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文体芸の魅せ所――続『僕の妹は漢字が読める』

昨日に引き続きライトノベル『僕の妹は漢字が読める』の話をするつもりですが……まず言い忘れていたことがありました。この作品はつい先日4巻が発売されたところでした。前回は話が長くなりすぎて、3巻以降には触れられませんでしたしね。

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その前に、前回でなおも言葉が十分でなかったと思うことを少々。
まず、作中の(萌えとオオダイラ文体によって特徴付けられる)23世紀「正統派文学」にライトノベルのような現代小説の「先」を見るのは不自然ではありませんが(切り詰められた文章と表現はむしろケータイ小説に近いものですが)、しかし本作は「これが日本人の日本語力の劣化の結果だ」とか、「日本人の将来が心配だ、こうなってしまうぞ」としたり顔で言うような「ライトノベル批判」ではありません。そもそも私はそうしたものを「批判」とは呼びません。

本作は「ライトノベル(やケータイ小説のような現代小説)的表現を当然のものとして享受している読者」に対置される立場からの皮肉ではなく、むしろ「現代小説表現を単に稚拙なものと見なす思考」こそを前提し、そこに問いを向けます。当のライトノベル読者こそそう思っていてもおかしくない、というところが味噌であって、ここにおいて内外二元論は有効性を持ちません。
しかし、理路整然とこの「正統派文学」の価値を説教されても「なるほど」とはならないでしょう。だからこそ、ボケキャラであり読者にとってはほとんどの点で同意しがたかった主人公の、(はからずも)自己批判となり得る発言をもって主張がなされ、そしてそれを通して主人公の成長も描かれることが意味を持ちます。これが読者にも、笑っていた自分に対し問い返すことを求めるのです。
特に、「主人公のヒロインに対する想い」や「成長」といった至極オーソドックスな内容を見て取ればこそ、この問いを受け取ることになるでしょう。
本作が批評性と呼べるものを持つのは、まさにこの点においてです。

実際、本作の読者にとってはオオダイラ文体がハードルになり得ると同時に、反対に「イカれた未来世界のありようが描かれる」ことを期待した読者にとってはむしろ常識的なストーリーに落ち着くことが不満のタネになります。
しかし、この不一致こそが、時として読者をミスリードし、揺さぶるような独特の性格をもたらしているのです。

さて、どうも前回記事ではこの小説そのものの地の文についてほとんど触れていなかったことに気付きました。
ひとまず適当なところを引用してみます。

 僕の視線に気づいたクロハが、本から顔を上げた。目力のあるぱちっとした目で、僕を見据えている。
「そんな小難しい本を平気で読んでるから。クロハはさすがだと思ってね」
「携帯小説は、近代文学のなかでは入りやすいほうよ」
「いやあ、普通の人には無理だって」
 僕は返事をしつつ、あらためてクロハを見た。
 まず目に止まるのは、櫛目の通った長い黒髪だ。ツヤがあってさらさらしている。顔は、目頭がくっきり切れ込んでいて、眉から鼻にかけて芯が通っている。兄の僕が言うのもなんだけど、隙のない美貌だ。
 (かじいたかし『僕の妹は漢字が読める』、ホビージャパン、2011、p.7)


基本的に主人公ギンの一人称で、いかにもライトノベル的な話し言葉調ですが、たまに「誰何した」とか「承諾する」等のやや硬い表現が混じります。
が、そもそも冒頭に掲げられているように本作はギンの作品『かんじよむ いもうと』を21世紀人向けに翻訳したもの、という設定であることを思い出し、訳者が23世紀人であるからと考えれば、これも理解できます。原文が原文だけに砕けて単調な文章を心がけつつ、訳者の色が出ているのがよく分かります。
我々が英語を学ぶ時に今の英語も100年200年前の英語もあまり区別していないため、古めかしい言い回しをそれを気付かずに覚えていることがあるのに似ています(日本における「英語」の入試問題は100年経っても驚くほど変わりません)。
さらにここで前回引用した、オオダイラ先生の書く擬平成文を見ると、こちらは現代文として読めるものの、もっと一文が短く改行の多い、まさにケータイ小説に近いスタイルで、ちゃんと書き分けられています。
これはおそらく、オオダイラ文体を生業としている当人と、いっそう古典文芸に馴染んでいる訳者との違いに基づくものでしょう(というのは、続刊の展開からして、おそらく本作の訳者はクロハだという設定なので)。

