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『シャカイ系の想像力』

そう言えば、気が付けばこのブログも 40000hit を超えていました。

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TV番組の劣化は至る所で語られることですが、それとは別の(しかし関係はある)問題も発生しているような気がします。
問題はTVのデジタル化――それも地上デジタルへの完全以降ではなく、受像機の液晶薄型TVへの移行です。
一時期はもっとも安い電化製品と言われたTVですが、今ではやたらと大型の高いものしか売っていません。
今の私のように、学生の一人暮らしをするに当たって、十何万円のTVを新規購入したいかどうか、と考えると……そこには当然、「番組がつまらない」ということも関連してくるわけですが。
そして、パソコンやワンセグで視聴しても、視聴率には数えられません。
視聴率が取れなければ、当然、スポンサーはつきません。

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さて、いきなり本の話を。

シャカイ系の想像力 (若者の気分)シャカイ系の想像力 (若者の気分)
(2011/03/25)
中西 新太郎

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本書はシリーズ「若者の気分」の1冊ということで、ライトノベルを通して「現代日本の若者たちが感じ、受けとめている世界」を分析しています。

 フィクションを対象として若者の意識をどれだけどれだけつかめるかという疑問もあろう。だが、音楽であれ、小説であれ、映画であれ、文化作品が作者の意図や文脈とは別に、作品が生み出される時代の状況や特定の集団の心性等々を鋭く映してしまうことも事実である。
 (中西新太郎『シャカイ系の想像力』、岩波書店、2011、p.2)


実際、作品に与えられる価値が作品そのものの性質のみに帰せられる、と考える方が古典的な芸術観です。
とは言え、もちろん、「作中に描かれていること」と「作品に反映されている現実」は違います。フィクションに現実の反映を見て取らんとする場合、その結び付き、つまり「なぜその部分が現実の反映と考えられるのか」という点が一つの問題になりますが、そこで本書が行うのが「イミジェリ」の分析です。

 本書でイミジェリとは、特定のトピック、現象、状況についての心象をともなう描写を指している。
 (同所)


したがって、取り上げられている作品の量は膨大ですが、ストーリーや設定はもちろん、個々の作品の特色が説明されることも比較的少なく、もっぱら「心象をともなう描写」の引用のみが並びます。
同様の描写でも文脈によってまったく異なる意味を帯びてくる可能性もありますが、このようなスタイルではその辺りは分かりません。ただ、それは抜きにして描写の傾向を見出すこと、ある程度は成功しているかと思われます。

サブカルチャー批評というと(管見に入った限り)ストーリーやキャラの分析が多く、描写スタイルの分析はそれほど見なかった気がしますが、その中で本書は優れた可能性を提示していると思われます。その点で、本書の目的はむしろまず社会論なのかも知れませんが、批評書の一つとして位置付けたいところですね。

もちろん、細かいことを言い出せば色々と気になることはあります。
第2章で著者は、ライトノベルの特徴を、心情を「ベタ」に表現しない「自己韜晦を基層にすえた話法と心情表現」(同書、pp.50-51)、「留保―韜晦の話法」(同書、p.54)に見出します。著者は『ブギーポップ』シリーズ(上遠野浩平)を筆頭にいくつかの例を挙げていますが、私がこのブログで取り上げてきた中だと『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』辺りが好例でしょうか。
著者のケータイ小説との対比等は明瞭ですし、その後にそれに反するように思われる「俺様キャラ」の例を挙げて、それらが対立しないことも示しています。しかしでは「ベタ」な語りをするライトノベルはないのか、と言うと、気にはなります(これは、いくら例を挙げてもつねに判例が存在する可能性は残る以上、なかなか検証の難しいことですが)。
とは言うものの、一見ベタに見えても主人公に関してすら読者に隠し事があったり、自分の心情を誤魔化していたりするのは、たしかにライトノベルにおいてはきわめてありふれたことです――「ツンデレ」のような誤魔化しの定型に至っては、それ自体がメタなギャグになるくらいに。

さて、本書の第3章は、全ての他者が疎遠な存在に思われるという「孤立」や日常圏への「社会」の侵食といったモチーフから、現代における「生きづらさ」の問題を見出し、そして第4章でその閉塞感に対する対抗策を見出す、という形になっています。「シャカイ系」という名称も、そのような文脈において、一頃「セカイ系」に関して言われたような単なる社会からの撤退が問題になっているのではないことを言わんとしているものです。

[……]特定の範囲と内実をそなえた「社会」の存在を自明のように扱い、若い世代の社会的関心が衰弱したと感じるのは早計だろう。ライトノベル作品のイミジェリ群が示唆しているのは、既存の社会が、そこに浸透する秩序からして、徹底して権力に差配される国家のように映っている事態だ。いまある社会は抑圧する。身近な世界にかまけているとしか映らない若者の営為は、そういう社会を括弧におき、「社会的なもの」の新たなすがたを想像する作業の一環と読みとることも可能なのである。
 (同書、p.132)


私としても、今のところあまり論を発展させる気もないので、今日のところはこの程度の話に留めておきます。

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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