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天皇問題とその裏の偏見

今回もまずは引用文からお読みください。

 2000年から見ると、1900年はずいぶんと歴史の彼方にある。
 その100年を振り返ったとき、世界の成り立ちとして大きな違いは「王様のいる国」つまり王国がすごく減ったところにある。私は世界地図を見ながらそうおもった。
 (……)
 この王国の増減について、国名を並べて雑誌に載せたことがある。
 そのときに、21世紀になっても王のいる国として、日本を入れた。
 編集部からあとになって連絡がきて、日本は削るけれども、それでいいか、と聞いてきた。日本に王はいない、ということらしい。
 少し話をしてみたが、まず通じなさそうだった。何かに配慮してよいうことではなく、「日本には天皇陛下はおられるが、王様はいない」と心から信じている模様だった。議論の余地なぞなかった。話してもしかたないので、了とした。
 (……)
 かつて「タイ国の人に、日本人だとわかって親しげに握手を求められ“タイと日本はアジアに残ったたった二つの王国ですから、お互い仲良くしましょう”と言われ、日本は王国じゃないんだけどな、と苦笑せざるを得なかった」という話を聞いたことがある。ここに見事に日本の意識の分裂が見える(中東はアジア同胞とみなせない、またアジア的王国だと思えない、という意識もここには含まれているが、それはまた別の話)。
 日本人にとって、日本は王国ではない。日本は王国だから、と外国人に言われると、何を言ってるんだ、日本のことを何もわかっていないと思う。
 でも、外国人の目から見れば、日本は王国であり、日本で一番えらいのは天皇ということになっている。
 (堀井憲一郎『ねじれの国、日本』、新潮社、2011、pp.40-46)


引用元の著作はこちら↓。

ねじれの国、日本 (新潮新書)ねじれの国、日本 (新潮新書)
(2011/10)
堀井 憲一郎

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こちらで調査して検証することはできませんが、こういう意識を持っている人は多いのではないでしょうか。
堀井氏はこの意識の理由として、

 急に京都の人に戻って陛下について喋ってみるなら「そんな、王様なんて、荒々しいものと違うて、もっとこう、神々しい人というか、もったいない存在やがな」というやくたいのないものになるだろう。
 古代においても、豪族のあいだでも、その存在はすでに特別のもので、たとえばその身体に直接触れることは憚られる、そういう存在だった、と書かれたものを読んだことがある。(……)
 天皇は、とにかく、神様に近いところにおられるが、でも別段、神様そのものではない、ということになる。かといって、神主さんの大親玉や総元締かというと、これも違う。神の言葉を聞くシャーマンの存在が、根本のところでやや近いのではないかとおもう(……)
 (同書、pp.43-44)


といった、日本人固有の天皇に対する意識を挙げます。

しかし、「王様」が「荒々しいもの」であり、「その身体に直接触れることは憚られる」存在や「神様に近いところにおられる」存在、「神の言葉を聞くシャーマン」が「王」ではないと、誰が決めたのでしょうか。そんなことが言えるほど、我々は「王」について知っているのでしょうか。
堀井氏が著作のタイトルにもしている「ねじれ」とは、このような外に対してと内に対しての感覚の「ねじれ」で、日本は外に対してはつねに「仮気分」で、内側ではそれとは違う意識をもった「内向きの国」であると言います(同書、p.65-)。
しかし、「日本は王国ではない」という否定的な形の考えは、実は日本以外の「王国」を前提しなければ、成り立ちません。
これは「内向きの意識」というだけで済む問題なのでしょうか。

