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「存在する(実在する)」とはどういうことか

> ポール・ブリッツさん

私も、この点に関してはやはりベルクソンに多くを依拠しています。
ただ、今回はベルクソンの考えを直接にぶつけるのではない方向で書きました。

少しおまけの話をしますと、カントは人間の認識能力の枠組みの内、「感性」の形式は時間と空間であるとしましたが、『意識に直接与えられたものについての試論』におけるベルクソンはカントの考えていたのは「空間化された時間」であるとして、感性の形式としては空間のみを認め、時間(「純粋持続」)にはそれに収まらない独自の実在性を主張しました。
その後、「空間」に関するベルクソンの考えはかなり変化を見せますが、(物体の広がりとイコールではない)「等質的空間」という枠組みこそがいわゆる科学的認識(カントが「認識」として考えていたもののモデル)を成り立たせるものであるという考えは『創造的進化』辺りでますます確立されていくように思われます――そこから抜け落ちるものが「純粋持続」であるということとセットで。


そんなわけで、前回の続きです。
デイビスはこう書いています。

 これまでに多くの哲学者がいわゆる時間の経過について考察し、同じ結論に達している。この概念は自己矛盾しているというのだ。
 (P・デイビス「時は流れない」『別冊日経サイエンス No.180 時間とは何か?』、日経サイエンス社、2011、p.13)


デイビスが特に言及するのは分析哲学におけるこの方面の大物・マクタガートで、時制と経過に関する記述を消して時刻とその時の状態を列挙したものに書き換える、という議論(前回の4番目の引用)も、マクタガートに関するものです。
マクタガートの「時間は実在しない」という議論の紹介とそれに関する詳細な議論は入不二基義氏が『時間は実在するか』で行っています(『時間と相対と絶対と』にもさらにその続きあり)。

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入不二氏の論は「実在する」という言葉の意味は5通りは考えられ、マクタガートの用法が必ずしも一貫していないことなど詳細かつ明解なもので、「時間は実在しない」という証明が必ずしも成功していないことの指摘を通し独自の議論をも提示しており、この1冊か2冊を読めばこの論に関しては十分ではないかと思われます。
実を言えば、「なぜ『時間は実在しない』という結論になるのか」という一事に鍵って言えば、マクタガートは「実在」を「永遠性」の意味で考えている面が強い、という指摘のみを挙げれば事足りるくらいです。
「実在」とは「永遠性」であるから、時間的「経過」は「実在しない」――これならほとんど前提の内にあったことを引き出しただけです。

こうした前提は、デイビスの論にも引き継がれているように思われます。

(……)時間の矢は、この世界が時間について非対称であることを表しているのであって、時間そのものの非対称性や流れを意味してはいないのだ。
(……)時間の非対称性は時間そのものの特性ではなく、実はこの世界の状態が持つ特性だとわかる。
 (同書、p.15)


「世界」から独立して「時間そのもの」の経過が存在していなければならない、世界から独立していなければまったく存在しない、と言わんばかりの調子は、よく考えるとかなり奇妙なものですが、ここに物理学の思考習慣がよく表れています。
何かが起こり、物事の状態が変化する時、それは法則に従って起こったと考え、その「法則」を探求するのが物理学――というか、自然科学全般の仕事です。
世界の状態は変化しても、「法則」は変わらない――と想定されています。
結局、「永遠不変の法則」という背景の中に「世界」があるようなイメージに行き着くことになります。

 私が物理学の研究を始めた時、私たちが自分たちの周りに見ている世界の背後の実在は何らかの美しい数学的法則によって形成されており、その法則は永遠に存在していて、私自身のような短命で小さな生物の存在を超越しているのだと想像していた。これは私が青年期にアインシュタインを読んだ時に学んだイメージだった。成長し、徐々に物理学者となっていくにつれて、こうした見方に魅了されたのは自分が最初ではまったくないことを学んだ。プラトニズム――移ろい行く知覚可能な世界の背後にある永遠で抽象的な世界の探求は、古代から現代まで物理学者と数学者たちの探求を推進してきた。(……)
 (Lee Smolin, The Life of the Cosmos, New York, Oxford University Press, 1997, p.15 〔リー・スモーリン『宇宙は自ら進化した―ダーウィンから量子重力理論へ』野本陽代訳、日本放送出版協会、2000〕)


