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キャラとミステリー

普通、マンションのエレベーターは放っておくと自動的に1階に降りて行くものと思っていましたが、ここではどうもその階に止まったままのようで……出かけようと思った時、近い階にいてくれるとありがたいですが。
最近、天気雨にもしばしば見舞われましたが、今日は完璧に雨天でした。陽が出れば暖かい季節になってきましたが、雨だとやはり寒いですね。

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アニメ『這いよれ!ニャル子さん』が放映開始されました。
本日からニコニコチャンネルでも配信中です。
第1話で1巻の半ばまでで、次回で1巻最後まで行きそうな気配です。ライトノベル原作アニメとしてはかなり展開が早いですね。
その分、小ネタや細かいやり取りが端折られているところも少なくありませんが、「最初からクライマックスですよ」等、パロディネタの散りばめ方もまずまず原作に忠実。
ただ、小説の地の文で説明されていることをどうアニメ化するかというのはつねに問題でして、クトゥルー神話に関する解説はかなり縮小された感があります。クトゥルーに関する予備知識のない方が観てどう感じられるかは少し分からないところがあります(私もクトゥルーに詳しい方ではないので、原作は予備知識がなくても大丈夫と思いますが)。

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話は変わって、私が清涼院流水氏の小説を目にしたのはおそらく高校時代のことです。デビュー作『コズミック』が出てから少し経っていて、2作目『ジョーカー』の方を先に読んだ覚えがあります。
氏の作風を的確に説明するのは容易ではありませんし、少なくとも今の私はそれができるほどの読者でもないので、まずは斎藤環氏の言を借りさせていただきます。

 清涼院は新本格の名門・京都大学推理小説研究会の出身で、弱冠十九歳でデビュー作品『コズミック』を完成させ、同作で一九九六年、第二回講談社メフィスト賞を受賞している。本作は発表直後から激しい賛否両論を生み、そのアンビヴァレントな評価もあいまって、間違いなくミステリー史に残るであろう問題作となった。その後も『ジョーカー』、『カーニバル』、『彩紋家事件』など、後述する日本探偵倶楽部(JDC)の探偵が活躍するJDCシリーズを精力的に発表し、最近ではミステリー作家としては異例なことに、ビジネス書や英語学習法の連載などにも取り組んでいる。
 (……)
 『コズミック』では、冒頭からそれがメタ・ミステリー作品であることが告げられる。つまり最初に掲げられる謎めいたFAX文書、「今年、1200個の密室で、1200人が殺される。誰にも止めることはできない。」の送り主は、自ら「密室卿」を名乗るのだ。
 そして予告通りに、一日平均三人のペースで殺人が起こる。警察も名探偵集団JDCも、その謎を解くことはできない。そこで登場するのが、究極の探偵、九十九十九(つくも じゅうく)である。彼は神通理気(じんつうりき)と名付けられた天才的推理力によって、すべての謎を解き、ついに驚愕の真相が明かされる。
 ちなみにJDCとは、京都に本部を構える名探偵だけからなる組織である。ここには約三五〇人の探偵が所属し、探偵たちは成績ごとに第一班から第七班まで班分けされている。
「流水大説」(自身の作品のこと)の主要な登場人物はJDCのメンバーであり、そのkyラクターを採用した「JDCトリビュート」なるシリーズが、講談社ノベルスから刊行されている。西尾維新はこのシリーズとして『ダブルダウン勘繰郎』を発表し、舞城王太郎も『九十九十九』を書いている。こうした二次創作欲をそそるあたりも、いかに清涼院の生み出したキャラが「立って」いたかがわかろうというものだ。
 しかし、見てのとおり彼の「大説」はすべてが過剰だ。真面目なミステリファンは激怒し、批評家は新時代の到来を予感して惜しみなく称賛を送る。そうした激しい賛否を呼んだのも、まさにこの「過剰さ」ゆえのことではなかったか。
 一二〇〇の密室、一二〇〇の殺人、多すぎる見立て、多すぎる推理、多すぎる枚数。そして過剰すぎる形容詞。
 たとえばメタ探偵・九十九十九の容貌はあまりに美しく、直視したものを失神せしめてしまうため、常にサングラスを装用していると記述される。彼の美貌と推理力は、常に最大級の形容詞によって描写されるため、それがどんなものなのか、およそ具体的なイメージを持つことができない。
 (斎藤環『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』、筑摩書房、2011、pp.124-126)


内容としてはまさしくここに述べられている通りなのですが、「過剰さ」ばかりを強調されるのは少々違和感を感じるところです。清涼院氏の作品に「欠けているもの」は問題にならないのでしょうか。

