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皆馬鹿な男なのだから……

通年の授業は前期末の試験あるいは課題がないこともあり得ますし、前期末にはどのくらいの試験/課題があるのか、まだ分かりません。
仮に、課題を乗り切るだけなら何とでもなるとしても、勉強しておくべきこととなるとさらに山積みですが…

西田幾多郎の日本語は並大抵のフランス語より分かる気がしません。もちろん、主な原因は何語かではなく、内容と論述スタイルにあるわけで……

善の研究 (岩波文庫)善の研究 (岩波文庫)
(1979/10)
西田 幾多郎

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ジャック・ラカンの曰く、自分を王だと言う狂人は狂人である、しかし自分を王だと言う王もまた狂人である、と。
実際、周りの誰もが彼を「王」と認めるなら、「王」を自称することは何もおかしくなくなるのですから。そして「自分は~~である」というアイデンティティの形成そのものには本質的な差異はないというのがラカンの洞察でした。

そうしたことを思い返すと、前回紹介した『トカゲの王』の3巻最終章のサブタイトルが「うそつきはおうさまのはじまり」となっていたのは実に示唆的です。
公衆の前で「奇跡」の演出を見せた時点で、石竜子が「特別な人間」だとか「王」だとかいうのは「痛い中学生の発言」を超え、信奉者候補にとっては本当のことになり始めています。裏を返せば、王になるとは皆を(「自分は王だ」という)中二病の世界に巻き込むことと見付けたり。
ただしそれは、石竜子自身にとってはむしろ、厳しい現実と向き合い、成長する過程と一体のものなのですが。

中二病と計算高い大人の発言、演出と本音が転倒し、ひょっとすれば区別しがたくなる境地は、『羽月莉音の帝国』の春日恒太がすでに見せてくれていたものでもありました。
いずれの場合でも、「“中二病”的願望が実現される話」というより、それがいかに中身のないデタラメであるかをよく分かっている――ある種シニカルな――視点から、そのデタラメが“現実であるかのような”力を持ってしまうところを描いているのが一つのポイントですね。


そんなわけで、『トカゲの王』の話が続きます。
さて、前回も触れましたが、本作のヒロイン巣鴨は、他人を利用し、危害を加えることに何の呵責もない、おそらく作中最大の悪人です。入間氏の作品において倫理観の欠如した人物は珍しいものですが、それにしてもこれだけ大規模に人を利用する実害の大きな人物はかつて例がなかったのではないかと思えるほどに。
石竜子自身、自分が酷い目に遭ったことにどれだけ巣鴨が関わっているか、薄々は気付いていて、巣鴨を見れば怯えるほどです。大金持ちで最強クラスの超能力者をも雇える巣鴨なら大概のことはできると知りつつ、後の代償が怖いので自分から巣鴨に頼る気にはなれません。
にもかかわらず――

 巣鴨涼は胡散臭い。けど、こいつの能力がなければ俺に後ろ盾はない。
 それになにより、俺は巣鴨のことを女の子として意識しているから、嫌いになれないのだ。
 小学四年生のあの日から、キスされた瞬間から、特別な場所に居座ってしまっている。思えばあのときから巣鴨は、何年も先のことを見越して俺に好きだと言ったのかも知れない。
 (入間人間『トカゲの王I ―SDC、覚醒―』、角川書店、2011、p.275)


馬鹿なのは間違いありません。同時に、巣鴨に復讐を誓うナメクジと復讐を考えない石竜子を分かつものは、ほとんどこの一点にしかありません。
しかも、巣鴨は「考えるのが好きではない」と形容されており、さてここで石竜子が疑うほどの深謀遠慮があるかは疑問な面もあるのですが……

こんな話は古くから事欠きません。

読者諸君よ、ここで私が突然妙な話をし出すのを、どうか笑わないで聞いてください。と云うのは、嘗て私は中学校にいた自分、歴史の時間にアントニーとクレオパトラの条を教わったこおtがあります。諸君も御承知のことでしょうが、あのアントニーがオクタヴィアヌスの軍勢を迎えてナイルの河上で船戦をする、と、アントニーに附いて来たクレオパトラは、味方の形勢が非なりとみるや、忽ち中途から船を返して逃げ出してしまう。然るにアントニーはこの薄情な女王の船が自分を捨てて去るのを見ると、危急存亡の際であるにも拘わらず、戦争などは其方除けにして、自分も直ぐに女のあとを追い駆けて行きます。――
「このアントニーと云う男は女の尻を追っ掛け廻して、命をおとしてしまったので、歴史の上にこのくらい馬鹿を曝した人間はなく、実にどうも、古今無類の物笑いの種であります。英雄豪傑もいやはやこうなってしまっては、………」
その云い方が可笑しかったので、学制たちは教師の顔を眺めながら一度にどっと笑ったものです。そして私も、笑った仲間の一人であったことは云うまでもありません。
 (……)
私は今でもあの時の教師の言葉を胸に浮かべ、みんなと一緒にゲラゲラ笑った自分の姿を想い出すことがあるのです。そして想い出す度毎に、もう今日では笑う資格がないことをつくづくと感じます。なぜなら私は、どういう訳で羅馬の英雄が馬鹿になったか、アントニーとも云われる者が何故たわいなく妖婦の手管に巻き込まれてしまったか、その心持が現在となってはハッキリ頷けるばかりでなく、それに対して同情をさえ禁じ得ないくらいですから。よく世間では、「女が男を欺す」と云います。しかし私の敬遠によると、これは決して最初から「欺す」のではありません。最初は男が自ら進んで「欺される」のを喜ぶのです。惚れた女が出来て見ると、彼女の云うことが嘘であろうと真実であろうと、男の耳には総べて可愛い。(……)
 (谷崎潤一郎『痴人の愛』、新潮社、1985(改版)、pp.65-67)


