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日本人論を少しだけ問い直す

> ポール・ブリッツさん

まず、私がキリスト教という言葉で何を指しているかが問題であったかも知れません。
私は必ずしも「キリスト教とその教義として名指されたもの」を考えてはいません。
その点で、自分がどれだけキリスト教的なるものに浸っているか気付かないまま、「キリスト教」を他人事だと思って、「キリスト教」や「イエス」と名指されるものをネタにしたりその解説書を読みたがったりすることには、特に矛盾はないと思われました。

ではその「キリスト教的なるもの」とは何かですが、基本的には「一神教の神概念」を念頭に置いていました(ユダヤ教やイスラームも一神教ですが)。
要するに、日本人が「神」と言って「神社か神棚にまつられた神」を思い浮かべる、というのは、経験的に言って信じがたいことであって、「神」という言葉はとうの昔に「人格神であり全知全能の唯一神」を指すようになっているのではないか、というのが疑問でした。

ただ、その人格神は「われわれの作り上げた『キャラクター』」として理解されているのみであり、真の意味で信じられているのは「天」ではないかと言われると、私にはあまり確証は持てません。調査の及ぶ範囲もごく限られています。
とは言え、批評にしろ創作にしろ、「人格神による救済」や「もし神がいるなら、なぜ悪や悲惨を放置しているのか」といった問いが(まさに現実に関わる問題として)非常に真剣に立てられており、しかもその前提にあまり違和感は感じられていないように思われたのです。
「人格を持つ唯一神かしからずんば無神論か」という考え方をかなり深いところで内面化していなければ、そもそもこのような問いは立てられ得ないのではないか――と。

ふと思ったのですが、実質がいかなるものであれ、ひとたび名指され、明示されたものに関しては何であれ「いや、それは自分たちの信じているものとは違う」と言える姿勢こそが「『神』を語るのになんのタブーもない」最大の理由であって、それこそが養老孟司氏が「無思想という思想」(=「“俺には思想なんかない”という思想」)と呼んだ知恵なのかも知れません。
そうだとすれば、これほど他の思想を理解するのに障害となるものもまたないかも知れませんが。

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(2005/12)
養老 孟司

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 ~~~

さて話は変わって、まずは以下の記事を。

 メイド属性は消え、“メイドコス”が残った

まず気になったのは以下の箇所です。

 西欧におけるもともとのメイドはサービス業の一業態であって、日本においてそれに近いのは「女中」であった。


ここでなぜか、京極夏彦氏の『絡新婦の理』に登場する織作家のメイド・奈美木セツ「あたし女中じゃなくて家政婦だわ」という場面を思い出しました。
では女中と家政婦はどう違うのでしょうか。
『広辞苑』をあまり信用しすぎてはいけないのですが、ひとまずそこから。

【女中】
1 殿中に奉公している女子。奥女中。御殿中女。
2 婦人の敬称。お女中。
3 他人の家や旅館などに住み込んで炊事・掃除などの用をする女性。お手伝いさん。

【家政婦】
家政担当、また家事の手伝いのために雇われる女性。家事援助者。


この定義に従えば、「旅館」ではなく「家」の女中と、住み込みの家政婦は重なることになります。

では「メイド」をランダムハウス英語辞典で見てみると――

maid
1 《しばしば複合語》女中、お手伝い、メイド.
2 《文語》少女、娘、乙女、若い未婚女性.
3 《old ~》(婚期を過ぎた)未婚婦人(spinster)。
4 《古》処女、おとめ(virgin).
5 《the M-》=Maid of Orleans.
 [1200年以前. 中英; MAIDEN の尾音消失異形]


語源を辿って maiden の方も見てみます。

maiden
1 《文語》少女、娘、乙女、若い未婚女性(maid); 独身女性(spinster).
 (略)
 [1000年以前. 中英; 古英 maeden 〔maegd, maeg(e)th(独 Magd と同語源)より〕; また古英 magu 「息子」, 古アイルランド mug 「奴隷」とも関連した印欧祖語 magh- 「少年、若者」にさかのぼる]


