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萌えマッチポンプ

まずはこの著作を。

ベストセラー・ライトノベルのしくみ キャラクター小説の競争戦略ベストセラー・ライトノベルのしくみ キャラクター小説の競争戦略
(2012/04/10)
飯田一史

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今回は必ずしもこの本の詳細な紹介をするつもりではありませんが、とりあず簡潔に触れておくと、本書の著者は元々ライトノベルの編集者で、しかも売り上げ上位のライトノベルをもっぱら読んできたとのこと。その上でまさしく「ベストセラー・ライトノベル」の特徴を分析をしています。
もっとも、焦点は個々の(ベストセラー)作品の個別的特徴を分析することであり、その点で「経営学の手法を用いてはいるが、あくまで文芸評論の書である」ことを標榜してもいます。しかし他方で、「ニーズに応え」売ることを目指していることをライトノベルの特徴としつつも、売れていることと文学的価値がイコールでないことも認めているわけでして、その点――何より、両者の関係を――をどう考えるか、というのは一つの問題です。とは言え、それはまたの機会としましょう。

とにかく、本書は『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』や『僕は友達が少ない』に代表される「残念系」にも一節を割いて論じています。
「可愛い美少女なのにオタク」といった「ギャップ」がこうした「残念系」の惹きつけるポイントとされますが、ただこれは真似しやすいものでもあり、後発が大量に生じるジャンルとなってしまった、ともあります。
もっとも、後発が発生したからといって上記の作品(個人的な評価点では特に『僕は友達が少ない』)の価値が相対的に減じたかというと疑問もあるわけでして、著者の挙げる要点の一つでもある「差別化要因」に関しては、もう少し微妙なものもあるのではないかと思われますが、まあそれもひとまずは置いておきましょう。
いずれにせよ、この話に従えば、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』および『僕は友達が少ない』辺りが「残念系」の先駆的作品ということになります(私も今のところ異論はありませんが、チェックされている作品があるやも知れずでこういう表現になりました)。

さて、『這いよれ!ニャル子さん』のニャル子もオタクです(そもそも、地球産のエンターテインメントは宇宙で人気という設定なので)。もっとも、途中からオタクネタはクー子の担当比率が上がっている感もありますが…
アニメのニャル子はいっそう可愛く描かれているというのもありますが、とかく今見ると、これも普通に「可愛い」設定の一つに見えてします。
しかし、『ニャル子さん』原作の登場は2009年、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(2008年)や『僕は友達が少ない』(2009年)と時期的には近いものです。「残念系」がメジャーになる以前、この設定は本当に「可愛く」思われるべくして描かれていたのか、どうか。

『ニャル子さん』を観た外国人の反応として「日本人はクトゥルーまで萌え化してしまうのか」という驚きが(案の定)あったようですが、この「萌え化する」能力ははたして製作者に属しているのか、それとも鑑賞者に属しているのでしょうか。
より厳密に言えば、「萌え」は対象の性質に属するのでもなく、主体(萌える人)のみに属するのでもなく、全体を包摂する関係が問題になるとする私の立場からすれば、このような問いの立て方は不適切なものです。ただ少なくとも、「全体を包摂する関係」を考えるならば、鑑賞者も「萌え化された対象を受け取るだけ」とは言えません。
(このように考えならば、外国人鑑賞者も「萌え化する日本人」に対しまったく外的であるとは言えないことになりますが、それは(おそらく)公式の翻訳もつかない内に日本のアニメを観ている時点で、そう驚くことでもありません)

これは“E.T.は本当に可愛いのか”という問題にも似ています。あの異星人が子供たちと交流する姿を見た後だと、愛着も湧いてきますが……

もちろん、「慣れれば何でも萌えるようになる」とはいきません。より良い萌えの対象とそうでない対象が存在することは誰しも認めることです(そもそも、商業的な世界では、最初に満足を与えなければ慣れるまでついて来てもらえないでしょう)。
しかし、萌えは我々の歴史に大いに依存するというのも、おそらくは事実です――「萌えキャラ」ではないものの、さんざんな評価から一周回って人気を得た「せんとくん」と同様に。

このように考えると、「萌えばっかりでもう食傷気味だよ」という時、実は我々は「萌え化する力能」を自分で発揮して自分で否定するというマッチポンプをやっているのではないか、という疑惑も成り立ちます(これはもちろん、「製作側は萌えを狙っていない」という意味では必ずしもありません)。
このマッチポンプ構造こそが萌えの本質だ、というのなら、まったくなるほど、と思うより他ないのですが。
あるいはこれを自己否定による発展、とカッコ良く言い換えてみるとか――ギャップ萌えというのも似たようなものかも知れません。


P.S. 当初この記事を書いた時にはライトノベルのことのみを考えていましたが、他のジャンルにも話を広げるなら、「オタク系女子」キャラ(と言うべきでしょうか?)の系譜はもっと遡るかと思われます。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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