スモーリンは永遠の世界のような「背景」を考えずに「宇宙全体」を考察する物理学はないのかと問うていますが、本書は可能性を問う書に留まっており、新たな物理学を提示するには至っていません(なお、スモーリンも理論物理学者です)。
が、いずれにせよ、「永遠不変の法則」を探求する物理学の成果をいかに認めるにせよ、「永遠不変のもの」だけが真に存在するものだ、と言われたら、ちょっと待った、と言いたくなります。
それは根拠ある主張ではなく、単に前提されているだけです。


ところがここでどんでん返しがあって、現代物理学の中でも量子力学においては、「波動関数の収縮」は完全に不可逆で、反対に空間はそれほど重要ではありません(量子力学の解説については、一応「量子力学とシュレディンガーの猫」を参照)。これが相対性理論と量子力学の統一理論を困難にしている大きな要因です。

 多くの可能性がどのようにして唯一の現実へと遷移するのかについては、物理学者の間に意見の一致はない。ただし、多くの物理学者は、この遷移が観測者の意識に関係していると関係している。観測という行為そのものが自然を確定させることにつながっているからだ。オックスフォード大学のペンローズ(Roger Penrose)ら数人の研究者は意識(時間の流れという心象を含む)が脳内の量子過程に関係していると考えている。
 (P・デイビス「時は流れない」『別冊日経サイエンス No.180 時間とは何か?』、p.17)


この記述は誤解を招きます。「意識に関係して」「観測という行為そのものが自然を確定させる」というのは、意識が事態を「観測」することで波動観測が収縮する、という一般に流布した解釈を思わせますが、ペンローズはこれに批判的です。理由は明快、なぜ意識だけがそんな特殊な性質を持っているのかは何らか説明されないままで、つまり説明になっていないからです。

実はここで導入された意識というのは、客観的存在者の一種のような顔をしていますが、客観的世界の描写に当たって排除されたはずの「主観」なのではないでしょうか。
もちろん、意識を持った存在者はそうではない存在者と比べて、客観的に見ても異なる性質を持つという可能性は、当然考えるに値するでしょう。しかしその場合、「なぜ意識はそんな特殊な性質を持つのか? それはいかなる法則によるのか?」と、物理学者なればこそ問わずにはいられないはずです。
そしてその場合、客観的世界の内にはやはり「時間の経過」が存在することになります。

にもかかわらずデイビスは、時間の経過は主観的なものであって客観科学としての物理学からは排除されるという立場を堅持しつつ、量子力学については「意識」のせいにして説明した、と言わんばかりです。
しかしそれでは、量子力学は――客観科学たる物理学としては――「見せかけの学」ということになるのでしょうか?

ここでは主観を客観的存在者の一種のように見せかけて密輸入しつつ、それをアンタッチャブルとして切り離すという誤魔化しが行われています。


最後に、前回「相対性理論においては「何と何が同時であるか」は観察者の速度によって異なるので、「宇宙全体の客観的な“今”」を言うことができない」と書きました。
しかし、それぞれの存在者によって異なるからといって、「現在」が「存在しない」ということになるのでしょうか。客観主義の立場に立つのであってさえ、これは性急な判断に過ぎた可能性はないでしょうか。
そう問うて、この話の締めとさせていただきます。


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コメント

No title

「客観的な『今』」を問うことはできませんが、世界がこうしてわれわれの前に現前してある以上、必然なものは必然だとわたしは考えます。

さすがに量子力学を無視するわけにはいきませんが、それでも「自由意志は存在しない」と思っています。

とりあえず追記として。

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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