過程こそヒーローとしての「成長」と呼び得るものですが、そこで現れた「実質」が本来の「形式」と矛盾するものであったら? というのが、『剣』の問題です。つまり、バトルファイトのシステム上は封印すべき相手であるアンデッドが人間的には「守るべき存在」であった、ということです。
確かに、昔のような形式と実質が問題なく一致したヒーロー像は否定されます。しかしそれは、ヒーローたるあり方を真剣に追求した先にしか、見えてこないものです。

もっとも、上記のような橘の扱いを考え合わせた時、これは剣崎がヒーローとして「成長した」結果なのか、それとも彼は「根っからのヒーローだった」のかと問うと、印象的には甚だ微妙なものがありますが。


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                           (芸術学4年T.Y.)

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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