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制作と解釈

(メモ)
「現代人は政治に関心がない」のか、
それとも「議会で代議士たちがやっているのは“政治ではない”」のか


 ~~~

毎週、ピザ屋の出前を注文しているんですが、折悪しく今夜はクリスマスイヴ、ということで、大変な混雑でした。まあクリスマスメニューということで丸ごとのローストチキンも販売していますし。
見越しておけば良かったんですが、もう夕食を作るモードに入っていないんですね。
今さっき(21時30分台)にようやく届きましたよ。
それなりにいただきましたけれど。

結局、今日も一日、昼食を食べに外出しただけでした。
同級生たちは卒論終了を祝って鍋をやるとか何とか言っていた気もしますが、参加しませんでした。
大学に行く頻度が下がって定期券を買っていないのでいちいち出かけたくないというか何と言いますか。

予断ですが、クリスマスイヴの「イヴ」は「夜」の意です。
日没をもって日付が変わるという古い習慣により、24日の夜からクリスマスなのですね。

そう言えば、英語で「晩」はeveningですが、古語あるいは詩の言葉ではevenという略形があります。普通は、evenは副詞ですが…。eveが「前夜」なのも同語源なのはお分かりですね。

 ~~~

卒業論文は、2月末に愛知芸術文化センターで開催される卒業・終了制作展に展示される予定です。
いや、展示会場を回るついでに論文を読むのは骨ですし、どうせ未熟な論文ですので、お勧めしませんが。

で、私がそのまだ未熟な論文にて行き当たった考えの一つに、「芸術家が作品を制作することと、鑑賞者が作品についての判断を生み出すことは、本質的には同じである」というのがあります。
感銘を受けた作品について語ろうとして、そのための表現を生み出すべく苦労する人がいる。
一方で、たとえば美しい風景を見て、それを描こうと努力する人がいる(現代においては素朴すぎる例かも知れませんが、本人の内から来る着想を抽象的な形で表現しようとする場合についても同じことです)。
本質的には、同じことではないか、と。

そしてここで、昨日と同じ対談から引用いきます。

虚淵 アニメはリテイクが多いというよりそもそもリテイクありきの世界なんですね。話そのものに問題がなくても、三〇分に収まらないとか、予断が厳しいとか、そういうのでがんがんリテイクが来る。(……)
ところが『まどか☆マギカ』はガンガン原稿が通るので逆に困ったんですよね。後から聞いたんですが、新房監督のほうでも外部の畑の人間が書いたものをいかにフィルムにするかというチャレンジだったらしいんですね。全然アニメを知らない人間に書かせて突飛なものが上がってきたのを絵に起こせればそれは新しい映像になるだろう、という目論見の上での放置だったと。果たしてどれだけの勝算を見込んでいたのか解りませんが、新房監督やシャフトさんはチャレンジャブルなので、仮に失敗してもそれはそれとしてやったのではないかと思います。
―― そういう監督やスタッフの対応力に関するエピソードなどはありますか。
虚淵 コンテの段階なんですけど、キャラのデザインも劇団イヌカレーさんのデザインもない状態で脚本を書いていたので、どういうビジュアルでどういう戦いになるのかはいっさいわからず、「ここで戦闘」とか一行書いているだけだったんですね。「戦闘の最中にこんなセリフが入るといいですね」みたいな感じで書いていたので、戦いの段取りなんかは完全に絵コンテさんの判断です。
(……)
でも確かに、さまざまな考察や解釈ができる幅を作ってくれたのは映像のパワーなんですよね。魔女の文字やドイツ語の設定なども全て後付けなので、その点では脚本が先に上がっていたのがよかったのかもしれないですね。現場の方々はその脚本を再解釈していくというか独自の広げ方をして新しい情報をガンガン追加することができたわけで、まあ結果オーライということで。(笑)
―― ということはアニメが作品として視聴者の手に渡るころには、すでに三重にも四重にも解釈が重層的になった状態になっているということなんでしょうか。
 (虚淵玄×田中ロミオ「この世界に希望がある理由」『ユリイカ2011年11月臨時増刊号 総特集=魔法少女まどか☆マギカ 魔法少女に花束を』、青土社、2011、pp.58-60)


この直後に司会の村上氏も言っているように、同誌の悠木碧〔まどか役〕×斎藤千和〔ほむら役〕の対談でも、作品の内容解釈に踏み込んだ話がどんどん出て来ます。
実際、物語について、自分が演じる人物について、何らかの解釈を持たずに演じられるはずはないのですが、そうした話がここまで表に出て注目される機会はなかなかありません。
その点で、制作と解釈が同じ一つの過程であることを、この話は実によく示してくれています。

虚淵氏は同対談中で、現場側での「テコ入れ」部分について「そこで俺を褒められても困るという(笑)」(同書、p.59)と言っていますが、作品は「誰のものか」ということを改めて考える機会をも与えてくれる話です。
ただもちろん、常識的には、製作陣に「全然アニメを知らない人間」を入れれば、失敗する確率の方が高いでしょう。『まどか☆マギカ』が稀に見る成功を収めたのは、「脚本自体はもう二年前くらいには上がっていた」(同書、p.56)ということもあり、十分な「解釈」を行う余裕があったとか、あるいは製作陣がマッチしたのだろうとか、色々理由は考えられますが、こればかりは現場を知らないと難しい話かも知れません。

そしてもう一つ。原作付きアニメで(いや、あらゆるメディアミックスで)、「ここをなぜこうするのか」と原作読者から不満が上がることはよくありますが、これもやはり原作の解釈に関する対立と言えるわけです。
そんな中で、かなりのことを現場任せにしつつ、現場の多様な「解釈」を飲み込むことができたというのは、やはりある程度まで脚本の功績と考えても、良いようにも思われますが…
                           (芸術学4年T.Y.)

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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