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エリートいかに生くべきか――ライトノベル『耳刈ネルリ』シリーズ

明日はふたたび院試のため外泊につき更新はお休みです。
ところで、検索ワード『昨日は彼女も恋してた』でこのブログに来る人が結構多く、実際Google検索ではこのブログが上位に来るのですが、なぜでしょう。肝心なところのネタバレや考察は何も書いていないのに……

さて、今回もライトノベルです。これも語ろうと思うと難物なのですが…

耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳 (ファミ通文庫)耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳 (ファミ通文庫)
(2009/01/30)
石川 博品

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舞台は旧ソ連をモデルにした、「中央活動委員会」の統括する「活動体連邦」で、この連邦内には268の王国や活動自治体が含まれています。自治を認められた「王国」に対し、中央直轄の地は「本地」と呼ばれます。
第八高校(通称:八高)は元々、「王国」の王族のための学校で、本地民に解放されている現在でも王族の多くが進学する学校です。そんな八高にこのたび入学するレイチ・レイーチイチ(語り手)は、中央活動委員である父のコネで入学した本地民。そんな彼が入学早々に出会った同級生が、シャーリック王国王女太子、ネルリ・ドゥベツォネガでした。耳刈(みみかり)ネルリ(シャーリックにおいては通称:大ネルリ)と言えば、200年近く前に内乱を引き起こした軍閥の女頭領。ネルリはその子孫、2世ネルリです。
「耳刈」の名は、捕虜の耳を切り取って前線の盾として利用したことに基づいており、今でもシャーリック王国においては奴隷の片耳を幼い頃に切り取るという制度があります。その他にも割と平気で野外放尿したり、土と農業に偏見があったりと、異国の文化が印象的に描かれます。
ちなみに、王族は二人まで従者を連れて入学することが認められており、その三人は同じクラスにまとめて配備されるので、レイチの所属することになる一年十一組も、本地民がレイチを入れて三人、そしてそれぞれ異なる三つの王国(その一つがシャーリック)の出身者がそれぞれ三人ずつの計12人ですが、他の国もそれぞれ一夫多妻だったり、「父」が複数いたりと、独特の習慣を持っています。

奴隷の耳を切断するとか、異国の「野蛮」で「人権無視」な実態が描かれる一方、「自由・調和・博愛」を掲げる委員会とその支配下の本地にも、何とも言えない抑圧的なムードが存在します。
たとえば、レイチのクラスメートであるカミレ・カミーチダは新入生代表に選ばれる優等生ですが…

 彼女の話し方や押しつけがましい身振り手振りは、本地の教育を受けた者、特に生徒委員など指導的な立場にいた者ならではのものだった。
「あいつ、あだ名は『委員長』で決まりだな」
 ワジが冗談めかして言ったので、僕はたしなめた。本地において活動委員を冗談の種に使うべきではないということを彼は知る必要があった。
 (石川博品『耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳』、エンターブレイン、2009、p.48)


あるいは、学生の自治委員への立候補者がやたらと多くなった時、

「レイチ・レイーチイチ。この状況を目の前にして何を感じる?」
 先生が唐突に尋ねてきたので、僕はポロリありきりの委員決定戦の勝敗を占う心の旅に終止符を打った。
「はあ、皆さん熱心なことで……」
「本地民の君は活動に対し熱心でないのか?」
 こう問われたら、「はい」や「いいえ」ではなく行動で答えるよう、犬みたいに条件付けられているのが本地民だ。
「……立候補します」
 (同書、pp.64-65)


「自治」という「自由」を掲げた活動そのものが抑圧的になることを見事に描き出しています。
……と、世界観や設定を説明しているだけで話は尽きないほどの作品ですが、しかし必ずしも「暗い」ばかりの作品ではありません。レイチの語る地の文がまた濃く、ネタが豊富です。というか、他のメンバーにもましてレイチが変態で変なんですよね。
たとえば、自治委員の選考の場で、罪を犯した学生をどう処分するかという問いをぶつけられて、

