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ウルトラマン随想

このブログでも何度か取り上げてきた近著において、宇野氏は巨大怪獣あるいはウルトラマンのようなヒーローを「事実上『軍隊』の比喩として機能していた」と述べています(『リトル・ピープルの時代』、幻冬舎、2011、p.163)。
さて、怪獣の歴史は『ゴジラ』まで遡ります。

 広く知られているように同作に登場する怪獣ゴジラはアメリカの核実験によって怪獣に変異した古代生物であり、1954年の公開当時、東京を焼け野原に変えるゴジラの襲撃は空襲の再来を想起させるイメージとして機能した。円谷的な想像力とはその来歴からも明らかなように、少なくとも60年代までは国家や軍隊といった大文字の「政治」性と密接な関係をもち、そこで描かれる巨大なもの(怪獣など)による都市破壊は、国家による暴力――つまり戦争による社会破壊が重ね合わせれてきた。
 (同書、p.167)


ここから宇野氏は、“擬人化された権力のイメージ”たる「ビッグ・ブラザー」(あらためて『リトル・ピープルの時代』参照)とウルトラマンを重ね合わせ、「リトル・ピープル」たる仮面ライダーと対比していくのですが…
その前に引用されているのは大江健三郎氏による(放射能と被曝の問題に関する)怪獣もの批判や、「防衛軍の隊員が胸につけてるマークは流星、というのも、星条旗の旗の一つを連想させるし、ウルトラセブンという名前もアメリカ第七艦隊を想起させる」という呉智英氏の考察です。
しかし、ゴジラが「核実験(=軍事的な力)によって出現した」(厳密に言えば、初代ゴジラは核実験で「変異した」とは言われていないはずですが)ことと、「ゴジラそのものが軍事的な力である」ということとは別のことです。

これらの考察も正しいのでしょう。ただ、それが怪獣の系譜学の全てかどうか、ということですね。

江戸時代末、安政の大地震のあった時、海の彼方から「鯰男」が現れて暴れるという《鯰絵》が流行しました(「男」と付いていますが、その姿はまさに大ナマズだったりします)。

(今、手元に見付かりませんが、以下の文献などを参照しました)
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(2002/06)
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ここから現代の怪獣までの連続性を考えることについては色々議論はあるでしょうが、しかし鯰男にゴジラの先祖を見るのは不当でしょうか。

宇野氏の論に戻ると、『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』は、怪獣=敵国、防衛隊=日本、ウルトラマン=アメリカ軍という形で、まさしくサンフランシスコ体制を反映していたとされるのですが、しかし、

 誤解しないでほしいが、これは決して『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』という番組が、たとえばかつての戦意高揚映画のようなエジテーション性が前面化した作品であることを意味しない。むしろ逆でこの2作の脚本にはいずれもサンフランシスコ体制的な、つまり戦後日本がその根底から抱えた「ねじれ」に通じる問いに正面から突き当たり、そして迷い、立ち往生するその課程を描いているエピソードが頻出している。(……)
 たとえば前述の切通〔理作〕は、『ウルトラマン』において強く主張されるコスモポリタニズムに沖縄人としてアイデンティティの問題に対峙し続けてきた金城〔哲夫〕の理想主義を、「故郷は地球」「空の贈り物」といったアイロニカルなエピソードからは脚本を担当した佐々木守の戦後民主主義へのアイロニカルな態度を指摘する。
 (同書、pp.168-170)


それはそうなのでしょう。しかし、そもそもそのような表現が可能になったのも、まず「怪獣は悪ではない」という考えがあったからではないでしょうか。
白倉伸一郎氏も「友好珍獣ピグモン」などの例を挙げて説明するように、怪獣は暴れて人間に危害を加えなければ「人間の味方」と見なされ、称揚されます(そこが怪人との違いです)。
鯰男が安政の大地震から生まれたように、怪獣には天災の象徴的イメージという性格があり、だからこそそれが教訓的な形を取った場合には「人間への警鐘」という意味も持ち得た、と思われるのです。
ゴジラも「米軍」「核」の猛威そのものというよりは、核実験に対する警鐘という性格がなかったでしょうか。

 ―――

私は、近年のウルトラマンはほとんど観ていません(ちょっと観てみたこともありましたが、続ける気になりませんでした)。
理由は色々で、上記の話とは直接関わりのない面も大きいのですが、ただ、たとえば『ウルトラマンコスモス』のように、怪獣を「保護の対象」とされたりすると…保護されるということは人間の管理下にあるということで、猛威も何もありません。そんな程度のものなら、着ぐるみの怪獣よりも実在の動物ドキュメントの方が見ごたえがあるだろう、と思ってしまいますね。

さらに、現在放映中の『ウルトラマン列伝』(過去の『ウルトラ』シリーズの傑作エピソードを集めて放映しているシリーズ)で『ウルトラマンゼロ THE MOVIE』を観ていて感じたのですが…
背景もCGで埋め尽くされたこの作品を、実写でやっている意味がどの程度あるのだろうか、と。

そこで思い出すのが巨大ロボットアニメのことです。
宇野氏は「巨大ロボット」をウルトラマンと同じ「ビッグ・ブラザー」的ヒーローとして位置付け、『新世紀エヴァンゲリオン』が「『ロボット』という回路を終わらせた」(同書、p.233)と述べますが、ロボットものが本当に終わりかどうかは問う余地のあるところでしょう。まあそれを言うなら、『ウルトラマン』シリーズも今なお制作されてはいるわけで、難しいところですが。

ただ個人的に思うのは、ロボットはデザインもかなり自在で、変形したりもできます。
適当に思い出すところを挙げると、これ↓(私は原作漫画を読んだのみですが)とか、

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これとか↓

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そこでウルトラマンを観ると、のっぺりした外見のウルトラマン(最近はやや装飾的なのもいますが、それでも)が実写で取っ組み合っているのは、表現の貧しさに思えてしまうんですね。
その分を補う『ウルトラマン』ならではの表現の強みというものを…まあ感じなかったから、観続ける気が起こらなかったわけです。
                           (芸術学4年T.Y.)

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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