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いらないもの

美術・オタク・大衆ではかなり強引に話をまとめてしまいました。
そもそも「100年に一度の経済危機」でもそうですけど、「現代は大きな時代の転機である」という主張はよくあります。また「昔に比べると今の人は○○になった」という言い回しは定番ですね。しかし「昔も今も○○な人はいた。人それぞれなだけで、大して変わってないでしょ」と言われると、検証するのは簡単ではない(この反論は反論で、やはり検証が難しくどんな場合も通用し得てしまうのですが)。さらに、ある動きが確認されたとしても、それが「時代が根本から変わっている」ことを示しているのかと言うと、話は別です。
こういう決着の容易でない議論に関して、むしろ落とし所もなくグルグル回りたかったという思いもあるんですが、ついうまいことを言って話をまとめてしまうんですね。「本当に変わったのか?」という点は多少は慎重を期したんですが。

そもそも件の丹生谷先生の話は、ヘーゲルが発端でした。
丹生谷先生の解説するところでは、19世紀初頭の哲学者ヘーゲルは「今までは世界について知るための術(=科学)の及ばないことは想像するしかなかった、その役割を芸術が果たしていた。けれども今や世界についてはすっかり分かったので、芸術はその役目を終えた」と言ったそうです。そしてそれに関して「芸術について、先生はどう思いますか?」と問われた先生はいらないでしょ。好きではあるけど」と答えたのでした。その上で、誰も芸術に興味なんか持っていない、といった話から件の話も出て来た訳です。

芸術(少なくともファイン・アート)がなくても困らないと思われている、というのは正直、同意せざるを得ないんですが、一言付け加えておくなら、世の中には他にも「いらない(と見なされている)」ものがたくさんあるということです。
医学部の先生であるうちの母に言わせれば、「例えば医学部の基礎教育」となります。
科学が生活を便利にした、と言いますけど、それは科学“技術”です。研究室で行われている基礎科学の中で、実際に役立つ応用に結び付くものはごく一部です。金を生む技術に結び付きそうにない研究には研究費も出なくなって、冷や飯を食わされてるなんて理系の先生の話はあっちこっちに転がってますからね。
一般の人の無理解という点にしても、美術館で「きれいな絵、うまいわねー」と言ってるオバさんと、「素粒子物理学だって! すご~い」と言うのとに大した差があるとも思えません。
これも当然と言えば当然で、もし本当にヘーゲルの考えたように「全て分かったから、分からないことを想像する術(=芸術)は役目を終えた」なら、もうこれ以上新しく分かることもないのだから「知る術(=科学)」の方も同時に役目を終えるはずです。実際には、ヘーゲルの思ったより分からないことは多かったようですが、それが必要だと切に思われているかと言うと…

そんな中で芸大なんかにいると、必要もないものに囲まれている贅沢な環境でダメ人間になるか、それとも「いらないもの」をうまく利用して生きられるたくましい人間になるか? それは分かりません。
                           (芸術学2年 T.Y.)

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テーマ : 芸大・美大・その他美術系学校 - ジャンル : 学校・教育

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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