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科学信仰の問い

今回の買い物。といっても以下の写真は包装ですが…

イスラエル国際便

イスラエル国際便2

ヘブライ文字、ということで、今回はイスラエルからの買い物です。
何でそんなところからまで買い物をしているのかという点はさておいて、注文してから1週間と立たない内に来ました。海外注文では過去最速かも知れません。イスラエルの古本屋、侮りがたし……

 ~~~

忘れた頃に以前の話の続きをしたりとまとまりのないことですが、しかしだいぶ前に取り上げた、『別冊日経サイエンス 時間とは何か?』の話の続きになります。
実のところ、特にとりあげたデイビスの論考「時は流れない」の中でも一番グロテスクなのは最後の部分でした。

 時間が流れるという幻想がなぜ生じるのだろうか。その説明は、心理学や神経生理学の中に求めるべきだろう。言語学や文化にも関係するかもしれない。私たちが時下の経過をどのように知覚しているのか、現代科学はこの疑問にようやく取り組み始めたばかりであり、いま私たちにできるのは答えについて思いをめぐらすことだけだ。
 (……)
 これまでのところ、脳に時間を扱う特定の領域は見つかっていない。視覚野に相当するような、「時間野」は見つかっていないのだが、将来は時間の経過という意識を担う脳内プロセスが特定されるかもしれない。時間の経過という心象を抑制する医薬品も考えられる。実際、瞑想家の中には、時間が止まっているような心理状態に自然と到達できると主張する人もいる。
 そして、もし科学が時間の流れを完全解明したら――おそらく、もはや未来を気に病むこともなく、過去を嘆くこともなくなるだろう。生まれるべきかどうかで本人が悩むことがないように、死の恐怖もまた無意味になる。「期待」や「郷愁」といった語は辞書から消えるかも知れない。
 なによりも、多くの人間活動につきまとっている切迫感が雲散霧消するだろう。米国の詩人ロングフェロー(Henry Wadsworth Longfellow)は「行動せよ、いまこの時に行動するのだ」と私たちを叱咤激励したが、その奴隷となることももはやない。過去・現在・未来派、文字通り「過去のもの」となるのだから。
 (P・デイビス「時は流れない」『別冊日経サイエンス No.180 時間とは何か?』、日経サイエンス社、2011、pp.15-17)


客観科学としての物理学(それも、もしかしたら量子力学は除く)の探求の対象となるものだけが実在であって、時間の経過は「幻想」であるという彼の信念は、まだよしとしましょう。しかし、人々の生活まで最終的にはそれに合わせることになるはずだ、というこの主張は何でしょうか。
無論、それが絶対に不可能だとは言いません(それこそ、その時になってみなければわからないことです)が、論の進め方としては異様です。

視覚野が引き合いに出されているのも示唆的なことです。物理的には、色もまた「存在しない」からです。
物理的に存在するのは光の波長という量的なものだけであって、赤とか青とかいった色の質は物そのものの性質ではありません。しかも、「赤い光と黄色い光の中間の波長の光」と「赤い光と黄色い光の混合」はともに人間にはオレンジと感じられ、区別できません。その意味で、物理学の対象となる世界こそを本物の存在と考えるなら、色などは人間の不完全な知覚能力による錯覚、幻想にすぎません。
しかし、(「物そのもの」とは何か、といった議論には立ち入らず)それを認めるとしても、光学と脳の視覚野の解明によってわれわれは日常生活でも色を見ることなく暮らすようになる、とか、ポストを緑だと感じることができるようになる、と考える人はまずいないでしょう。
「時間が止まっているような心理状態」に達するより、色を感じなくなる方がはるかに簡単にもかかわらず(何も見なくなるのはもっと簡単です)。

まあ、デイビスの引用する詩人たちの比喩に富んだ言葉と同様、この文言も文字通りに取るべきものではなく、一つノジョークなのかも知れません(とすれば、比喩を文字通りに受け取っているような当初の印象に反してデイビスはなかなかユーモアのセンスがある人物であり、この論考全体の読み方も改めるべきかも知れません)。
しかし、これが本気だとしたら、日常生活まで全てが物理学に合わせたものになるはずというこの信念、これに相応しい言葉として「新興カルト宗教」以上のものはありません。

色を見るのは楽しいことで、わざわざやめたいと思わないから? しかし色などが見えるせいで醜いものを見てしまうこともあるでしょう。それに、それを言うなら、時間経験――たとえばデイビスの挙げている「期待」や「郷愁」もそんなに悪いものでしょうか。
とりあえず、上記の文言が全面的にジョークでないとしたら、窺えるのはデイビスという人物が、ちょうど映画『劇場版仮面ライダー電王 俺、誕生!』に登場する敵役のガオウのように、「時間に飽き飽きしている」らしいということです。
ガオウは「神の列車」で時間そのものを破壊しようとしましたが……

もっとも、これだけ言っておいて何ですが、たとえ世界にうんざりして滅亡を願っていようが、思っているだけなら完全に自由なのであって、その点においてデイビスを非難しようとは思いません。

ただし、世界を憎み、自分の理念に合わせて世界を変革すべきだと主張した挙げ句にそれを実行に移す類の人物が、ごく稀にではありますが出現することを考えると、その前提となりうるこうした「信仰」が登場する事情は考えておいて損はないのではないか、と思うだけです。


……などと考えていましたが、科学信仰の問題はライトノベル『ささみさん@がんばらない』8巻で扱われていたものに触れたので、今のところもう付け加えることはない気もします。

ただ一つ付記しておくなら、『ささみさん@がんばらない』において「がんばらない」はしばしば、「身の丈を超えた力を持ち、責任を背負い込もうとしない」という意味を持っていたのが、8巻においては「超越者が都合よく助けてはくれないという自分の現実を受け入れて、がんばらねばならない」に状況が転じていることです。
しかし根底にある事態は繋がっていて、問題は自分の現実を受け入れることです。
いつでも問題はここです――あるようでしかあり得ないものを受け入れること。


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コメント

時間の流れが科学的に解明されようがされまいが、すべての人間の思考や感情は、必然的に、期待したり、諦めたり、死を恐れたりするでしょうね。

ここでは、「正しい人間は理性に従おうとする」とだけいっておきます。

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プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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