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日常のトラウマと危うさ――『も女会の不適切な日常』

引っ越しで用いた段ボールも回収してもらい、部屋にスペースができてきましたね。
まだ机がないので、ミカン箱ならぬ布団や家電の入っていた箱を積んで机代わりにしていますが…机とは別に、食事用の小テーブルがあってもいいかも知れませんね。安くはないのですが…

そろそろ『ニャル子さん』から離れて、新作ライトノベルの話いきます。

も女会の不適切な日常1 (ファミ通文庫)も女会の不適切な日常1 (ファミ通文庫)
(2012/03/30)
海冬レイジ

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主人公の花輪廻はなわ めぐる、通称「リンネ」)は、美少年で(事情あって)長髪をポニーテールにしていますが、高校一年の男子。彼が所属するのは「もっと学園生活を豊かにする善男善女の会」(通称「も女会」)で、他のメンバーは全員女子……と、まず序盤は典型的な日常系コメディのノリです。もちろん「も女会」はネットスラングで言う「喪女(=もてない女)」をイメージしたものであり、そこに所属する女の子たちの「残念」な設定にも事欠きません。
しかし100ページ目辺りで、その「日常」は大きく揺らぎます。

よく見ると帯にも(≠非)日常系!」とあって、また表紙にもあるタイトルロゴでは、「不適切」に「アイ・ド・ラ」とルビが振ってあり、さらにその下には欧文タイトルではなく、英語で文章が入っています。

も女会 タイトルロゴ
 (扉ページより)

僕たちの〈も女会〉はいつもドタバタ喜劇のようだった。
でも、その時には、それはある意味で十分に平穏だった。
彼女に会うまで、僕はそう思っていた。
だって、僕たちの学校での日々が本当は「アイ・ド・ラ」だなんて、僕は想像することもなかったんだから。


これに加えてカラー口絵にある以下の台詞を見れば、知識のある方はネタ元がお分かりでしょう。

 フランシス・ベーコンは言った。
「人間の知と力はひとつに合する。原因が知られなくては結果は生じないから」

 アイ・ド・ラは言った。
「貴方がブヒブヒ言うしか能のないブタでも、〈新機関(ネオ・オルガノン)〉を知ったからには、運命を変える力があるということよ」


「イドラ(idola)」は「偶像」を意味するラテン語で、英語の「アイドル」の語源でもありますが、フランシス・ベーコン(1561-1626)の哲学の場合は「幻像」等と訳され、われわれの真なる認識を妨げる謬見のことです(『ノウム・オルガヌム』――この英語形が「ネオ・オルガノン」――もベーコンの著作のタイトルです)。
つまりこの日常は、実は現実を隠蔽する幻影のようなものである、と。

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ではこの『も女会』という小説において、具体的には何が描かれるのか。(以下、核心に触れるネタバレあり)




「も女会」の一人、危険な化学実験が大好きな少女・大洞繭(おおぼら まゆ)の実験によって発生した毒ガスで、廻は繭ともども、あっさりと死にます。
しかし、死んだ彼は四次元の世界――〈アッパーグラス〉の住人となり、そこで「アイ・ド・ラ」と名乗る美少女に出会います。
ただしこの〈アッパーグラス〉は文字通りの死後の世界というわけではなく、自然死ではなしに世界から「押し出された」人間しか来ることはできません。そして、四次元世界は時間軸を含むわけで、時間を遡って過去に干渉することが可能です。〈アッパーグラス〉の住人は三次元世界に物理的な干渉はできませんが、耳元で囁きかけることで人の心を動かすことはできるという設定です。
もちろん、過去干渉によって自分が死ぬのを防げば生き返り、〈アッパーグラス〉の住人ではなくなります。だから、不用意な干渉で自分だけ生き返って他人は救えない、ということは避けねばなりません。

主人公の通称が「リンネ」であることも含めてループ物を思わせる面もありますが、しかし主人公は幽霊のような存在となって、生きていた時の自分をも眺め、語りかけることもできるようになるわけで、主人公がまったく同じ時間を生き直すという、いわゆるループ構造にはなっていません。
とは言え、肉体ごとタイムスリップするという一番オーソドックスなタイムトラベル物とも違うわけで(だからと言ってこれがSFではないかのようにSFと対置するというのも、「SF」の範囲をあらかじめ狭くしているようでやりたくないのですが)、独特のイメージです。
これは『カマタリさん』の時にも指摘しましたし、(私の知識では確証しがたいものの)もしかすると『昨日は彼女も恋してた』『明日も彼女は恋をする』にも当てはまるかも知れないことですが、ゲーム的想像力から生まれたモチーフを取り込みながら、むしろゲーム色そのものは脱色したように思われる作品をしばしば見受けるようになったのは興味深いことです。
単に「ゲーム的想像力」なるものが広まったと考えるだけでは不十分で、ゲームと小説という媒体の違いに自覚的になっている、つまりただゲームのモチーフを輸入して「ゲームのような小説」(大塚英志)を書くのではなく、小説的に読み替えて活かそうとする向きが存在しているのかも知れません。

『も女会』のストーリーに戻りますと、まず重要なのは、廻が死んだのは2月14日であって、直前までバレンタインデーを巡るラブコメ騒ぎを展開し、「も女会」の3人の女の子たちが廻を意識するさまがやけに丁寧に描かれていることです。
実際アイ・ド・ラは、繭が毒ガスを発生させたことについて、はっきりと述べます。

