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続・この世界の「作者」

今更のようにカレンダーの意味を理解しましたが、どうも月曜日に祝日が多い分、他の曜日に月曜日の補講をやるようです。
とは言え、非常勤の先生は他の仕事との兼ね合いで来られるとも限らないわけで……
毎回課題のある授業なんて、連続したら大変ですね。特に月曜日に受講している授業が多い場合……
いや、休み明けの月曜の授業なんてそうそう取らないはずだ、と学生気質を読んでいるのか。

 ~~~

前回記事の補足)
一つ注意点として、デカルトの言う「思う(考える)」は、必ずしも集中して考えるとかいった意味に限られません。
以下の文章も、見聞きし感じ考えている全ては幻ではないか、という懐疑を受けてのものです。

(……)明らかに私はいま光を見、喧騒を聞き、熱を感じているが、私は眠っているのだから、これらは虚偽である。しかし見ている、聞いている、熱くなっているとたしかに思っていること、このこと自体は虚偽ではありえない。これこそ本来、私において感覚すると呼ばれていることである。そしてこのような厳密な意味では、これは考えることにほかならない。(……)
 (デカルト『省察』山田弘明訳、ちくま学芸文庫、2006、pp.50-51)


「感覚する」と「考える」がほぼ同義とされていること、さらに「見ている、聞いている、熱くなっているとたしかに思っている」の「思っている」は原文では「見る(video)」の受動形 videor で、「~と見える、思われる」の意味であることに注意されたし。

というわけでここでの結論。
「われ思うゆえにゆえにわれあり」とは、たとえ私が「何をどう思っているか」は私を超えた何者か(神なり悪しき霊なり作者なり)によって作られ、操られていようとも、少なくとも「思っている私」が「何ものでもな」くなることは決してない、という意味であり、したがって茜子が当初考えたのとは逆に、「考えて(思って)いるのは私だから、他のもの(作者)によって“思わされている”のではない」どころか、「いくら私が思っていようと、それが他のもの(作者)の手によることである可能性は、決して論駁されない」となります(積極的な神の存在証明を認めるかどうかは、また別にしても)。

見方を変えると、常識的には「思っている」のは私であって、他人ではありません(思っている内容が他人と一致することはあっても)。しかしそれは私と他人との水平的な関係の事柄であって、「一つ上の次元」の「作者」との垂直的な関係においては、「自分で思っているのか他のものに思わされているのか」という二者択一は元より当て嵌まらないわけです。


ただし、デカルトの神はどんな小さなことまでも含めて世界の全てに手の行き届く全能者ですが、『あかねこの悪魔』の場合、ひとたび本の世界が存在するようになれば、作者の書かなかった部分まで存在するようになります。と言うより、本というものの性質上、世界で起こっていることの一部しか描けません。
また、辻褄が合う作品しかその世界は存在しないので、作者も矛盾するものを存在させることはできません(ただし、「つじつまの限界量」といった言い回しに見られるように、これは程度問題です)。論理的整合性を超えた全能というのはないのです。もっとも、作品の世界が存在しようが書き割りであろうが、それこそ作者にとってはどうでもいいことかも知れませんが……
「神の手」がどこまで届くのかというのも実に様々な考え方があり、一つのポイントになります。

(……)「神さまはどこでも見ておられるって本当?」小さな女の子が母親に尋ねた。「でもそれってひどいと思うわ」
 (フリードリヒ・ニーチェ『悦ばしき知識』、第二版の序)

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テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

コメント

No title

コメントありがとうございました。
最後の「神様はどこでもみておられる」という所で、
子供時代を思い出しました。
「だぁれも居ないと思っていても♪どこかで、どこかでエンジェルが~♪」
そんな何処かのコマーシャルソングを思い出しました。

デカルト的に考えるとそのような議論になるのはわかりますが、スピノザ的に考えると何がそんなに問題なのかわからん、であります。

すべての存在は無限知性たる神の一部ですから、自分が本の中の登場人物であろうと、その一段上(といういいかた自体引っかかりますが)の世界の存在だろうと、無限知性の一部が一定のパースペクティブのもとに変容しているだけにすぎないので、問う価値がない偽問題だ、とスピノザなら蒸発させてしまうでしょう。

わたしとしては世界の創造者よりも、そういう神のほうがまだリアリティを持って感じられるのですが。

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プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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