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精神鑑定への問い

自由に関する哲学的議論は始めれば終わりのないことですが、ひとまずそこからは若干離れます。

ここ数回でもっぱら問題にしていたのは「科学によって“自由意志は存在しない”ことが証明される」という類の主張であり、特に前回の後半では、「“自由意志は存在しない”ことが証明されると、法制度に影響が出る〔もしくは、積極的に法制度を変更すべき〕」という主張でした。
実際、(呆れた話と言えばそうですが)そういう主張が存在するのです。

さて、ここで思い出すのは、19世紀における催眠術の研究のことです。
後催眠という現象があって、催眠状態で「合図をしたらしかじかの行動をするように」を指示を与えて、かつ、催眠から醒めたら催眠中のことは忘れるようにさせることができます。
しかし、催眠から醒めた被験者に合図をすると、指示されたことは忘れているにも関わらず、指示された通りの行動をしてしまうのですね。
なぜそんなことをしたのかと言われると、本人は色々と理由を考え出すのですが、実は本人の意識にはない、催眠中に与えられた指示こそが彼の行動を導いている、と考えられるわけです。

ここから「無意識」の存在を考える学・精神分析が生まれ、また哲学においても、ここでなお「自由」を語ることができるか、という議論が生じました。
精神分析の大家の言を見てみましょう。
(なお、精神分析において「自我」と言う場合、あくまでも意識的なものを差すことに注意されたし)

 このことに関連して、今朝新聞で見た記事が思い出されます。その記事というのは、ごくわずかでも犯行動機に曖昧なところのある犯罪に関して責任能力が問われるたびに、現代に生きる我々が直面する犯罪記事の一つです。この記事には、自分が犯罪者の責任能力を強調しておかないと大量殺人への道を開いてしまうのではないかと心配する精神科医の、パニックのような恐れ、取り乱した訴えかけ、恐れおののいたこだわり方が見られます。この犯人は、可能性としては何時でも起こりそうなのに、実際にはあまり見かけないようなことをしました。彼は人々がいたわりを持って見るような人を、道端でいきなり押し倒し、ナイフでめった刺しににしたのです。精神科医は突然この開口部や裂け目の前に置かれ、それに大して態度を取るように要請されます。この事件の場合も、ありそうもないことが起きるという形で事件が起き、くじに当たるほど稀な可能性が現実のものとなりました。精神科医は、その男には物事を分別する十分な責任能力があるというだけでは不十分だ、と人々に説明するべきだったのかもしれませんが言葉を濁します。かくして人は。、彼が言葉を発するにつれて口を歪め、驚くべきディスクールを語るのを聞くことになります。それによると、この犯罪者はかっとなって問題を起こす可能性が非常に強く、人との交流もない忌まわしい人物であると言うと同時に、この男のしたことはそれでもやはり、当然のことながら、共通のディスクールに属することであって、厳格な法の裁きに従うべきであると言うのです。
 我々は精神分析においてもこれと似たようなことに出会います。中心や共通の尺度としての自我へ舞い戻るなどということは、フロイトのディスクールのどこにも語られていません。
 (ジャック・ラカン『フロイト理論と精神分析技法における自我』下巻「教える者への問い」、小出浩之訳、岩波書店、1998、p.59)


これは最近の日本の話ではありません。1950年代のフランスで語られた話です。
「当時から変わっていない」のか、それとも「日本がフランスの後を追いかけている」のかは、日本の言説を調べてみる必要があるでしょうが…

現在の脳神経科学における話も、意識的な決断が実は無意識の過程に従属しているのではないか、という話であることは基本的に百数十年前と同じです。
もちろん、ここから、「この精神状態の人物に責任は問えないだろう」という状況が存在することがただちに否定される、というわけではありません。
しかし、意識的な「こうしよう」という決断こそが我々の行為の主体であり、責任を問われるべき対象であるかどうか、というのは、少なくとも100年以上前から問われていることでした。

まあ、重要なことだからこそ、「そこに留まって議論し続ける」のが重要ということもありますし、「その問題はもう誰それが論じている、そんなことも知らないのか」と言うのは良い趣味ではありませんが、それでも、「今、脳神経科学がついに、初めて自由意志についてラジカルに問うた」と言うのなら、それは違う、と申し上げざるを得ません。
まあ、新発見があっても、それを解釈する考え方の方が新しくなっているとは限らない、ということです。


付け加えておくと、責任主体に関するそのような考え方がまさに近代の産物であることを示したのがフーコーでした。

 もっとも過酷なかたちの刑罰制度であれその対象が、もはや身体ではない場合、刑罰制度は何にたいして力を及ぼすのか。理論家たちの――まだ完結にいたらぬ一つの時期を一六七〇年ごろに画した人々の――その答えは簡単な、ほとんど自明のものである。それは問いかけそのもののなかに刻まれているように見える。対象がもはや身体ではない以上、それは精神だというわけである。身体に猛威をふるった罪ほろぼしの後に続くべきは、心・思考・意志・素質などにたいして深く作用すべき懲罰なのだ。その原則を決定的に定式化したのはマブリーであり、「こう語ってよければ、懲罰は身体によりもむしろ精神に加えられんことを」と述べている。
 (……)過去百五十年ないし二百年にわたってヨーロッパでは新しい刑罰制度が施行されてきているが、したがってそれ以来、漸次、しかも非常に古くからの一つの過程にもとづいて、裁判官は犯罪(クリーム)以外のものを、すなわち犯罪者の《精神》を裁きはじめているのである。
 しかもその点からして、裁判官は裁判以外のことを行いはじめたのである。より正確に言うなら、裁判行為の法律的様式の内部そのものに、他の類型の評価がすべきこんできて前者の念入りに作成された諸原則を根本から変化させているのである。(……)もはや単に、「その事柄は確認されるか、それは違法であるか」の問いかけだけではない。加うるに、「その事柄はいったい何か、その凶暴さもしくはその殺人とは何か。幻覚か、心因性の反応か、錯乱にもとづく偶発事件か、倒錯か」が問われる。(……)狂気を規定しうる可能性は、したがって一つの行為を犯罪(クリーム)として限定することと相容れなかった。
 (ミシェル・フーコー『監獄の誕生 監視と処罰』、田村俶訳、新潮社、1997、pp.21-24)



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                           (芸術学4年T.Y.)

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コメント

No title

自由意志の非存在が証明されても、現行の法を変える必要はなにひとつないですが、変えなくてはいけないものがあります。

「道義的責任」というあれです。

地上の法を犯したことによる罰には服さねばなりませんが、だからといって元犯罪者が一生「罪の意識」を抱いて生きるべきであり、自発的に「死んで詫びろ」などというナンセンスな意見には何の根拠もない、ということが明確にされねばなりません。

もちろん、必然的な思いとして世の中の人間がそう思うのはかまいませんし、当の本人が必然的にそうした思いにとらわれるのもかまいませんが、いわゆる「2ちゃん」的な正義を振りかざすことにより迫害を受けたり、宗教権力から「地獄へ落ちろ」などといわれるのは不当である、と胸を張って主張できるような社会にするべきではないかと思われます。

個人的には、法改正よりもそうした意識改革のほうが、世界をまともなものにする近道ではないかと考えております。

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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