「刑の妥当性というものは、なかなか難しい問題でして、その状況になってみないと判断できない部分が少なからずある、そういったご意見にも真摯に耳を傾け、我々としては柔軟に対応していきたい、そのように考えておる次第でございます」
 要するにノーコメント。
 開き直るようだが、僕はこういう問題に対して一本筋の通った意見を持つ人間ではないのだ。わかりやすいようにパンチラでたとえると、委員会というのはパンチラをほしいままにしようと送風機を設置する者の集団で、それ以外の人たちは「偶然チラリと見えたらラッキー」くらいに考えてのうのうと暮らしている。僕は故郷の草原に独り寝転んで空を見上げ、戦争で傷付いた体と心を癒しながら、ああ、この雲が全部パンツだったらな――そう思える男になりたい。やっぱり平和が一番! といった具合に話の一貫性すら保てないんだ。
 (同書、p.98)


あるいは、ベイン教国では「父」が複数いる、という習慣が口に上る時、

「クラスは違ったんだけど、課外活動で一緒だったの、父たちと母は」
「父たち?」
 ワジが耳ざとく不思議な単語をとらえていた。
「乳断ち!」
 僕は究極的な願掛けを思い浮かべた。おっぱい的なるものから離れてまで人は何を願うのだろう。
 (同書、p.132)


ただでさえ特異な異国の習慣が語られる上で語り手がボケており、しかもネタが突っ込まれないまま放置されているのでとんでもないことになっています。
万事この調子です。

しかし、本筋は実は上質な学園青春ドラマです。
1巻の後半では、政治闘争の空気の渦巻く学校において、自治委員会に監禁されたクラスの一人を救うべく闘いが繰り広げられますが、レイチは政争には興味がなく、地の文ではボケ倒しつつもクラスメイトのためにはきっちり行動しますし、クラスの皆も一致団結します。一人一人がいい味を出していて、群像劇としても素晴らしいですね。

と、ここまで語ったところでようやく見えてきます。
学園青春ドラマとしての本作の特徴は、一つにはその政治的空気です。
学校内での政治闘争を描いたアニメ・漫画・ライトノベルは他にもありますが、(少なくとも現在)まず想像されるのは、学校が外界から切り離された独自の社会を形成しているタイプではないでしょうか(『蓬莱学園』の系譜でしょうか?)。
しかし本作では、自治委員会は外部の介入を嫌うと言いつつ、学校外部に上位の組織が存在して、本当にどれだけ独立しているかは怪しいこともほのめかされていますし、そもそも本地民と王国民の対立という連邦全体の問題が、ほとんどそのまま学内の反映されているのです。巨大な国家レベルでオリジナルの世界を構築し、自然とそれを読者に説明してみせるのは高い力量のなせる業です。

そしてまた、本作の学校は異質な人間と出会う場でもあります。
ここで、『僕は友達が少ない』のヒロインがそれぞれ幼馴染と親の代からの付き合い(後にやはり幼馴染であったことが発覚)であったことを思い出してみると面白いですね。こうした流行りの(と言って良いでしょう)設定に見られる“変化を避け、昔からの居心地の良い状態に留まりたい”願望を、『僕は友達が少ない』が意図的に描き出していたことは、先に指摘した通りです(「変化と喪失」参照)。
対して、『ネルリ』の登場人物は卒業後の将来のことも自然に語ります。ある者は王族やその従者という立場上、かなりのことは決まっており、ある者ははっきりした志を持っていて、学校での委員会活動もキャリアの一環、他方でレイチなどはモラトリアム組です。

しかも、レイチはエリートです。コネ入学で学費も奨学金に頼っており、自費で留学してきた連中を前にして「熱意も学費もないのにここに来ちゃってごめんなさい、という気分になる」(同書、p.113)等と言ってはいますが、しかし故郷の村で唯一の高校進学組です。
そんなレイチの「いかに生きるか」の問いが、物語の核となります。