そもそも言うまでもなく、「真面目なミステリファン」が「激怒」したのは、ミステリをミステリたらしめるのに必要と考えられるものが欠けていたからではないでしょうか。
たとえば(そう言ってよければ)まもともな推理、現実的な真相といったものも「欠けているもの」でしょう。『コズミック』以外の作品の話になりますが、「超常現象(と言っていいもの)だった」とか、「未来人の超科学によるものだった」とかいう「真相」が堂々と提示されるのですから。
しかし何より、「真面目なミステリファン」の一人である私の母が言っていた「ミステリとは犯人を描くものだ」という言が、何よりポイントを突いているように思われます。

清涼院氏の作品には、犯人が不在です。

「真相」が文字通りに犯人不在と言っていいようなもの(「犯人は松尾芭蕉だ」とか)であるというのもさることながら、名前のある実行犯が登場しても、彼/彼女がいかなる思いで犯行に及んだのかといったことはほとんど触れられません。
まさしく、「キャラ小説」であるがゆえに、同じキャラが探偵であることも、犯人であることも、被害者であることも可能で、そこに必然性はないのです(これは例えではなく、実際に数いるJDCの探偵の誰かが被害者であったり犯人であったりすることもあります)。
というのも、斎藤氏が示しているように、「キャラ」というのは二次創作に見られるように、複数の異なる生を送りうるものであり、また「別の人生」においても変わらないという同一性そのものであるからです。

このことは逆に、本来のミステリとは何であったかを照射します。
ミステリとは必然性の文学です。

それは「しかじかの証拠が揃っているので、真相はこうとしか考えられない」という推理の必然性であると同時に、「犯人はなぜこのような犯行に及ばねばならなかったか」という必然性であり、後者が描かれているということこそ「犯人が描かれている」ということです。
再三言っているように、「怨恨」や「金目当て」といった外的な動機は、同じ動機があっても犯罪に及ばない人がたくさんいる以上、真に犯罪を説明するものではありません。犯人が一つの生を生きた結果としてこの犯行に行き着いた、という事情を描くことは、まさしく犯人の「人間」を描くことです(「ある内的必然性」参照)。

もっとも、たとえばギリシア悲劇の主人公も必然的な運命に導かれて悲劇的結末に向かいますが、オーソドックスな形式のミステリは逆に、最初はその道のりを描かずに結果から示しておいて、後から「推理の必然性」によって「犯人の生の必然性」を辿ってみせるものだ、と言うことができます。

しかし、「キャラ」というのは「全ては偶然であり、この人生は他のようでもありえた」という偶然性の意識に根差している――もっと言えば、「他の人生」でも「キャラは変わらない」という形で同一性を保つため要請されるのがキャラである――とすれば、キャラとミステリは水と油ということになります。

もちろん、どんな作品にも(「強い/弱い」あるいは「立っている/いない」の差はあれど)キャラを読み取ることができるのですから、「キャラが立っている」ことがただちにミステリたることを妨げるとは言えません。元々の物語においては「ただ一つの人生」を送った人物として描かれたものについて、後から「別の人生」を想定することはまったく自由ですし、その場合でも変わらない「強いキャラ」であるからと言って困ることはありません。
ただ、たとえば犯人の「ただ一つの生」における内的必然性を描いて見せた京極夏彦氏の小説にあっても、他方で榎木津や京極堂は「他の人生を送っても、別の作品に出演しても変わらない」キャラの強度がむしろ強調されるという二重性があったのも事実です。

そしてもう一つ、斎藤氏は、メタ・ミステリー化の進んでいた新本格ミステリーの「陥りつつあった袋小路」を「過剰なまでにマニエリスティックな手つきで」「反転」させた、と評しています(p.126)。
プレイヤーが何回もゲームをリプレイできるように、メタ的な物語形式こそ「生の複数化」を進める最たるものです。

ミステリーが辿ってきていた「キャラの強調」と「メタ化」という二つの道をある意味では押し進め、そこにおける偶然性と、ミステリーをミステリーたらしめる必然性との優劣を逆転させるところまで持ってきたのが清涼院氏の功績である、ということになりましょうか。

もっとも私も、氏の作品を「ミステリーとしておかしい」と批判するのは筋違いだろうと思いつつも、正当な評価の仕方を掴み得ないままでいるので、このように「いかにしてミステリーから逸脱したか」という風にしか語れない、ということなのかも知れませんが。

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まとめteみた.【キャラとミステリー】

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
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