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挿入ジャンル

そろそろ『僕の妹は漢字が読める』という作品の話からは離れますが、「批評」について言い添えておくと、批評家が何らかの評価基準を持って、それに合致しないものを切り捨てることが悪いとは思いません。むしろ、そうした評価軸は積極的に持って良いでしょう。
しかし、その「評価軸」が慣習からの暗黙の受け売りや借用では、お話になりません。

『僕の妹は漢字が読める』の23世紀文学にしても、漢字の使用廃止やオオダイラ文体、あるいは萌え主体の内容を単なる「日本語力の劣化」や「低俗」としない視点を理解した上で、なおそれに対し批判的になることはできるでしょう。
その種を作中に求めることもできます。たとえば、オオダイラ先生が現代(=23世紀)文学表現の素晴らしさを語り、「現代人は文章を読むスキルに優れているから、たった四文字のテキストから、頭に思い思いのパノラマを広げる。細かなニュアンスを、書かずとも読みとる。/それは、日本人特有の「おもいやるこころ」に通じるものがある」(2巻p.162)等と言っていますから、まさにここで「長所」とされているものが裏返してマイナスにならないか、と考えれば分かりやすいでしょう。
そこの理論構築を自分で行うことによって(結論がまったく新しいものにならなくとも、自力でそれを辿ることによって)言説は批評と呼べるものになる――私は基本的にそう考えています。
その意味で、批評とは結論であるよりもまず行為です。

 ~~~

作中文学の話から思い出しましたが、こうした挿入ジャンルによる文体の多様化というのは、ライトノベルにおいても珍しくはないものです(しかも、これの有無はコメディであるとかシリアスであるとか言った作品の性格とはあまり関わりがないように思われます)。
しかしやはり、ライトノベルという枠内で、この挿入ジャンルがもっとも豊かな作品を一つと言われれば、『耳刈ネルリ』シリーズを挙げたいところですね。
ギャグでもかなり手が込んでいて、作中の学校の授業では「旧共和制語」、つまり古文があるのですが、それはたとえばこんな感じです。

「甘キ物。麺、昼飯、殿上人、納豆ヲ食ヒテ血液の淙々タル。愛サルルニ堪能、等身大ノ己、春色果物染配色講義モヲカシ。イザ、自己練磨ニ全力を以テセム」
 (石川博品『耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳』、エンターブレイン、2009、p.81)


現代語訳すると「スイーツ(笑)パスタ(笑)ランチ(笑)セレブ(笑)」といった具合。
この後にはさらに(確か『DEEP LOVE』だったか)ケータイ小説の一説の古文訳が登場しますが、「世の中、狂ってんだよ!」が「末法ノ世! 乱レタルゾ! 乱レタルゾ!」(同書、p.83)になっていたり。
しかも結局そのまま解説なしという飛ばし具合です。
はたまた、

「百四十年の間……騒々しく騒いでいる二百人……が向かった先は都で有名な市場に足を踏み入れ、ランニング状態で足を止めた」
「文章になってない」
 先生は言い放った。
 ◇は表情一つ変えずに反論した。
「ですが先生、正確に訳すとこうなります。これは原文が……」
「訳とはただ辞書を写すだけのものではない。もう少し頭を使え。立っていろ」
 もはや言いがかりである。(……)
 (同書、p.85)


元ネタが悪文で有名なこれ↓で、本当に原文が悪いというネタです。

リアル鬼ごっこリアル鬼ごっこ
(2001/11)
山田 悠介

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現代文で書かれたものを古文に訳して、それを作中人物が授業で現代文に訳出するという凝り具合は圧倒的ですが、ネタとしての説明がほとんどないので、慣れないと取っ付きにくいかも知れません。

そもそもこの『耳刈ネルリ』、レイチによる地の文の語り自体がネタと変態発言に満たされていて、その密度は圧倒的です。しかし、実は地の文を除いて実際の発言と行動を見ると比較的まともで、しかも体を張って戦うカッコいいところを見せており、これはシリアスな本心を覆い隠すライトノベル的「留保―韜晦の話法」『シャカイ系の想像力』より)であることが分かります。
ただ『耳刈ネルリ』においては、レイチの語りがあまりに濃密で、シリアスな展開でも基本的にそのトーンは変わらない上(最終巻エピローグを除く)、学校全体に政治的な緊張感を湛えた雰囲気が満ちていて、日常シーンも必ずしも牧歌的なものではないため、全体としてネタとシリアスが渾然一体としています。
しかもその両者がともにきわめて濃度が高いため、どう読んだらいいのか態度を容易には決しがたいところがあります。えんため大賞選評者である河西恵子氏の「難読で難解」「惜しむらくは、遊びが過ぎて、芯のドラマが見えにくくなり、作者が何を描こうとしているのかが伝わらない」という言は的確と思われました。
本筋がオーソドックスな青春ドラマであることに気付くのに時間がかかった読者も多いのではないでしょうか。

にもかかわらず、やはり名文と呼ばずにはいられないのは、2巻(『耳刈ネルリと奪われた七人の花婿』)における演劇大祭のような圧巻の物語空間を見せてくれるからです。
あそこでは、作中作の演劇(ミュージカル)で歌われる数々の歌が挿入された彩り豊かな文章で、演劇と、文化英雄コーチキンを巡る政治的ドラマと、そしてレイチとネルリの恋愛という三者が一体になる展開が見事に描かれていました。


ライトノベルの文体が文字通り「ライト」とは限らず、むしろ凝った作品も少なくない一方で、平易かつシンプルな文章で引っ掛かりなく読めるように洗練を進めている作品も見られます。しかし、どんなスタイルが評価されるかは、やはり読めないと感じますね(あまり締めになっていませんが)。

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コメント

No title

ネルリはなんだか徳の高い文章を読んでる気分になれます。主人公変態なのに

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
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