 故郷の村を発つ時――親戚や、中学校の同級生たちに見送られてバスに乗り込んだ、あの時のこと。今年、高校に進むのは村で僕一人だった。だからってそんなに大げさにしなくても、なんて言いながら僕は苦笑してみせたのだった。
 僕は「彼らに期待されている僕」の陰に隠れながら、こっそり期待していたんだ。まだ見ぬ高校や、そこで成長する僕自身に。他人の期待は裏切っても平気なのに、自分の期待が裏切られることを恐れていたマヌケだ。
 僕はこの学校に入れたことを誇りに思っていたんだ。故郷のちっぽけな村では手に入れることのかなわないものにあこがれて。
 [……]
 でも、よく考えたら、それって本当に誇りだったのか?
「思っていたのと違ったので、僕の誇りを返してください」なんて言い分、ただのクレーマーじゃん。結局、僕独りだけ村から出るってことに優越感を抱いていただけなんだ。カッコわり。一生山ごもりしたくなっちゃいそうなほどカッコわるい。
 僕は誇りを抱く道のりを最初からたどり直さなくてはならない。
 [……]
 一人で抱く誇りはたやすく優越感に成り下がってしまう。だから、僕は誇りを分かち合いたい。
 (同書、pp.241-243)


これは学生運動の時代の学校であり、そこにあるのは教養の問題です。
そう、東大紛争で東大の入試が中止になった'69年の都立日比谷高校のような…

赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)
(2002/10)
庄司 薫

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『中央公論』の一九六九年五月号に、まずは『赤頭巾ちゃん気をつけて』が発表される。その年の一月に、全共闘運動の一つの頂点となる東大安田講堂攻防戦があり、ついに東大入試の中止が決定された。こうして何となく宙吊りになってしまった東大受験生たる日比谷高校三年生「薫くん」が過ごす二月のある一日が、ここに描かれている。都立日比谷高校は、当時、東大合格者数第一位の学校で、二百名近い合格者を出していた。[……]
 それにしても、いま改めて読みなおしてみると、これほど不愉快な、あるいは薫くんの口癖の言葉を使えば「いやったらしい」小説はなかろう、とさえ思われてくる。薫くんは、日比谷高校という、当時の超有名高校に通う「いやったらしいエリート」で、ピアノとテニスが得意で、女の子にもてるのに「ドーテー」で、そのうえ山の手の高級住宅街に住む良家の子息である。東大入試が中止にならなければ、ごく自然に東大に進学しただろうし、薫くんの二人のお兄さんをはじめとして、登場する大人の男性たちのほとんどが、漱石の小説と同じように東大出である。
 しかし、あの頃、薫くんは「相当猛烈に」愛されて人気者になった。一世を風靡して、たちまち映画化までされた。この種の「いやったらしだ」、つまり都会という舞台、アッパーミドルクラスの文化と生活様式、特権的上級学校こそ、かつての青春小説の条件だったのだ。
 (高田里恵子『グロテスクな教養』、ちくま新書、2005、pp.55-57)


教養、将来像の見えないエリートのモラトリアム……そんなものは今日の青春小説においては流行らない? いや、できるのです。
そんなライトノベルの可能性を味わってください。


ところで、なぜか新人が消える率が高いことで知られるファミ通文庫、『ネルリ』も1年の間に全3巻で完結。

耳刈ネルリと奪われた七人の花婿 (ファミ通文庫)耳刈ネルリと奪われた七人の花婿 (ファミ通文庫)
(2009/06/29)
石川 博品

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耳刈ネルリと十一人の一年十一組 (ファミ通文庫)耳刈ネルリと十一人の一年十一組 (ファミ通文庫)
(2009/12/26)
石川博品

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しかし昨年ようやく、単行本としては2年ぶりの新作が出ました。

クズがみるみるそれなりになる「カマタリさん式」モテ入門 (ファミ通文庫)クズがみるみるそれなりになる「カマタリさん式」モテ入門 (ファミ通文庫)
(2011/11/30)
石川博品

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主人公がちゃんとツッコミをやっている分、こっちの方が読みやすいかも知れません。
                           (芸術学4年T.Y.)

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プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

当ブログはリンクフリーです。

引用もフリーです(出典明記していただけるとより有難いですが)。

コメントは返信しないことも多いですが、基本的にちゃんと読んでいます。

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