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正義と恩寵――『仮面ライダー龍騎』と『魔法少女まどか☆マギカ』(続編)

(まず、昨日の『雨の日のアイリス』に関して、少し言い忘れていたこと)

・アンヴレラ博士は「ロボット心理学」についても研究しているという記述があります。
これだけ人間的な感情を持つロボットが作られ、その心理についても研究されている中で、なおロボットは「モノ扱い」で、売買・解体処分されているわけですが、それに対する批判とか「ロボット権擁護(拡張)運動」とか、ないんでしょうか。
まあ、作中で描かれていないだけかも知れませんが。

 ~~~

長くまとまった記事を書いている余裕がないだけに、思い出したように以前の話の続き、ということになりがちですが…

『仮面ライダー龍騎』('02年)の話をしましょうか。ネタバレありで。

設定を大まかに述べますと、まず鏡の中の世界・「ミラーワールド」モンスターが生息しており、人間を襲います。
「カードデッキ」を持った者だけがモンスターの姿を見、そして「仮面ライダー」に変身して、ミラーワールドに出入りすることができるのです。また、仮面ライダーは特定のモンスターと「契約」することで力を得ます(未契約のデッキでは弱いまま)。
しかし、この物語の主題は実はモンスターとの戦いではなく、「ライダー同士の戦い」です。13人の仮面ライダーの内(※)、勝ち残った最後の一人だけは「どんな願いも叶えられる」という約束になっているからです。

※ 当初は設定だけで、必ずしも13人全員を出すつもりではなかったとのことですが、結局、劇場版とTVスペシャルを合わせると13人が登場しました。TVシリーズ本編に登場したのは10人だけですが、他に番外の擬似ライダーも登場することになりました。

宇野常寛氏の『龍騎』に関する論を少々引いてみましょう。

 そこには基本的に「悪」は存在しない。存在するのは13通りの、いやそれ以上の(n通りの)「正義」だ。この呼称が気に入らないなら「欲望」でも構わない。同作において(従来の)「正義」は「欲望」の下位概念だ。13人の仮面ライダーは、それぞれが信じるもの/欲望するものを賭けてゲームにコミットし、殺し合う。そう、同作において、ヒーローを駆動すべき正義とはもはや個人の欲望のことに過ぎない。
 (宇野常寛『リトル・ピープルの時代』、幻冬舎、2011、pp.263-264)


これに対して、まず、トリヴィアルなのは承知で言いますが、まず『龍騎』最終回において、このライダーバトルを記録した大久保編集長(演:津田寛治)が「この戦いに正義はない。そこにあるのは、純粋な願いだけである。その是非を問える者は……」と言っている以上、作中での用語法に従うなら、それぞれの「欲望」=「正義」とは言えません。
さらに、この節のタイトルは「『正義』は存在しない」ですが、もう少し進んで、「この戦いに正義はない」からと言って、「どこにも正義はない」と言えるのか、と問うてみるのは、いかがでしょうか。


さて、こうした『龍騎』の設定と『魔法少女まどか☆マギカ』の共通性については以前触れましたし、制作者側の事情から言っても影響関係があるという話も引用しました。
個人的には――魔法少女の使命は魔女と戦うこと、という触れ込みで始まったのが――第5話で杏子が登場して、魔法少女同士の戦いになった辺りでその辺を強く感じましたね。

この話題に関して、さらに以前、「まどか☆マギカ――正義の地平から」で論じたことを、説明不足だったかと思う点も合わせて論じれば、こうなります。

● 正義とは「皆のため」を図ることである(マイケル・サンデルが「公平な分配」をとりわけ問題にしていたのもそれゆえにです)。
● しかし、「正義を願い、遂行する存在者」はやはり一個人にすぎず、その願いは他の者の願いと対立するのではないか。それゆえ正義は不可能ではないか――これが『龍騎』のテーゼである。
(これは、ヒーロー番組における「正義のヒーロー」が守るべき「みんな」と「敵」との間に境界線を引き、敵を排斥する――ドラマツルギーとしてそうならざるを得ない――ことへの根本的な問いかけでもあります)
● それでも正義が可能であるとしたら、それは「個を超えたもの」を受け取っているからに他ならない。そのような「恩寵」を与える者は「聖人」と呼ばれ得るだろう。
● しかし、ここでは与える側と与えられる側は平等ではありえないのだから、これはもはや正義には属さない。まず「与えられるもの」があって、その上で正義(公平な分配)も可能になる。恩寵は正義に先立つ前提である。
● 『まどか☆マギカ』最終話でまどかが、魔法少女のあり方を規定すると同時に悲劇を強いる条理に従い、ほむらが積み立てた結果を受け取ることで世界のあり方を改変するのは、まさにそうした状況を描いている。