さらに1巻では、「正統派文学」を憎むある人物の日記が挿入されるので、台詞を除いても都合4種類の文体が使い分けられていることになります。

 二二〇二年 五月一日 記す
 我輩について多くを語ろうとは思わない。只、世を憂う者である。
 人は誰しも生きるための寄る辺をもつ。我輩にとっての寄る辺は文学であった。若年より活字と戯れ、分別のわかる頃には箸を取るより筆を執ることを好んでいた。
 行く行くは父祖、冬耳虎彦のような、端麗な文体の小説で世に出るはずであった。我輩ほどの才気があれば、容易いことであった。
 だが、日本の文学が死んでいた。
 (……)
 (同書、pp.52-53)


古めかしく「格調高い」文体を狙っているのがよく分かり、まずまずのものが書けてもいます。
彼が歴史を改変することで23世紀世界が激変してしまい、ギン達が歴史の再修正に向かうところで1巻の引きですが…。もっとも彼のこうした文章も「知識量をひけらかしたい」性格だとかさんざんな言われようで、さらには話し言葉までそんな調子を狙っていますから……

「自分のことを我輩と呼ぶなんて……。文章ならともかくリアルでそんな人あるので。初めて見たわ」
「きもい」
 (『僕の妹は漢字が読める』2巻、ホビージャパン、2011、p.179)


ちなみにギンの下の妹ミルの「きもい」は、しばしばオオダイラ先生に向けられるフレーズであることにも注目。
とにかく、かなりの計算の上で文体が使い分けられていることはお分かりかと思います。
こうした挿入ジャンルそのものはライトノベルでもよくあるものですが、オリジナルのスタイルを創造していたり、地の文にも工夫が凝らされていたりする本作はかなり芸が細かい方でしょう。
ちなみに2巻以降では23世紀の文芸誌『ぶんげいっこ』やら新聞やら(内容は平成文に意訳)が挿入されたりで、ラジオ放送が入ったりで、さらにバリエーションは増えます。

文章の話が多くなりましたが、世界観に関わるネタも――1巻第1章のインパクトが圧倒的に大きいのはやむを得ないとは言え――面白いものはあります。むしろ、タイムトラベルストーリーが一段落ついた3巻の方が設定に関しては飛ばしている印象もあります。
何しろ「日本の文壇で、飽くることなく延々と対立しているものがある。/義妹派と実妹派だ。」という一文に始まってそれが政治にまで及んでいるという話が1ページ以上も続き、この世界では二次元キャラと結婚して子供も作ることができるとかいう設定も出て、それに関する倫理観の話も少々。
さらにメインストーリーは、過去改変の影響で主人公に実妹が出来たということで、その妹・アマネコを巡る話。

(新生児として生まれるのではなく、それなりの年齢で)義妹より後から実妹が登場するとは、(色々な形で実現された先例はあるものの)変則には違いありません。
いや、「新たに妹ができる」という設定は時として見かけますが、ポッと出のキャラを妹と言い張るのはいかなるものなのか……
もちろん、私もその大半はチェックしていないので、中には「妹を妹たらしめるものは何か」という問いを真剣に立てた作品もあるかも知れません。そうした作品は批評性を獲得することでしょう。
さて本作の場合、過去改変という背景があるものの、生き別れの妹という形になるわけで、確かに妹です。しかもそれまでのSF設定を活用しつつ、義妹vs実妹論争という、おそらくどうでもいい人にとっては実にどうでもいいが作中では重大であるらしい問題と絡め、さらに修羅場ラブコメをも展開する――間違いなくこの作品ならではの味を出しています。

また、「漫画/アニメ/ラノベじゃあるまいし」と作中で言うような自己言及的な身振りは珍しくないものですが、ここでは

 いきなり見知らぬ妹があらわれる――正統派文学によくある展開だ。
 例えば、数年前にホミュラ賞を受けた「いもうとは きんるい」は、なんの前触れもなく、実妹がキノコのように部屋に生えるというストーリーだった。
 物語の中に限れば、新しく妹ができるなんて少しも珍しくないんだけど――まさか、自分の身にこんなイベントが起きるとは!
 (『僕の妹は漢字が読める』3巻、ホビージャパン、2012、p.27)


と、読者にとってまったく当たり前でないことを参照してさらなる混乱を引き起こして見せます。

またも長くなったのでひとまずこの辺で。

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コメント

No title

話だけ聞いているとどこか神林長平の「言壺」とか「敵は海賊・海賊版」とかの名作群を思い出しますな。

などといわれてしまうからラノベはちと気の毒であります。

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