そもそも、天皇の「皇」という字をよく見てみましょう。



下に「王」があります。
手持ちの漢和辞典によると、字源は「自(始め)と王との合字、最古の王の意」とあります(他の説があるという異論は甘んじてお受けしましょう)。
英語のkingを「王」と訳したのは元は中国かも知れませんが(この点、私はまだ確認しておりません)、日本人自身が「天皇」と「王」に同義字を使っているのです。
また、堀井氏は「1900年には世界は王で満ちていた」と言う時、「王国」と「帝国」を区別していません。この場合の帝国とは「帝国主義」と言う場合の「覇権国家」といった意味はなく、どちらもあくまで「君主を抱く国」ということです。
そして明治期に「大日本帝国」と名乗ったのも、日本人自身です。

つまり、「日本は王国ではない」と強弁するようになったのは、「古代の豪族」の意識などに遡る必要はなく、戦後教育の影響が大きいのではないか、ということです。
堀井氏自身も次の章で書いています。

(……)おそらく昭和三十年代から四十年代、五十年代ころまでは、同じ教育が行われていたとおもう
 戦前は暗く、戦後は明るい。
 言葉にすれば、たったこれだけである。
 (……)
 それまでは窮屈な日本だったけれど、それから自由な日本になった。戦争が終わったよかった、自由な国日本よかった、という展開である。
この劇的な転換の楽しさ美しさを、繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し、刷り込まれた。戦後十三年目に生まれた私たちの世代は刷り込まれた。その前後の多くの世代も刷り込まれたはずである。
 (……)
 この、ある時期に徹底的に行われた異様な刷り込み教育の犠牲者のひとつが、「君が代不起立」である。さほど興味のない問題なので指摘するだけにとどめるが、この刷り込み教育を受けた人たちが、君が代に対して無意味な反抗心をはぐくまれたため、不起立というさほど意味があるとはおもえない行動を繰り返しているのである。気の毒なのは、不起立の人たちが闘っていると信じている相手が、当人たち以外にはまったく見えてこないというところにある。刷り込み教育は、やはりいろんな歪みを生じてくる。
 (同書、pp.73-76)


天皇の地位についても同じことが当てはまります。
「戦前の日本は天皇を“神”として、それをトップに掲げた政体だったから軍部の独走を許した。だから戦後の日本はそのような体制はやめた」というわけです。

まず、このような明治憲法体制を軍国主義の原因とする史観への批判としては、黒田裕樹さんのブログの、

 明治憲法の一般的な評価は真実か? その1

からしばらく連載されていた記事か、小室直樹氏の

日本人のための憲法原論日本人のための憲法原論
(2006/03/24)
小室 直樹

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辺りを参照してください。

ただ、今回はこうした考えそのものの是非を問いたいわけではありません。
これらの意見に再反論があるのなら、それもよろしいでしょう。

問題は――国際関係においてまさに「国家元首の仕事とされていること」(「外国の大使及び公使を接受すること」等)を「天皇の国事行為」として定めておきながら「天皇は元首ではない」と主張し、イギリスの「君臨すれども統治せず」という原則に対して(「君臨する」ということがどういうことなのか考えもしないまま)「天皇は“君臨もせず、統治もせず”である」と言うような態度(※)は、気付かぬ内に「君主を抱くことは悪いことだ」という考えを含意しているのではないか、ということです。

※ 今はどうか知りませんが、私が中学~高校時代に教科書や副読本で目にした記述です。

これは、他の「王国」に対して、かなり失礼で不愉快なことでしょう。
内向きに独自の考えを持っていて、それが外で理解されないのは良いでしょう。
でも、それが不愉快な偏見だとしたら、どうなのでしょう。
                           (芸術学4年T.Y.)

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コメント

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この度は拙ブログを紹介下さって有難うございます。
我が国日本はまぎれもない「君主国」であり、一つの血統が(伝説を含めて)2,000年以上も続いている世界でも稀有の国であることは、我が国よりもむしろ世界が認めています。

貴記事でもお書きのとおり、我が国独自の「戦後教育」が我が国のみならず世界に対しても失礼になっているのは、かなり飛躍するかもしれませんが、国旗や国歌に対する忠誠心を自国のみならず他国にも持てない現状と同じであると危惧しております。

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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