問題は、『痴人の愛』の主人公は大怪我をしたり死んだりしているわけではないという実害の差だけです。

ここでさらに思うのですが、現代のオタク系コンテンツで、たとえば「残念系」等と言われるものに関して、ヒロイン達は「残念」と言いつつ十二分に「可愛い」のであり、そうした美少女達に囲まれる主人公は「リア充」であると言われます。
それは多くの場合まったく正しいのですが、他方でヒロイン達の人物造型は現実にいたらやはり関わりたくない、と思われるのも、往々にして事実です。

まあ、読者という第三者の立場で「萌えて」いる内はいいでしょう。自分が被害を蒙るわけじゃありませんし。
しかしやはり、多種多様な形で現実には関わりたくないようなヒロイン達が「可愛く」見えてしまうのは、「自ら進んで『欺される』」男の心理そのもののように思われてきます。

入間氏の場合、必ずしも「可愛い」と思ってもらう意志なしに書いていると思われる時があって、それゆえに上記の事態が極端な形で表れてしまうのかも知れませんが。
それでも、巣鴨というヒロインに魅力を感じられる可能性は読者に対し開かれています。


イラストの話も少々。
イラストレーターは同レーベルの前作『電波女と青春男』に続きブリキ氏です。
『電波女と青春男』の場合、現代日本の(表向きは比較的現実的な設定の)学園物で髪型や服装などで極端な特徴付けがないこともあり、人物の描き分けの弱さが出ていた感がありました。高身長が特徴の前川さんも、比較対象のない一枚絵だと今ひとつその特徴が見えにくいですし……
同じくブリキ氏のイラストによる『僕は友達が少ない』が金髪や銀髪・シスター服やゴスロリで分かりやすく特徴付けしているのを見るとなおさらそれが目立ちます(こちらも、眼鏡を外して以降の理科は夜空と区別が付かないことがよくありますが…)。

『トカゲの王』も基本的に、登場人物の大部分は黒髪の設定ですが(目の色を変えたり白髪のカツラを被ったりで演出しているのはいますけれど)、以前よりは差別化が成功しているようにも見えます。
巣鴨の「斜めに切りそろえた前髪」等々、(1巻に記述があったか否か、全ては確認できていませんが)イラストから本文中に逆輸入されたと思われる特徴もところどころにありますし。
何より巣鴨の服装。

トカゲの王 巣鴨
 (『トカゲの王I ―SDC、覚醒―』、カラー口絵)

本文には「露出の多い服装」とあるだけでこれです。これで外出着です。
ある意味で合っている――というのは、巣鴨の狂気に合っているという意味で、ですが。


最後に、入間氏の作品で殺し屋というと思い出すのは、『探偵・花咲太郎』シリーズに登場する木曽川でした。
シェアドワールドと言うか、他作品の登場人物が出演することの多い氏の作品ですが、この方面でリンクする気配はなし。タイムスリップの類のある『時間のおとしもの』にも花咲が出演したくらいなので不可能ではないかと思いましたが、今回は世界観が違うようで。

「こないだ遺跡観光ツアーに参加してきたんだけどさ、ほら現人類の始祖が住んでたっつービル群とこ。行ったわけよ。でも見るもんなくて参っちゃうよな。なんか猫がいっぱいすんでいたけど、ああいう動物嫌いだしさ。飯もイマイチだったし、なにより若い子ほとんどいねーの」
 (入間人間『トカゲの王III ―復讐のパーソナリティ〈下〉―』、角川書店、2012、p.255)


この世界は未来のようです(それにしては漫画やらライトノベルやらポケモンやらのネタが頻出するのは気になりますが…)。
そして3巻発売とほぼ同時期に、「小説(執筆)、コミック(原作)、アニメ(原作&脚本)、音楽(作詞)すべてを入間人間が担当する」という大企画『アラタなるセカイ』について発表されました。
ふたたびタイムスリップが絡んだ話で、過去編・現在編・未来編をそれぞれ別メディアで展開する模様。
こっちにはリンクしてくるかも知れません。

 『アラタなるセカイ』 公式サイト

この大企画、どう転ぶやら分かりませんが、氏のタイムスリップ物はかなり面白かっただけに期待したくなりますね。

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テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

コメント

「善の研究」は、歯を食いしばって読んだ覚えがありますけれど、さして間違ったことは言ってなかったような。

叩く人が多い「絶対矛盾の自己同一」にしろ、ヘーゲル弁証法の影響が如実にうかがえますし、哲学における「動き」の説明としては斬新なアイデアだと思います。(「善の研究」には出てきてませんが……)

美学論としてもうなずける部分がありますし、嫌いではないですね。

名著だと思います。

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プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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引用もフリーです(出典明記していただけるとより有難いですが)。

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