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ゲームと孤独――『All You Need Is Kill』

PCやその周辺機器の動作環境というやつは、その時によって違うようです。
特に、バスパワー接続の機器が小型PCの電力でどこまで動くかは、前回上手く行っても今回は駄目、ということがありますね。
その時には他の機器を取り外したりして色々試すことになりますが……

 ~~~

さて、東浩紀氏の評などを通してすでに結構語ってしまった気がしますが、改めてライトノベル『All You Need Is Kill』を読みました。

All You Need Is Kill (集英社スーパーダッシュ文庫)All You Need Is Kill (集英社スーパーダッシュ文庫)
(2004/12/18)
桜坂 洋

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舞台は(どうやら)21世紀後半頃、人類は「ギタイ」と呼ばれる謎の敵と世界規模で戦争を続けています。
主人公はジャパン統合防疫軍の初年兵、キリヤ・ケイジ。彼はギタイとの初戦闘で戦死しますが、そこで出撃前日の朝に戻るというタイムループを経験、そのまま何回でも続くループに閉じ込められることになります。

(今までさんざん語ってきて今更という感もありますが、以下ネタバレあり)





キリヤはループの原因も脱出法も分からないまま、ループを繰り返す中で訓練と経験を重ね、強くなっていきます。
ループにおいて継続するのはあくまで記憶だけで、肉体の状態はループのためにリセットされるにもかかわらず、経験を重ねて強くなれるというのは、確かに一見すると妙な設定であって、東氏がこれを「格闘ゲーム」でキャラの性能は変わらなくともプレイヤーがコマンド操作を習得することの比喩、と見る(『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』、p.169)のは精確な指摘でしょう。
ただ同時に注意すべきは、本作においてはそれを可能にする設定が練り上げられていることです。

キリヤ達、ギタイと戦う兵士は皆「ジャケット」と呼ばれる強化服を着用して戦います。この「ジャケット」の性能は握力370kg(その他の身体能力は不明)と決まっていて、筋力強化などはあまり意味がないと明言されています(もちろん持久力などは問題になります)。ですから、鍛えるべきは動き方でり、戦闘の勘です。
しかし「動き方」はやはり身体感覚に属するのではないか、と問うことはできますが、「身体能力は固定という条件で、身体の状態はリセットして意識だけを残したら、“動き方”は持ち越せるのか」というのは、現実には意識と身体を切り離せない以上、問うことはできないと言うべきでしょう。

また、タイムループは本来ギタイの能力で、ギタイの「サーバ」を倒してしまったことにより得られたものとされています。いくら空爆してもギタイがそれを回避可能で、白兵戦で手順を踏んで殲滅しなければギタイを倒せない(それゆえに、ジャケット兵が必要である)こともここから説明されます。

設定解説はこれくらいにして、読んでみて強く主題と感じられたのは、やはり孤独でした。
ゲームの比喩で言えば、周囲は全てリセット可能なNPCであり、自分だけが継続した意識を持っている――まさしく「同じ次元にいない」――という孤独です。
このことは、「ゲームが好きです」で始まるあとがきからも読み取れます。

 あれだけの時間と労力をかけたんだ。できて当然じゃねえか。

 わたしを見おろすわたしは言います。
 そのわたしは、趣味の悪いニヤニヤ笑いを顔にへばりつかせています。その場所に到達した者だけがわかる古兵の微笑です。
 なのに、定型句しか言えない、村の長老はほざきやがるのです。
「さすがは×××どの。ゆうしゃの血を引くそなたを、わしはしんじておったぞ」
 クソばかやろう。
 この体には勇者の血などというものは流れておりません。お願いだからほめないでください。わたしはそんなたいしたもんじゃないただの凡人なんです。それに誇りを持ってるんです。ここまで来たのは努力したからなんです。指の皮をひんむいてマメをつくったんです。偶然でも運命でもイヤボーンでもありません。必殺の一撃が出るまで何百回もリロードしたんです。この勝利は必然なんです、だから――勇者なんで言葉でかたづけないでください。
