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ある内的必然性

私がカミュの『異邦人』を読んだのがいつだったか、よく覚えていませんが…しかし手元にある文庫本の奥付を見ると平成16年とあるので、それ以降――高校卒業して結構経っていますね。

異邦人 (新潮文庫)異邦人 (新潮文庫)
(1954/09)
カミュ

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主人公ムルソーがアラブ人を射殺し、理由を聞かれて「太陽がまぶしかったから」と答えることで有名な本作ですが、それほど変には感じられなかった、というのが正直なところです。
もちろん、なぜ太陽がまぶしいから人を殺すのか、分からないと言えば分かりません。
しかし、ムルソーがアラブ人の男を射殺する場面は奇妙な迫真性があって、射殺するという行為が「異様な、あり得ない」ものとは必ずしも思われなかったのも、事実です。

結局、動機とは何なのでしょうか。
別の機会に言ったように、他の人にも共通する事柄をいくら挙げても、同様の状況で犯罪を犯さない人もいる以上、「その人が犯罪を犯すに至った」ことは、決して説明されません(「動機の「内」と「外」」参照)。
にもかかわらず人は「動機」を付けて、説明しようとします。

「さっきから聞いていると君たちも動機至上主義のようだね? 動機など考えるだけ無駄だよ」
 京極堂は吐き捨てるように云った。
「なぜだ? そんなじゃあ警察も、世間だって納得はしない」
「そう。動機とは世間を納得させるためにあるだけのものに過ぎない。犯罪など、こと殺人などは遍く痙攣的なものなんだ。真実(まこと)しやかに「ありがちな動機を並べ立てて、したり顔で犯罪に解説を加えるような行為は愚かなことだ。それがありがちであればある程犯罪は信憑性を増し、深刻であればある程世間は納得する。そんなものは幻想に過ぎない。世間の人間は、犯罪者は特殊な環境の中でこそ、特殊な精神状態でこそ、その非道な行いをなし得たのだと何としても思いたいのだ。つまり犯罪を自分達の日常から切り離して、犯罪者を非日常の世界へと追い遣ってしまいたいのだ。そうすることで、自分達は犯罪とは無縁であることを遠回しに証明しているだけだ。だからこそ、その理由は解りやすければ解り易い程良く、かつ、日常生活とは無縁であればある程良い。曰く遺産相続、曰く怨恨、復讐、痴情の縺れ、嫉妬、保身、名誉名声の保持、正当防衛――それほも解り易く、それでいて身の回りにはざらにないことばかりじゃないか。しかし、なぜ解り易いかと云えば、ありそうもない癖に実は頻繁に彼等の中でも起きている感情と、それは同質のものだからだ。若干規模が違うだけなんだ」
 (京極夏彦『魍魎の匣』、講談社ノベルス、1995、p.474)


逆に言うと、京極夏彦を経由していたがゆえに、『異邦人』を読んで変には感じなかったのかも知れませんが。

目の前に無防備な人がいて、一押しすれば殺せる、目撃者はいない――そんな状況にあっても、多くの人は我慢できます。しかし、「痙攣的」に実行に移してしまう人がいること、否定できるでしょうか。
そうした感情の存在そのものは、当然、広く理解されていました。

 大河原氏は話がすむと、棚のようになった出っぱりのとっぱしへ行って、そこに腹這いになりはるか断崖の下の海面を見おろそうとした。目もくらむほどの高さなので、武彦は思わず駆けよって、その足をおさえた。足をおさえるかわりに、それを持ちあげたら、この大貴族のからだは、まっさかさまに断崖を墜落して、きのうの姫田と同じ運命に落ちいるのだと思うと、変な気持がした。ヒョイと持ち上げてやろうかという、奇妙な衝動をさえ感じた。
 (江戸川乱歩『化人幻戯』、『日本探偵小説全集2 江戸川乱歩集』、創元推理文庫、1994(21版)、p.541)


しかし犯人の感情がそれでは、ミステリとして読者は納得しない、と思われていました。

これに対し、京極堂は言葉を巧みに操り、「犯人の物語」を再現して語ります。「他人と共通する動機」ではなく、その犯人が犯行に至ったただ一つの物語、内的な動機を雄弁に語ることで、事件を解体するのです。
そこにおいて、ほとんど説明しがたい「奇妙な衝動」は「通りもの」という怪異の名で呼ばれます。

この、他人と共通する言葉では表現しがたい、その人の行為に至る内的な必然性をカミュの場合に近いと思われる思想用語で言い表せば「実存」ということになるのでしょう。こういう括りにつねに異議のあることは承知の上で言えば、カミュは広義の実存主義文学に数えられますし。
なお、「実存主義」を教科書的に説明すれば、

人間を、論理的にとらえることの不可能な非合理的存在として考え、不条理の中に動揺するものとして追究する哲学。この不安と絶望から人間的・主体的存在(実存)としての人間を形成するためには、超越者(神、または無)を自覚せねばならないとした。19世紀の実証哲学・合理主義への反動として生まれ、危機意識の高まった2度の大戦後にさかんになった。
 (『世界史B用語集』、山川出版社、2004、p.363)


となりますが、これが妥当かどうかは「合理」「不条理」といった言葉をいかなる意味で捉えるか、つまり、上で言った人間の“内的必然性”内にあるものを独自の「理」と呼ぶかどうかにかかっています。

※ しかし、実存主義の解説と言えば一番有名なのはサルトルのもので、この説明もかなりの部分サルトルに依拠しているように思われつつ、サルトルは無神論ですし、よく見ると何だか色々分からない説明です。

実存主義とは何か実存主義とは何か
(1996/02)
J‐P・サルトル

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                           (芸術学4年T.Y.)

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