こうした「聖人」の領域にあるものを『龍騎』に求めるなら、それは最終話のヒロイン・神崎優依(演:杉山彩乃)〔とその兄・神崎士郎(演・菊地謙三郎)〕に他ならないでしょう。
実は、優依は幼い頃に死んでいて、かりそめの命で今まで生きていましたが、20歳の誕生日とともにその命も尽きる運命でした。士郎がライダーバトルを主催していたのは、優依に「新しい命」を与えるためでした(その士郎自身もすでに死んでおり、鏡の中に生きる幽霊のような存在です)。
そもそもミラーワールドに住まうモンスター自体、虐待されていた幼い神崎兄妹が「自分達を守ってくれるもの」として空想して描いたものでした。

しかし、優依はそれを拒絶して自ら消滅を選び、絶望した士郎も消えてしまいます。
すべての戦いが終わり、生き残って「意識不明の恋人を目覚めさせる」という願いを叶えた仮面ライダーナイト・秋山連も戦いのダメージから死んだ後、、今の士郎と優依、さらには幼い士郎と優依が、鏡に囲まれた(この世ならざる)空間で「新しい世界」を描き、かくしてライダーバトルで死んだ皆も生きている平和な世界が訪れます。ただし、その世界では優依は、幼くして死んだ少女なのですが…(叔母の経営する喫茶店に幼い優依の写真があることがそれを暗示します)
まどかの類似は一見して明らかでしょう。
ふたたび宇野氏の批評を引けば、

 このとき、同作はライダーシステムを司る存在として神崎兄妹を設定することで、貨幣と情報のネットワーク=システムを人格化している。そのため、システム=神崎兄妹が真司=龍騎の自己犠牲的な死に動揺してゲームを放棄するという結末が可能になっている。その意味において、本作の本放送時の結末は「壁」=システムを擬似人格的なものとして捉えるビッグ・ブラザーの時代に回帰することで、無限のループ構造からの脱却を試みたリトル・ピープルの時代の暴力の問題を回避した、と言えるだろう。
 (同書、p.272)


いくつかの用語はこの本のそこまでの論述を読んでいないと分からないかと思いますが……まあ、この論はおおむね正当であって、またこれは「最後には平和が訪れる」というヒーロー番組の文法までは破壊されなかった、ということでもあります。
そしてまたここは、最後に「魔獣」が現れ、魔法少女達の戦いが続く形になった『まどか☆マギカ』との決定的な分かれ目でもあります(悲劇的な戦いを強いる「ゲーム」を取り除くことが可能なものと考えるか、この世界そのものの根底と考えるか)。

とは言え、ゲームマスターはあくまで士郎であり、優依は自分がゲームの目的であることもずっと知りませんでした。また「真司=龍騎の自己犠牲的な死に動揺して」という記述は不適切なように思われます。
そもそも、士郎と言えど、12人のライダーを犠牲にするライダーバトルを経て、ようやく「新しい命」一つを得ることしかできなかったのが、最終話では過去に死んだ皆が蘇っています。

「新しい命なんかなくっても、絵を描いていた時みたいに、ただ願えば…」

と言うのが、新たに世界を描くことを兄に呼びかける優依の台詞でした。
「元々何とでもできるシステム側がゲームを放棄した」というよりは、優依は自らの存在を代償にして奇跡を起こした、と読める内容です。


まあ、はっきり言ってしまえば、完成度では比較になりません。
『龍騎』がやはり、基本的には「正義なきライダーバトル」を描くことに徹していて、最後の「平和な世界」は“なぜそれが可能になったのか”の説明もほとんどない付け足し的なエピローグである(要するに、それまでの作品の枠組みからは優依の起こした「奇跡」を語れない)のに対して、『まどか☆マギカ』は最後のまどかの願いによる逆転に至るべくして積み上げられた物語です。
一年の長丁場で色々あり、そもそもループ物となったこと自体、劇場版で先に最終回をやってしまったり特別番組を作ったりと言った制作事情から「はからずも」なってしまったのではないかと思われる『龍騎』と、虚淵玄氏ただ一人の脚本で制作のずっと前から全12話のストーリーが完成していた『まどか☆マギカ』という背景の違いもあります。
(だから、両作品の類似がオマージュによるものならば、虚淵氏は、『龍騎』においては付け足しのようだったエピローグに至る流れを考え直すことを狙った、とも取れるわけで、興味深いことです)

ただ、さらにここには「物語化」という問題系を巡るものが入ってくるのではないかと思われるのですが…その辺は次の機会にします。

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                           (芸術学4年T.Y.)

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