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あらためて『リトル・ピープルの時代』

かなり回復していますが、頭痛が少しあることもあり、断片的な話に留めます。

『仮面ライダー』論に当たって何度か引用した(1 2)宇野常寛氏の近著『リトル・ピープルの時代』は、3.11のインパクトの下に上梓された本とのことで、まず「序章」で福島の原発事故に関連して以下のように書いています。

 私たちの世界そのものを揺るがし得る大きな、とてもつもなく大きな存在でありながら、世界の<外>ではなく<内>に存在するもの。そして人格をもたず、物語を語らず、理解できないもの。そんな存在が、露呈したことが、この国の人々を戸惑わせているように思える。

 言い換えればそれは「大きなもの」を捉える想像力の不足ではないだろうか。私たちの生を規定する世界の構造のようなものをイメージする力が、変化する現実に追いついていないのだ。そのことが、あの日以降、この国の人々を苛立たせているように思えてならない。
 (宇野常寛『リトル・ピープルの時代』、幻冬舎、2011、pp.7-8)


このような見解には、AMAZONのカスタマーレビューでもすでに違和感を表明する向きがありました。はたして「人々を苛立たせている」のは本当に「想像力の不足」なのか、と。

つい先ほどTVで「現代の問題を予言したSF作家・小松左京の想像力」という内容の放送をやっていまして、これまた違和感を感じさせました。
今になって「過去に書かれたもの」に「現代の問題」を読み込むことは可能ですが、それを「予言」と言って良いのか…と。

ただ、結局の問題は、「そもそも“想像力”なるものが何であり、いかにして働くことを期待されているのか」という(哲学史を紐解いても容易ならざる)問題ではないでしょうか。
こと作家の場合、現実ではない虚構(要するに嘘)を考え出す能力も「想像力」と呼ばれます。しかし上記の例においては、何か現実の内にあるもの、「真なるもの」を捉える能力のことが言われているのでしょう。
作家あるいは芸術家がそのような能力を持つという芸術観が間違っているとは思いません。しかしいずれにせよ、それを嘘を考え出す能力と区別しておく必要はあるでしょう。この時、「想像力」という言葉を使い続けるのは混乱の元になりはしないか、と。


さて、宇野氏はまず、村上春樹の「エルサレム演説」('09年)における、「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」という有名なフレーズを取り上げます。村上春樹はその後、「私たち」=「卵」、「システム」=「壁」としているのですが、宇野氏が問題にするのはその点です。

(……)春樹がかつて抵抗してきたのは、壁と卵を明確に切り分け、自分たちこそが卵の側だと無邪気に信じてしまう想像力の欠如ではなかったか。そして、少なくとも私は、自分が卵の側だと無邪気に信じることはできない。
 (同書、p.13)


宇野氏が主張しているのはもちろん、システム批判が不要だということではなく、「世界に<外部>はなく」、したがって「システム」は「私たち」に外から、外敵のように襲ってくるものではないし、私たちはシステムの外からそれにぶつかる存在でもないということです。
それを表すのに用いられている代表的な用語が(「<外部>はない」とか、「超越」と「内在」とか、いくつかありますが)、村上春樹『1Q84』に登場する「ビッグ・ブラザー」と「リトル・ピープル」という言葉です。

「ビッグ・ブラザー」とはジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』に登場する独裁者、正確にはカリスマ的な独裁者の擬似人格的なイメージ(キャラクター)のことだ。それはスターリニズムの象徴であり、国民国家を支える「大きな物語」を生む社会構造の比喩に他ならない。
 (同書、pp.51-52)


春樹は「もうビッグ・ブラザーの出る幕はない」、つまりそのような「人格」のモチーフで捉えられ、私たちに対し外(上)から押さえつけてくるような権力像がもはや有効ではないことをいち早く捉えながら、私たちの誰もが「リトル・ピープル」であり、つまりは悪であり得る時代=現代を捉えるには(今のところ)至っていないのではないか、というのが宇野氏の主張であり、それを補う「想像力」の例として取り上げられるがヒーロー、とりわけ仮面ライダーです。
意外な取り合わせのようですが、宇野氏はその理由も述べてはいます。

これは立場的には、「世界の外はない」という点で私に近いと感じましたし、「外圧ではない抑圧に対する「抵抗」」の最後で取り上げた、私たちが権力の一部でありながら、「権力そのものが(自己への)抵抗をも含む」という権力観と通じるものを見ることもできるでしょう。
だからというわけでも必ずしもありませんが、私としては、全体の論に関してはそれほどコメントすることはありません。
各論については、また何か思い当たれば書きます。


リトル・ピープルの時代リトル・ピープルの時代
(2011/07/28)
宇野 常寛

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                           (芸術学4年T.Y.)

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