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その定義の前提は何か

前回の続きです
実は一口に「自由」と言っても、哲学史を繙けば実に様々な角度から語られうるものです。
前回触れたカントの考えにおいては、因果的決定論と自由が対立していたわけですが、自由に関する論点はその他にも他にもあります。
それらをことごとく紹介することは専門書でもそうそうできることではないでしょうが、まずは前回問題になっていた話で、いかなる前提のもとに「自由」が語られているかをはっきりさせておくとしましょう。
そもそも、「自由」は科学用語として定義されているわけではありません。もちろん、今まで問題になっていなかったことを論じるためには、それまでに定義されていなかった概念を持ち出す必要もありますが、実はまず「なぜそのように定義するのか?」が結構な問題になりうるのです。

発端となったのでは、リベットが1970年代に行った実験です。

 リベットはボランティアをつのって、頭皮と手首に電極をつけ、ごく簡単なある作業をするよう頼んだ。まず時計を見ながら、いつでも好きなときに手首を曲げる。次にその行為をしようという意図を最初に感じたのはいつだったかを報告する、というものだ。
 頭部の電極で、リベットは、準備電位が徐々に高まっていくのを測定した。手首の電極は、筋運動の行われた正確な時刻を教えてくれた。被験者が、手首を動かそうという意図を感じた時刻を述べると、それは常に行為より先に起こっていた。
 快調な出だしだ。しかし、吉報はそこまでだった。リベットは脳の準備作業、すなわち準備電位が、意図を知覚するより先に生じていることを発見してしまったのだ――それも、かなり大幅に。脳が行為の準備に入るのは、意図が知覚される最大〇・五秒前、最大でも〇・三五秒前で、その時点で被験者はまだ、動こうという意図に気づいてすらいない。知覚するころには、脳は完全に起動していた。被験者が意識的に決断したと思ったことが何であれ、実際には、その行為を起こす決断ではなかったのだ。
 (マイケル・ブルックス『まだ科学で解けない13の謎』楡井浩一訳、草思社、2010、pp.245-245)


この実験そのものの問題点を指摘する向きもあり、それもこの著作中で紹介されていますが、まあそちらには深入りしません。
とりあえずここで言われているのは、

・「動かそう」と意識的に決断する前に、脳内には電位が発生している。
・時間的に前のものの方が原因だと考えられるので、意識的な決断は脳内に発生する無意識的な現象の結果である。
・したがって、意志は脳内の現象に従属しており、自由ではない。

ということです。

なお、カントによれば時間と空間は「感性の形式」、つまり我々の認識能力に属するものですが、自由は物自体――つまり、我々の認識能力を適用されていない物――に属する、すなわち時間の外にあるので、このような議論はカントへの反駁としてはまったく成り立ちません。しかし、私はこの点に関してそれほどカントの論に与するわけでもないので、まあ追究は止めておきましょう。

さて、上のブルックスの著作で考えられている、さらに言えばリベットのような生理学者たちの考えている自由とは「意識的に“こうしよう”と決断して行為する」ことであると言えます。
これは自由(意志)に関する素朴な考え方の一つであることは確かで、そのような考え方が必ずしも成り立たない、ということなら、私としては特に異議はありません。

が、自由という概念については注意されたし。
ここで自由とは「他の何物によるのでもなく、自分自身で決定する」、つまり自己決定のこと、という原義に立ち返ってみましょう。
「私の“こうしよう”と決断する意識」が、私にとって無意識的な脳内の現象に従属しているから、「私は自由ではない(=私は自己決定していない)」というのは、つまりこの「決断する意識」だけが私であり、脳内の現象は「私ではない」と主張することです。
もっと言えば、「この身体は私ではない」という主張です。
そのような前提を持たない限り、「意識的な決断が脳内の過程に従属しているから自由ではない」という主張はできないはずです。

