スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

形式化の極限

(……)ところでこの〔「メメント・モリ=死を忘れるな」という〕戒告は、現代のわれわれにとって、今述べた詩篇の一節に含まれて居たような内容とはだいぶん違った一層深き意味をもつごとくに思われる。なぜならば、今日のいわゆる原子力時代は、まさに文字通り「死の時代」であって、「われらの日をかぞえる」どころではなく、極端にいえば明日一日の生存さえも期しがたいのである。改めて戒告せられるまでもなく、われわれは二六時中死に脅かされつづけて居るのだからである。しかしそれではわれわれは果して、この死の威嚇によって賢さを身につけ知慧の心を有するに至ったであろうか。否、今日の人間は死の戒告を受納れるどころではなく、反対にどうかしてこの戒告を忘れ威嚇を逃れようと狂奔する。
 (田辺元「メメント・モリ」、『田辺元哲学選Ⅳ 死の哲学』、岩波文庫、2010、pp.13-14)


この文章が1958年のものであることを考えれば、もちろん文中の「原子力時代」は原発ではなく、原爆のことを言っているのだと分かりますが……当時の思想家にとって「人類は生き残れるか」というレベルの「死」が重大な問題であったと同時に、人がそうした問題の重大さをすぐさま忘れる傾向がある(ように見えた)ことは当時からあまり変わっていないこともお分かりかと思います。
実際、こちらの哲学系の先生は授業でも西田幾多郎田辺元西谷啓治といった京都学派の哲学者を多かれ少なかれ取り上げる率が高く、京都学派の伝統が息づいているのを非常に強く感じます。

死の哲学――田辺元哲学選IV (岩波文庫)死の哲学――田辺元哲学選IV (岩波文庫)
(2010/12/17)
田辺 元

商品詳細を見る


 ~~~

何度か触れてきた覚えのあることですが、文献購読の授業では、「君はここまでここまで」と担当範囲を決めて読んでいくのが一番オーソドックスなやり方でしょう。ただ、このやり方の最大の問題は、当たっていた人が欠席すると授業に穴が開く恐れがあることですね。
愛知県芸では特に担当範囲を決めず、適宜区切って(もっとも短い場合はピリオドごとに)順次出席者に当てていくタイプの先生もいましたが、こちらではそういうものにはまだお眼にかかっていません。
まあ確かに、「語学の授業」ではなく、内容を読み込み、必要に応じてディスカッションも行うのが授業の趣旨であれば、読み手をどんどん交代させてぶつ切りで読むより、一人がある程度まとめて読んでから内容の話に入った方が良いのでしょう。
ただ……一人の担当量も多め(2ページ程度がスタンダード)かつ、ディスカッションも挟みながらとなるとそうそう進まないわけで、その上出席者も結構な人数がいると、半期に1回でも自分の番が回ってくるのだろうか……と気にならないでもありません。

 ~~~

しつこいようですが昨日からまだ続きます。
パロディに関しては、『ニャル子さん』の文章はむしろ現実の事物を描写するような、説明文的に淡々としたものであることを述べましたが、キャラクター描写に関してはこの作品、類型のコードを徹底的に活用しています。
たとえば“無表情キャラ”であるクー子の台詞は必ず「……」で始まります。
ダウナー系のボソボソとした喋りを表現しているわけですが、ここまで徹底した形式化はライトノベル界でも珍しいレベルです。
合わせてクー子の容姿描写も引いておきましょう。

 驚いた事に、炎は人間、それも少女に見えた。歳の頃は真尋と同年代くらいに思える。無表情で、無愛想に唇を真一文字に結んでいた。頭からなびく炎がまるで長い髪のようだ。火の粉が弾けるほど全身が真紅の中にあって、その二つの瞳はなお一層煌々と輝いていた。
 (逢空万太『這いよれ!ニャル子さん』、ソフトバンククリエイティブ、2009、p.197)


 そこにいたのは制服を着た宅配業者ではなく、一人の少女だった。歳の頃は真尋と同年代だろう。夜の暗さを背景にしてもなお映える赤い髪を、頭の両サイドで結んで垂らしていた。いわうるツインテールという髪型だ。
 その顔には表情らしい表情は浮かんでおらず、かと言って無表情という印象も抱かせない不思議な面持ちをしていた。器量よしの部類に入るものの、決定的に無愛想だ。髪の色も相まって、その顔立ちは明らかに日本人には見えない。
 (『這いよれ!ニャル子さん』2巻、ソフトバンククリエイティブ、2009、p.81)


これらの地の文の描写はやはり、『ハルヒ』の「いわゆる神秘的な無表情系ってやつ」といったざっくりした表現に比べれば「アニメ・まんが的」色合いの薄いものですが、その口調と合わせて、綾波レイや長門有希のような“無表情キャラ”をイメージしているのは、アニメ漫画的キャラ造型のコードに馴染んでいる読者には分かります。

ただし、クー子の本性は綾波や長門とはかけ離れた、始終発情している変態ですが。

こう言うと単に「無表情」という外面と内面の「意外な取り合わせ」が問題になっているように思えますが、もちろん、話はそう単純ではありません。
綾波レイから15年以上を経た今では、実に多様な(ほとんどあらゆる)タイプの性格を備えた“無表情キャラ”が見付かりますが、クー子の存在感は「数ある組み合わせの一つ」という次元にはありません。
ここにおいては、アニメ漫画的コードを前提した台詞表現の徹底した形式化が、唯一無二のキャラの実質を生み出すために積極的な働きをしているのです。

そしてまた、口調による区別というのは、台詞の多い掛け合い漫才型ライトノベルにおいては特に、誰が喋っているのかを一目で分かるようにするためにも重要なツールです。

さらに、元ネタのある台詞をパロディとして多用する『ニャル子さん』ですが、いかなる台詞であれ基本的に、ちゃんとそのキャラの口調に合わせてアレンジされます。

「宇宙キタ―――――ッ!」
「うわっと! いきなり奇声発するな。何なんだよ」
「え? いえ、これ我々が宇宙に出た時の掛け声ですよ」
「は……?」
「……宇宙キター」
「宇宙きたーっ」
「ほら、二人共やってますでしょ?」
「……ああ、うん。お前らってそういう生き物なんだよな」
 (『這いよれ!ニャル子さん』2巻、ソフトバンククリエイティブ、2011、pp.195-196)


もちろん『仮面ライダーフォーゼ』ネタですが、「……」で始まるローテンションなのがクー子、平仮名の多いのがハス太の舌足らずな喋りと、それぞれの口調は維持されています。
これを自然にこなすのも、あらゆるネタを取り込みながらも不和を生じさせる読ませるポイントです。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村 人気ブログランキングへ

テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

まとめteみた.【形式化の極限】

(……)ところでこの〔「メメント・モリ=死を忘れるな」という〕戒告は、現代のわれわれにとって、今述違った一層深き意味をもつごとくに思われる。なぜならば、今日のいわゆる原子力時代は、まさに文字通り「死の時代」であって、「われらの日をかぞえる」どころではな...
プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

当ブログはリンクフリーです。

引用もフリーです(出典明記していただけるとより有難いですが)。

コメントは返信しないことも多いですが、基本的にちゃんと読んでいます。

実名での仕事
7ページだけですが、拙稿が掲載されています。
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
参考文献
私が展開している思考の拠り所など(一部)。
スポンサー広告
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。