オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
闘技場とバトルロワイヤル
しかしなぜかやけに眠かったりで、結局一日はすぐに過ぎていきますね…
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SF作家・フレドリック・ブラウンに『闘技場』という短編小説があります。
(以下の短編集に収録)
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異星人と戦争を続けていた地球軍のパイロット・カーソンは、戦闘中に突然、一面が青い砂で空は青いドームに覆われた世界に飛ばされます。同じ場所には、敵対している異星人も一体、ともに飛ばされていました。
両者をここに飛ばしたのは、遥かに強大な力を持つ別の異星人であり、戦って決着をつけよ、と命じてきます。勝った方の種族だけを生き残らせ、負けた方は二度と攻めてくることができないくらいに完膚なきまでに叩き潰そう、と言います。
かくして、限定された条件下で知恵を振り絞っての戦いが繰り広げられます。
私は実のところ、映画『バトル・ロワイヤル』を観ていないので、バトルロワイヤル物を見る度こちらを強く思い出しますね(影響関係については知りませんが)。
とは言え、バトルロワイヤル物一般の特徴として、戦わされるのが二人でなくもっと多人数になっていることの他にも、いくつかの相違点も挙げることができます。
まず、『闘技場』においては、敵対する異星人は赤い球体のような姿で、まったくコミュニケーションも共感も不可能な、不気味な相手として描かれています。他方で、戦いを命じる神のような異星人は姿を見せることもありませんが、どうやら、戦いで両種族が滅び、衰退するという結果を防ぐべく善意で介入しているらしいのです。
「さまざまの空間と次元をさまよっていたところ、余はこの空間とこの時間においてふたつの民族がまさに戦闘を開こうとしているのを見いだした。この戦争によって一方の民は全滅の憂き目に会い、他方は弱体化して退化し、みずからの使命をついに果たすことなく、堕落と衰弱のあげく、再びその源である無精神の灰と化するであろう。余は言う、そのような事態は起こってはならぬ」
(フレドリック・ブラウン「闘技場」、『スポンサーから一言』収録、中村保男訳、東京創元社、1966、p.184)
『闘技場』のアイディアは様々な作品で借用されていますが、異星人の性格などというのは一番アレンジしやすいポイントで、神のような異星人は単に趣味で異種族を戦わせ、滅ぼす残虐な存在として描かれることも、またそこから改心するケースもあります。
他方、「バトルロワイヤル物」においてはたいてい、互いに戦わされるのは同じ人間同士で、コミュニケート可能な相手であり、それに対して殺し合いを命ずる「ゲームマスター」こそ残虐であったり理解不可能であったりする遠い存在として描かれることになります。
だからこそ、「戦わされる参加者たちが協力して、ゲームマスターの裏をかき、ゲームを脱出する」という筋書きが成立するわけです。
もちろん、参加者の中には悪人であったり、様々な理由を抱えていたりして積極的に戦うことを選び、そして滅びていく者達もいますが、それと「参加者たちが協力する」ストーリーとを共存させられるのも、参加者が多数いればこそです。
「競争を強いられる状況」と「協力」との緊張関係がバトルロワイヤル物の一つの見所なわけですが、ゲームマスターに対抗する方向に話が運ぶのは、やはり(『闘技場』のアレンジ物ですでに見られたように)、そんな風に戦いを命じる奴こそ「悪い」という(自然な)感覚があるからでしょうね。
もちろん、その結果がどう運ぶかは様々ですが。
なお、18日から少し出かけますが、更新がどうなるかは未定です。
(芸術学4年T.Y.)
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