ブルックス自身、このような考え方をしていることは、以下の記述からも読み取れます。

(……)脳腫瘍のため小児性愛者になってしまった男、有名な話では、脳の障害のため妻を帽子と間違えた男。そういう症例から学び取れるのは、わたしたちの心が、物質としての体と切り離すことのできない存在だということだ。恐ろしくて、ひどく気の重い話だが、わたしたちは脳によって動かされる機械なのだ。わたしたちが自由意志だと思っているものを、じつはわたしたちは持っていない。
 (同書、p.243)


「この身体」は私ではなく、それに従属しているのは自由ではない……
天から落ちてきた魂が肉体という牢獄に囚われている……というプラトンの記述を思い出してしまうのは、気のせいでしょうか。

このような厳密な心身二元論は科学的ではないと思われるかも知れませんが、実は身体を物質として取り扱っている生理学者にとって、そこに魂が宿っていると考えていても特に不都合はないのかも知れません。
そのような発想そのものが私たちを「ゾンビ的」なものにしてしまうのではないかという点については、別の機会に触れました。
(まだ続くかと思います)

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コメント

No title

「他の何物によるのでもなく、自分自身で決定する」、とはそもそもどういうことなのかを明確にする必要があると思います。

というよりそういう事態は存在しうるものでしょうか。

例を挙げます。20年来の巨人ファンの某氏、日本シリーズが東京ドームで、巨人が日本一に王手をかけた試合をすることになりました。相手は日本ハム、不足はありません。無理やりその日に休みをとって、並んで巨人側の応援席のチケットを取ります。そして当日、待ちに待っていた球場へ行き、巨人側のスタンドで……日本ハムの応援をするのです! なんの理由もなく!

ここで注意しておかなければならないのは、ここに「何らかの理由」を持ってきてはいけない、ということです。「突如巨人が嫌いになった」という理由では、「なぜ?」「なぜ?」の連関を断ち切ることはできません。そもそも、「突如巨人が嫌いになった」のであれば、それはバイアスとして、「他の何物か」による影響があった、ということを前提としている、と考えざるを得ないのではないでしょうか。

素粒子レベルでもないかぎり、マクロな事例では、「原因→結果」のつながりから逃れることは不可能である、という議論になるのではと思います。魂と肉体がひとつだろうが二元説だろうが、それはまったく関係がありません。

とはいえ、量子論を持ち出してきても、人間は自由とは縁がないことが強化されてしまう一方なのですが。

むむ。

東洋的視点からの西洋批判を、、、

英バーミンガム大学のアンドルー・ウェルチマン博士の「決闘」に関して実施した実験ですが、拳銃を相手よりも先に抜こうとする意識的な行動速度と、相手の行動をみて本能的に反応する行動速度を比較したら。
自らの意思で最初にボタンを押す場合よりも、
相手の手の動きに反応して押す場合のほうが、
行動速度が平均0.02秒速かったという。
意識の捉える以前に、無意識の領域の方が捉えているのですね。

無意識の領域を無視して、何を論じたところで、
割れやすい意識と云う小皿の上で、言葉とロジックというナイフとフォークを弄んでいるようなもの。
それを、なに?ガチャガチャさせる音が、まさか!切って刺していると、そのつもりになるのだとしたら、本当に西洋哲学っていい玩具ですね。
実は、意識の小皿の上には、何もない。
だから、ナイフで何も切れないし、フォークも刺せない。
その上、意識で捉えたモノは、いつか嘘になる束の間の方便だと自ら言わない。
意識を俯瞰できる視点が、そもそもない。
都合がいいんだなっていう感じ。
理性というのも、あやふやな言葉、もう、あやふやな言葉ばかりの積み重ねで、恐いですね。
西洋的思想は、死を恐れた意識の結晶ですね。
よくぞ、ここまで作ったと感心してしまうのですが、
この意識が作り上げた人工物の集積(学問)で、これからの世界を考えるのは、不十分過ぎませんか?
哲学をなさるというはなむけにしては批判ばかりで、ごめんなさい!

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プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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