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孤独と触れ合い――『銀色ふわり』

今回のライトノベルは少々古く、発行年を見ると2008年ですから、もう4年前のものになります。

銀色ふわり (電撃文庫)銀色ふわり (電撃文庫)
(2008/07/10)
有沢 まみず

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なんとも色が薄く、白い背景の上だと見づらい表紙ですが、しかしこれが的確に内容を表しています。

この作品世界には、――人々には知られていないという設定ですが――他人には見ることも触れることもできない「黄昏の子供たち(Dusk Children)と呼ばれる子供たちが存在します。物理的な現象によるものではなく、その存在が意識に上らない、ということのようですが、とにかく機械を用いて、モニター画像と機械音声を通すことでしか認識できない存在です。
そしてまた、「黄昏の子供たち」の方からも、他者を――というか、あらゆる生物を――認識することはできません。
そんな中で、主人公の安住春道(あずみ はるみち)だけは「黄昏の子供たち」を見て、触れ、また見られ、触れられることができます。
たまたまそのことを見出された春道は、「イエスタデー」と呼ばれる「黄昏の子供たち」の一人と知り合うことになるのですが…

この作品は『シャカイ系の想像力』で取り上げられていたものの一つで、“たとえ誰かと一緒にいても、一切の紐帯が存在しないように感じられる孤独の感情”を描いた一例とされていました。
実のところ、ほとんどそれに尽きていると言ってもいいでしょう。
ただ、そうした孤独の気分に関する例の列挙は上遠野浩平氏の作品辺りから始まるのですが、そうした例と比べても、描かれる孤独の痛切さが抜きん出ているのが、この作品の特徴でしょう。

それから、この作品のビジュアルイメージで印象的なのは、イエスタデー(後に“銀花”と呼ばれるように)の儚げな存在感と、タイトル通りの銀色の髪が大部分を占めます。
それに対し、機械を通して視聴覚によるコミュニケーションはできても、「互いに触れられない」がゆえに「人間のぬくもりを知らない」ことが終盤で主題化してくるのが、つまりはビジュアル以上に触角的な「触れ合い」のイメージに強く訴えるところが、ことのほか印象深い点ですね。

さて、母が家を捨てて逃げ出し、父が自殺したというトラウマが主人公の春道にあることが随所で語られているのを見るとある程度予想できることですが、やはり彼が「黄昏の子供たち」を認識できるのも、そこに原因があるようです。つまり彼も、トラウマゆえに心に壁を作っていたから……ここにあるのはまさしく、孤独な者同士の、孤独を共有することによる紐帯です。

 僕の一人ぼっちがこの子の一人ぼっちと合わさって、僕らが二人、互いに一人ぼっちじゃなくなりますよう。
「たとえ世界が全て見えなくなっても僕は君と居続ける」
 (有沢まみず『銀色ふわり』、アスキー・メディアワークス、2008、p.277)


ただ最後では、いずれ彼の前からも銀花は消えてしまうことが示唆されますが、同時にそれでも「運命に抗う」姿勢も示されて終わりとなります。あるいは続きがあれば、その「運命に抗う」過程が描かれたのかも知れませんが、幸か不幸か続きは出ませんでした。
これは挫折した共同性の物語なのか、それともかすかな希望が点されたのか……

孤独から新たな共同性を探す道はなかなか苦難に満ちているようです。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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