 (桜坂洋『All You Need Is Kill』、集英社、2004、pp.273-274)


ここからは確かに、本作がまさしくゲーム的モチーフに基づいていることも読み取れますが、同時に、次元の違う現実世界での努力は決して伝わることがない、という孤独な悲しみが窺えないでしょうか。

さらに本作の特筆すべきは、キリヤの他にもう一人のループ経験者――「戦場の牝犬」等と呼ばれる対ギタイ戦の英雄である女性兵士、リタ・ヴラタスキ――を登場させているのですが、にもかからず両者が共にループすることはできず、やはり両者はともに孤独であり続けるということです。
この点に関して、「いわば、同じゲームのなかで視点キャラクターとしても選択可能な別のキャラクターが、キリヤのシナリオのなかに、プレイヤーが宿らない一般キャラクターとして現れてきた状況」であり、「そこで出会うのがキャラクターとしての『リタ』でしかなく、その背後にいるはずのプレイヤーとしてのリタには、決して出会えない」(『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』、pp.171-172)ことを表現しているという指摘も正当なものです。

 そのうち仲間が現れることを夢に見たこともあった。(……)
 時のループに巻き込まれる人間が現れるということは、リタ以外の人間が偶然ギタイ・サーバを倒したということである。リタが他の人物を時間の輪の外に置き去りにしたように、その人物はリタを置き去りにして孤独感に震えることだろう。
 その人物と同じ時を共有することはできないけれど、アドバイスを与えることはできる。孤独をわかちあうことができる。二百十一回もの戦いをくり返し、死ぬ思いで見つけだした時のループから脱出する方法を教えることができる。
 (『All You Need Is Kill』、p.187)


しかしこの「孤独をわかちあう」ことすら失われてしまうのが最後の山場なのですが、それは少し後に回しましょう。

さて、東氏も「(……)注意したいのは、ループの経験者に与えられた孤独である」(『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』、p.162)、「彼らは、能力者のままでは孤独を逃れられないことになっている」(同書、p.164)と、この事実を押さえてはいるのですが、しかし氏が強調するのは「生の多様さと、それを消してしまう選択の残酷さ」(同書、p.178)です。
ですが、すでに主張したように(「何が前提とされねばならないか」)、「プレイヤー」に当たるループする人物の孤独は、まさしくプレイヤーの生だけはただ一つ連続していることに依拠しているのではないでしょうか。そして、他の「NPC」達の生がループの数だけ多様であり得るのは、「プレイヤー」の生の一回性の上にしか成り立たないはずです。

※ ここで(ゲームの比喩から)、他にもプレイヤーはいるのであって、プレイヤーの数だけ生(=プレイ)は多様であるはずだ、と言うのなら、それは他のプレイヤーという同じ次元にある他者を持ち出すことになります。しかし、まさに「他者なき生の孤独」が問題になっている時に、「他者がいるはずだ」と主張するのは論点先取です。(「他者なき孤独」からいかにして他者へと到達し得るか、は確かに論じる対象となり得るでしょうが)

とは言え、この小説は全4章の内第3章のみがリタパートで、他の章はキリヤの一人称という構成になっていますが、両パートでのトーンは若干異なっていることは事実です。
リタパートより――

 リタは理解した。
 これが戦争というものなのだと。
 戦闘が起きればかならず人は死ぬ。時のループを手に入れたリタは、これから先、ある程度の人物を助けることはできる。しかし、代わりに、誰かが死ぬだろう。死んだ人間には父親がいて母親がいて友人がいて、もしかしたら弟や妹や恋人や子供たちがいる。二百十一回めのループをもう一度やりなおすことができれば、ヘンドリクスを救うことはできるかもしれない。だけれど、他の誰かがかならず死ぬのだ。たったひとりループに巻き込まれたリタ・ヴラタスキは、誰かを見殺しにしなければ明日へと進むことができなくなってしまった。
 (『All You Need Is Kill』、p.168)