なるほど「奴隷」との関連はシロクマ氏が記事冒頭で述べている「服従を強いられ」たメイドのイメージと重なりますし、また、「女中」の原義は1の「殿中に奉公している女子」にあるのでしょうから、その身分的な含意とも重なります。
が、シロクマ氏自身メイドを「サービス業の一業態」と明言している以上、サービス業に従事する賃金労働者としてのメイドを奴隷身分と混同するような時代錯誤を犯してはいないようです。
ですが、ならば、「調教や折檻の対象」たるメイドのイメージとは何でしょうか。

付け加えるなら、そもそもお屋敷における女使用人は直属には「奥様」に仕えるものであって、その点で「服従」「調教」や「折檻」が性的な含意を持つなら、それはなおさらメイドからはかけ離れたものと言わざるを得ません。

私はここで「メイドとはいかにあるべきか」という論をぶつつもりはありませんし、昨今のオタク業界では職業としての「メイド」よりも「メイドコス」が一般的に普及している、ということに異を唱えるつもりもありません。ヨーロッパの歴史上のメイドに労働者階級ゆえの悲惨さが存在しなかったとも言いません。
ただ、当今の「メイドコス」以前に、そもそも「拭いきれない悲壮感・厳格な主従関係といった絶望的距離感を漂わせている」「ハードなカテゴリ」たる「メイド」自体が日本的な構築物だったのではないか、という疑義を唱えておくのみです。
いつものごとく、転倒は一度とは限らないのです。

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コメント

果たして「唯一神かそれとも無神論か」という問題が日本人に内面化されているかどうかについては、大いに議論する余地があるように思います。

一神教という考え方が伝来して以来、日本人が終始行って来たのは、「内面化」ではなく「本地垂迹説」的世界観と摺り合わせるための、一種の「脱構築」だったのではないでしょうか。

「もし神がいるのなら」という前提を、なんら哲学的神学的ためらいもなしに定立しえることこそ、日本人が一神教という思想についてリアルな意味で向き合っていない、一神教でも無神論でもない「なんとなくありがたいものが遍在している」とでも呼ぶべき世界観にどっぷり漬かっている証のように思えるのですが。

われわれが「人格神」を語るとき、それは「なにかありがたいもの」の擬人化として語り、神社にお参りするときには「なんとなくありがたいもの」に願をかけ、葬式のときには故人が「なにかありがたいもの」になるのを皆で確認する、そうした、宗教も宗派も飛び越えて「なんとなくありがたいもの」の遍在を疑わないところにいわゆる「無宗教的宗教」が顕れるのではないでしょうか。

そうした考えを仮定するかぎりにおいて、「神」なり「人格神」なり「唯一神」の日本人の問題提起は、ネイティブの一神教徒とはかなりずれた問題提起なのではないか、と思えるのですが。

表現するとしたら「神学的ゾンビ」とでもいえるかもしれません(この行ジョーク)


後、思いつきに思いつきで答えて恐縮ですが、日本に「神」に対してのタブーが存在しないのは、「あなたの宗教はこれこれこういうものですね」という相手に対して信者が「いえわれわれはそうは思っていません」と反論することが真の意味で「できない」からではないでしょうか。誰もが誰に対しても自分の意見を押しつけて反論を許さない構造が、逆説的に宗教と言論の自由を保証している。そのほうが実情に即しているような気がします。

すみません「神学的ゾンビ」という言葉をお借りします。

自分で考えついた概念だと思っていたのにここで名前が使われていたとは思わなかったであります。しかも自分のコメントに対する返事だし。

概念としてはまったく別のものですが、凹むなあ……。今さら変えるわけにもいかないし。とほほほ。

自分のコメントに自分で断りのレスをつけてしまった。

恥ずかしい。恥ずかしすぎる。

どつぼ。

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プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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