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社会化と巣立ちを描く

新しいネタもないので、一昨日に続いて『耳刈ネルリ』の話でも。内容的には繰り返しのような部分も増えるかも知れませんが。
シリーズ最終巻のエピローグは同窓会で、卒業して7年後の十一組の面々が描かれます。
語り手のレイチも、駆け出しの研究者として過ごしています。

 高校を卒業して僕らははなればなれになった。彼女は王として国を統治しなければならなかった。
 僕は何かにならなければならなかった。彼女のそばにいるのにふさわしい何かに。
 (石川博品『耳刈ネルリと十一人の一年十一組』、エンターブレイン、2009、p.299)


(……)再開の日をただ待つことにした。そのことだけを考えて僕は生きてきた。
 山の中を歩きまわり、木の一本一本にしるしをつけ、調査用の堰で川の水位の変化を測定した。誰が読むのかわからない論文を研究所の紀要に載せた。炭焼きみたいに何ヶ月も山にこもったこともあった。木や花や雲以外に話し相手がいなかった時期もあった。砂漠に花畑を作るなんてやっぱり無理なのかな、と考えてはそれを打ち消した。
 (同書、p.300)


もちろん、一研究者として業績を積んだところで、傍から見て一国の国王に相応しい男になるのは困難なことでしょう。国王であるネルリには政略結婚の話もあるかも知れません(そうした話は最序盤ですでに出ています)。
しかしとにかく、国の統治のため奔走しているネルリに相応しくあろうと思えば、(客観的に見れば取るに足らなくとも)相応の「何かに」なろうとせねばならない、そんな姿が美しく描き出されています。
恋愛とはまさに、社会的な肩書き等には決して還元されない固有の相手と出会うことであるけれども、同時に、その相手と関係を形成して維持していこうと思えば、社会的にも「何か」にならねばならない――恋愛が青春という成長過程の山場であるのは、そのような理由もあるのではないでしょうか。

『ネルリ』の学校に満ちている政治的な空気からも分かるように、石川氏の作品はこうした「社会化というでの成長」を巧みに描いています。当今、「社会への巣立ち」という問題がこれほどに描かれている学園物は、なかなかに貴重です。

シリーズ序盤で、ネルリの従者である軍人ナナイとレイチの会話を見ても――

「でも……」ナナイは目を伏せた。「これまで兵士になる訓練しか受けてこなかった私が、これから本地で何をしていけばいいんだろう」
 そんなこと僕にもわからない。活動の方針に従っていれば安定した生活が得られるのかもしれないが、それでも落ちこぼれる者はいる。落ちこぼれる可能性があれば確実にそこで落ちこぼれてしまえるのが僕で、世の中って本当にうまくできてるなと思う。
「お金のために生きるとかどう?」
「お金か……」ナナイは頬杖突いて少し考えにふけった。「お金はないよりあった方がいい。でも、稼ぐあてがない。レイチにはあるか?」
「イ=ウの婿になるという奥の手がある」
 僕が言うと、彼女は笑った。「ワジの話を真に受けたのか?」
 僕はつられて笑うふりをするだけにして、詳しい説明は避けた。
「僕だってどうやって生きていくのかわからないよ。好きなことを仕事にできればいいなと思ったりもするけど。花を栽培して売るとかさ」
「わからないと言いながら、目標が決まっているじゃないか」
「決まってないよ。花なんか売ったって生きていけない」
「では、仕事を別に持って、花は趣味にすればいい」
「まあそうなんだけどさ。やっぱりあこがれるだろ、やりがいのある仕事って」
「それなら、知恵を絞って、花でお金が稼げるような仕組みを考えろ。本地でお金にならないなら、他の国でやればいい。たとえば、シャーリックは花を嫌う。当然、花を売る業者もない。ここに市場を開拓すれば利益を独占できる」
「花が嫌いな国民にどうやって花を売るんだよ?」
「花が必要となるよう、国民の生活を買えればいい。せっかくご学友となれたのだから、殿下に取り入って王家を花で満たし、国民の手本にするというのはどうだ? 王を崇める我が国民は競って花を買うようになるぞ」
 (……)
 (石川博品『耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳』、エンターブレイン、2009、p.177-178)


現実でも就職難の現代、まったく世知辛い話ですが、しかしストレートな青少年の感覚を体現してはいないでしょうか。
こうした話題が出てこないのは、現代日本の中学・高校を舞台にした学園物で「進路」というとまずは「進学」のことである、という事情もあるでしょう。しかしそれだけでなく、学園物というものが自閉的な傾向を見せやすいというのは、おそらく事実です。
「閉じこもり」を打破し、日常を解体することが批評的なテーマとなりうること、いくつかの作品で見てきた通りです。

同作者の『カマタリさん』でも、面白いところは無数にありますが、私の好きなシーンとして、主人公の太一が大学生の由真子を「攻略」すべく大学の授業に潜るところがあります。

 大学って変なところだ。
 由真子さんの出席する授業までは時間があったので、カマタリさんナビに従って「ラウンジ」というところに足を運んだ。
 名前は高級そうだが、薄暗いホールにきったねえテーブルとぼろぼろのソファが並べてあるだけの場所だった。
 俺たちのほかに五、六人が座っている。一時間目の授業ははじまっているはずなのに、こんなところで何をやってるんだろう。
 こういう雰囲気って高校にはない。
 プライバシーというか、ひとりになれる場所がないんだよな、うちの高校って。「ここから先は三年生しか入っちゃダメ」とか「ここは一年生以外いづらいスペース」って感じのテリトリー意識が空気として漂っていて、どこにいても気がぬけない。
 (石川博品『クズがみるみるそれなりになる「カマタリさん」式モテ入門』、エンターブレイン、2011、p.136)


一般に「ライトノベルは中高生の読むもの」で「大学は遠い世界」という前提がありますが(もちろん、異世界を描くこともできるのですから、大学を描くことも可能ではあります)、この辺は「高校生の潜って見た大学の印象」をよく描いています。
多分、いずれに転んでもこの経験は太一の人生にとって無駄にはならないだろう、と思えるくらいに。

『カマタリさん』は一応続きも可能そうな引きになっていたものの、恋愛の方はすでにカップルが成立して締められており、続けるとしたら大きく新趣向を取り込む必要がありそうでした。そのせいかどうか分かりませんが、未だ続刊の出る気配はなし…
しかし、上記の話と以下↓のカマタリさんの台詞を考えると、次は「仕事」か「勉強」をテーマにした話があり得るかとも思ったのですが……

「お金だけが人生ではありませんヨ。二十七世紀に帰ったらこちらでの経験を元に『カマタリ式恋愛術』『カマタリ式仕事術』『カマタリ式勉強術』という本を出版する契約をすでに結んでいて、契約金だけで二億円が転がり込むことになっているのですが、マ、お金のための人生なんてつまらないですヨ」
「濡れ手に粟じゃねーか!」
 俺がいうとカマタリさんは手でふとももをぷるぷる震わせて「フハン」と笑った。
 (同書、p.139)

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
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