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女学生文化と制服問題

当初は偶然だったのですが、先だって触れた新書『女学校と女学生』、それに小説で谷崎潤一郎『痴人の愛』田山花袋『蒲団』を立て続けに読んでいます(一部は読み終わっていませんが)。

痴人の愛 (新潮文庫)痴人の愛 (新潮文庫)
(1947/11/12)
谷崎 潤一郎

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蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)蒲団・重右衛門の最後 (新潮文庫)
(1952/03)
田山 花袋

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内容をご存知の方はお察しかも知れませんが、共通するテーマは「明治~大正の女学生(あるいはその年代の少女)」です。
先に確認しておきますが、当時の高等女学校というのは尋常小学校卒業後に進学し3~5年在籍するところでしたから、今の中学~高校の年代に当たります。

 上京して東京の女学校に通う女学生が、恋愛や性関係によって「堕落」していくというのは、菊池幽芳(ゆうほう)の『己が罪』(一八九九~一九〇〇年『大阪毎日新聞』連載)や小杉天外の『魔風恋風』(一九〇三年『読売新聞』連載)など、当時話題の小説においても共通のモチーフとなっている。(……)女学生と帝大生の恋愛を挫折を描いて話題を呼んだ『魔風恋風』は、連載された『読売新聞』を増刷するほどの人気を得た小説であった。海老茶の袴に白いリボンを靡かせながら、ヒロイン萩原初野が自転車で登校してくる冒頭の場面は、颯爽とした女学生風俗が印象的である。
 (稲垣恭子『女学校と女学生―教養・たしなみ・モダン文化』、中公新書、2007、p.121)


『魔風恋風』の初野と同じ海老茶袴に靴、リボンを結んだ束髪といういわゆる「女学生スタイル」は、ちょうどこの時期に東京の女学生の間で流行し始めていた。
 (同書、p.125)


すでに言った覚えがありますけれど、この「女学生スタイル」、髪型とリボンはともかく服装の方は、今となっては漫画『はいからさんが通る』の影響で、もっぱら大学の卒業式でのみお目にかかれるスタイルですね(和装に靴というのは他ではほとんど行われないコーディネートというのがポイント)。

1903年は明治36年。田山花袋『蒲団』はその4年後、1907年の発表です。30代の作家とその弟子となった女学生の恋愛に関わる話ですが、今回はひとまず本筋の話はなしです。

(……)基督教の女学校は他の女学校に比して、文学に対して総て自由だ。その頃こそ「魔風恋風」や「金色夜叉」を呼んではならんとの規定も出ていたが、文部省で干渉しない以前は、教場でさえなくば何を読んでも差支えなかった。(……)
 (……)今は時代が移り変った。四五年来の女子子由行くの勃興、女子大学の設立、庇髪、海老茶袴、男と並んで歩くのとはにかむようなものは一人も無くなった。
 (田山花袋『蒲団・重右衛門の最後』、新潮文庫、2003(改版)、PP.17-18)


ここにも登場する『魔風恋風』という小説の人気が窺い知れるかと思います(ちなみに、当時の女学校では小説読書を禁ずるケースが多かったということも『女学校と女学生』の第一章「文学少女」に詳しい話あり)。

他方、『痴人の愛』は1925年(大正14年)の発表。本作のヒロインではるナオミは女学校には通わずカフェの女給をやっていた15歳の少女ですが、主人公に引き取られて習い事に通うようになります。

(……)ナオミは銘仙の着物の上に紺のカシミヤの袴をつけ、黒い靴下に可愛い小さな半靴を穿き、すっかり女学生になりすまして、自分の理想がようようかなった嬉しさに胸をときめかせながら、せっせと通いました。
 (谷崎潤一郎『痴人の愛』、新潮文庫、1985(改版)、p.27)


もう海老茶にこだわってはいませんが…
「何しろお前は日本人離れがしているんだから、普通の日本の着物を着たんじゃ面白くないね。いっそ洋装にしてしまうか。和服にしても一風変わったスタイルにしたらどうだい」(同書、p.48)といった発言を見るに、当時洋装の女子があまり一般的であったとは思われません。

ちなみに、女学校というものの創設が始まった時期である明治10年代は鹿鳴館の時代で、女学校に通うような上級階級の娘たちの間では洋装が流行っていたという話もあり(『女学校と女学生』第4章「ミッション女学生」)。

私は何かとビジュアルイメージを気にするので、こうした服装のような目に見える風俗には注目したくなります。
そしてそろそろ疑問が出てこないでしょうか――制服はいつ登場したのか、と。

 一九二〇年あたりからは、自治活動、課外活動、スポーツなどの充実や科学思想の導入など、高等女学校の教育の方針や内容にも変化が現れていった。体育の奨励によってスポーツや野外活動、遠足などにも力が入れられるようになり、テニスやバスケットボールに打ち込む「スポーツ少女」も生まれていった。一九二〇~三〇年代にかけて採用され定着していった洋装制服(いわゆるセーラー服)やブルマーは、このような「スポーツ少女」の出現を可能にしただけでなく、女学生を弱々しい優美さや美しさといった旧来の「女性美」から解放し、健康的で活発な女学生へとそのイメージを変えていくことにもなったのである。
 (『女学校と女学生』、p.136)


一九二〇~三〇年代といえば大正末~昭和初期。
洋装制服はおおむね昭和とともに始まったと言えるでしょうか。

さて、今でも多くの中学・高校において制服が採用されています。
これは管理だ押し付けだと言われることもありますが、あまり大きく問題になることはめったにありません。
私の中学時代には「制靴・制鞄の撤廃」は生徒会選挙における人気公約の一つで、制服まで廃止を主張する候補者もしばしばいました。私はそれに熱心になる気持ちがあまりよく分かりませんでしたが……しかし制服が普段から着ていたいものかというとそうでもなく、帰れば着替えていたのも事実。

漫画やアニメでも、皆が制服を着ているととりあえず「学園もの」という雰囲気になりますね。逆に私服の学校だとかえってそれが特別な設定のように見えたりします。個々の制服の特徴に校風が現れているという例は少ないように思われるというのに……

はたして制服というのは何らかの管理であったのか、それで管理できるものとは一体何なにか――この辺はまた探求が進めば書くかも知れません。

 (おまけ)
そう言えば、大正の女学校を舞台にしたライトノベル(と言っておきましょう)『大正野球娘。』のメンバーは、着物とセーラー服が混在していましたね。

大正野球娘。 (トクマ・ノベルズedge)大正野球娘。 (トクマ・ノベルズedge)
(2007/04/17)
神楽坂 淳

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当初は偶然だったのですが、先だって触れた新書『女学校と女学生』、それに小説で谷崎潤一郎『痴人の愛』と田山花袋『蒲団』を立て続けに読んでいます(一部は読み終わっていませんが)。痴人の愛 (新潮文庫)(1947/11/12)谷崎 潤一郎商品詳細を見る蒲団・重右衛門の最後 (...
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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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