「実験を中断していたら。薬の組成を変えていたら。もう少し落ち着いて、正常な思考回路が働いていたら。彼女は死なずに済んだでしょうね」
 (海冬レイジ『も女会の不適切な日常1』、エンターブレイン、2012、p.108)


廻への気持ちを意識して、それゆえに冷静さを欠いたことが悲劇に繋がったとしたら。
ここには『僕は友達が少ない』7巻で描かれた、「気持ちをはっきり表し、事態を動かすことが喪失に繋がる」という問題の「その先」が極端な形で描かれています。
そして定番ながら、日常の価値は失って初めて気付きます。

 死んでしまった今ならわかる。僕はリア充だったんだ。あんな美少女いっぱいの部活で、毎日へらへら笑ってられたんだから。
 (同書、p.109)


しかし、ここで今一度、タイトルロゴの文面を読み返してみてください。
「日常が素晴らしいものだったと初めて気付いた」のではなく、反対に、日常が「平穏」だと「思っていた」のです。

実際この後、廻が過去を改変して自分と皆を救おうとするほどに、「も女会」の背後にあった闇が、死が必然的に生じるような状況が発覚してきます。
口絵にもある、「ちだね先輩」こと千種(ちぐさ)エスニカ「天然でゲスい」、繭は「科学大好き実験厨。特に毒物精製が趣味。もはや殺人鬼レベル」、廻の従妹にして義妹である「ユーリ」こと須唐座有理(すからざ ゆうり)「考えるより先に手が出る〈金的女王〉。半分サイコ」といったプロフィールが残念だとかギャグだとかで収まるレベルではなく、文字通りの意味であったのですから……

しかし、こんな状況はなぜ生じたのでしょうか。さらに先立つ過去改変があったのではないか……?

これはほとんどトラウマの発掘のような状況を呈してきます。
トラウマというのは「心的外傷」と訳されたりしますが、必ずしも「実際にかつて辛い目に遭った記憶」のことを意味しません。
精神医療によって患者が思い出す「幼少時に受けた性的虐待の記憶」が多くの場合、偽記憶であったということは、特にアメリカで社会問題にもなりました。
そのような偽記憶という形でしか語りえないものこそが「トラウマ」なのです。

日常の充実と平穏さは、陰惨さの上に構築された幻影。
しかしその陰惨さも、また構築されたもの。
「楽しい日常」がそうして、いわく語りがたい「傷」の上に構築されていることを抉り出さんとするこの展開は比肩しがたいものがあります。世界の多層性というモチーフの追究から生じた、注目すべき結果でしょう。


そもそも、帯にあった「否日常」とは何でしょうか。「否」と「非」はどう違うのでしょうか。英訳すればどちらも non- になりそうですが。
一般に「非日常系のストーリー」と言えば、SF的・ファンタジー的設定が登場したり、冒険したり戦ったりする話を指すものでしょう。対して「否」は「応」に対する「否(いな)」、つまり Yes/No の No であると言えるでしょう。
実際、廻は日常に別れを告げ、悲劇に向かわんとする日常を改変しようとするのです。
ここで「脱日常」と書くと、今度は日常から完全に脱して、非日常世界に向かう運動を示すような意味合いが感じられます。そう、『涼宮ハルヒの消失』におけるキョンのように――
対して、廻が日常に「否」を告げるのは、真に平穏な日常を取り戻すためです。

「帰ろう。僕たちの日常へ」
 (同書、p.291)


揺らいでしまった日常から、新たな日常の構築へ――
あるいは「日常」は、日常に「否」を告げることをもってようやく維持できるような危ういものだということでしょうか。


最後に触れておきますが、表紙を飾っているのが〈アッパーグラス〉の導き手たる美少女、アイ・ド・ラです。
人外の超越者のよな装いで登場する彼女が、動揺したり照れたりする可愛いところを見せていくにつれ、どうも彼女がメインヒロインらしいことが見えてきます。廻をブタと罵倒するのもツンデレの一種ですね。
彼女の正体もまた、終盤で明かされてくる真相の一つです。
そもそも、〈アッパーグラス〉に来るのは世界から「押し出された」死者だけであるとしたら、彼女もまた……

結局1巻では、廻は彼女を連れて「日常に帰る」ことには成功しません。
今まで通りの「も女会」の日常が、実は決定的に失ってしまったものの上に立っていることに気付いてしまったところで、タイトルロゴの意味も理解できます。

 この〈も女会〉の日常を、少しでも長く楽しんでいて欲しいから。
 でも、僕が心から楽しめる日は、もうこない。
 (同書、p.313)


けれど、いつかは真に日常を取り戻す日が――続刊が楽しみです。

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テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

コメント

凄いです。

感想拝見させて頂きました。まず、タイトルにも書きましたが凄い!という印象が第一です。自分で感じたことと比べて、こういう見かたもあるんだなぁと興味深い内容でした。……自分の感想を棚に置いて、偉そうなことを言って申し訳ありません。私も続刊が楽しみです。

Re: 凄いです。

お褒めいただき嬉しく思います。
まあ、それなりにきちんと作品を分析しているつもりの箇所もありますが、作品を使って自分の思弁的な思考を述べ立てている箇所もあるので、あまり厳密に作品そのものに依拠した分析とは思わない方がいいかも知れません。
ただ、私のレビューが当の小説についてさらなる視点を開き、楽しむ役に立ったとすれば、これ以上の喜びはありません。

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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