ここでは死んだヘンドリクスに対するリタの気持ちも控えめにしか描写されていませんし、問題になっているのは「このヘンドリクスを失う」ことよりもまず、二万八千人もの死者が出る戦争においては「誰かがかならず死ぬ」という事実です。そして、死ぬのは他の誰かでもあり得るというのは確かに、「誰でも良かった」という無差別の残酷さを顕わにします。
しかも、ループすれば誰が死ぬかを変えられる可能性があるけれど、リタがループからの脱出を決めた時の使者だけは決定的であるという点で、ループする人物であるリタは何万の生殺与奪を背負うことになる、という重みもまた表現されています。

にもかからず、東氏の「生の多様さと、それを消してしまう選択の残酷さ」という表現に疑問を感じるのは、まるで「多様」である方が良いような言い方です。一つより多い方がいいとは限りません。
何より、生はいつから「多様」であったのでしょうか。
キリヤパートにおいては、キリヤが違いを生じさせるような行動を取らなければ、食事のスープの跳ね方までも同じであることが描写されています。「他のようである」可能性は、タイムループによって初めて生まれたのではないでしょうか(タイムループは元々ギタイの能力であり、ギタイは前のループの記憶を引き継いでいるので、その行動は当然前のループとは異なります)。

より決定的なのは、やはりキリヤパートである第4章のクライマックスです。
リタとキリヤのどちらかが生き残っている限りループを脱出できないことが明らかになり、二人は殺し合うことになります。そしてキリヤが勝利するのですが――

「勝つだなんて……このままずっと繰り返せばいいじゃないか。時は前に進まないけれど、ぼくときみはずっと一緒にいられる。いつまでだって。ひとりの人間が過ごせる一生分よりも長い時間一緒にいることだって可能だ。毎日戦争があってもぼくらならだいじょうぶだよ。何千何万のギタイが襲ってきたってかまやしない。リタ・ヴラタスキとキリヤ・ケイジがいるんだ。きっと切り抜けられる」
「同じ一日をか? 毎朝おまえは、見知らぬリタ・ヴラタスキと会うのだぞ」
 (同書、p.258)


これはまさしく、「リタを死なせてループを脱出しようと、次のループに入ろうと、“この”リタを失うことに変わりはない」という状況です。「このループ」を繰り返したわけではなくとも、同じ孤独を知っているはずの相手を失わねばならない孤独――

それから、この作品が「ゲーム的リアリズム」によって描かれているとすることに疑いはないとしても、メディアの違いに関してはなお気になるところがあります(「メディア形態の自覚」参照)。
ゲームにおいてゲーム自身の構造をメタ的に取り込んだ設定が登場することにより、――たとえば東氏が『ONE』に関して、佐藤心氏の評を引用して書いているように――プレイヤーが自分の「現実」を感じさせられるというのはよく分かります。しかし、小説においてゲームの隠喩が登場しても、読者はそれをただちに切実なこととして感じられるでしょうか。
『All You Need Is Kill』はハリウッドで映画化の話も出たとかで、手持ちの版(2011年9月発行の第7刷)の帯には「世界が認めた名作!!」とあります。はたして世界中の読者が、「自分がゲームをプレイしている時の現実」をここに重ね合わせて感動したのでしょうか。
少なくともゲーマーでない私にとって、それは容易なことではありませんでした。

むしろ順番としては、他者が存在しないかのごとき孤独の感情が切実なものであればこそ、読者はゲーム的あり方の内の孤独を切実なこととして見出すことができた、という可能性はないものでしょうか。

最後にもう一つ。この小説のイラストはカラー口絵と各章の扉くらいで、ヒロインであるリタのイラストも少なく、「萌え」からは遠いものと思われますが、キャラクターはいい味を出しています。私が一番好きなのは、もしかするとフェレウ軍曹かも知れません。
歴戦の軍人である彼は、百数十回のループの間繰り返しキリヤのトレーニングの相手をするのですが、もちろんループのたびにリセットされる彼自身はそんなことを知りません。ただ現場でこの初年兵の実力を見て取り、そして最後に転属になったキリヤを見送ります。
『魔法少女まどか☆マギカ』のマミの場合もそうですが、師と仰がれる人は、自分がそんな大物を育てたとは知らない――

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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