FC2ブログ

共同体の無用性について

『僕は友達が少ない』8巻において、隣人部に居辛くなった小鷹は生徒会会計・遊佐葵の仕事を手伝ったのをきっかけに――用事があるのだから仕方ない、と自分に言い訳をして――しばらく生徒会に入り浸ることになります。
そんな中で小鷹は今更のように、隣人部の無用性に気付きます。

 ぞくり――俺の全身が総毛立つ。
 真っ当な価値基準で考えれば、
 隣人部の存在する意味とは、
 意味なんて、
 (平坂読『僕は友達が少ない8』、メディアファクトリー、2012、pp.203-204)


 ……一週間ほど前の遊佐葵との会話の中で一つ、俺が気づいてしまったことがあった。
 ――三日月夜空も柏崎星奈も楠幸村も志熊理科も羽瀬川小鳩も高山マリアも、隣人部がなくても生きていける。
 もちろん俺だってそうだ、少なくとも生きていくだけなら何の問題もない。
 隣人部に入る前までそうだったように、また独りぼっちに戻るだけだ。
 隣人部には、存在する意味も、必要性もない。
 それどころか、優れた力を持った彼女たちが華やかな光の当たる場所で活躍するのを妨げる、足かせですらある。
 (同書、p.247)


隣人部は遊んでるだけだったんだから当たり前じゃないか、と思うのはもっともです。

しかも、小鷹は生徒会という明確な有用性を担った組織においてもその役割を認められ、さらには生徒会役員も皆女子というやりすぎなくらいに隣人部と対になった設定にあって、それでも小鷹が隣人部を選び、自ら彼女たちとの関係を摑み取って進めようとするのが8巻の締めとなっています。

今回はあまり作品分析を詳細に行う余裕はありませんが、作品の文脈をいったん離れて、共同体の無用性というのは重大な問題です。

人間は社会から離れて文字通り独りでは生きていけない、ということは、一部の共同体は少なくとも人間の生存のために役立っています。
しかし他方で、大小無数の共同体の中には、なくても困らないものもたくさんあります。
では役に立たないことなどやめて、有用な活動に終始せよ、と言ったら、これが極めて非人間的なことであるのは想像されるでしょう。
有用な役割のみを求められるということは、同じ役割を果たせる人間とならば交換可能だということだからです。

「社会の歯車にはなりたくない」といって逸脱する者には「まずは社会の成員に、大人にならねばならない」というのも重要ですが、「社会の部品になること」は「換えの効く部品になること」と同義ではないことも注意しておくべきでしょう。

そもそも、人間は「気付いた時にはすでに」他人と共同で暮らしているのであって、「何のために」という考察はつねに後からついて来ます。「人間は生きるために社会を作る」という言い方は、その意味で錯覚を招く可能性もあるものです。

ある種の現代思想が「無為」といった否定的形容の共同体を語るのも、その辺りに関係しているのでしょう。

明かしえぬ共同体 (ちくま学芸文庫)明かしえぬ共同体 (ちくま学芸文庫)
(1997/06)
モーリス ブランショ

商品詳細を見る


無為の共同体―哲学を問い直す分有の思考無為の共同体―哲学を問い直す分有の思考
(2001/06/15)
ジャン=リュック ナンシー

商品詳細を見る

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村 人気ブログランキングへ

テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー) URL

プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

当ブログはリンクフリーです。

引用もフリーです(出典明記していただけるとより有難いですが)。

コメントは返信しないことも多いですが、基本的にちゃんと読んでいます。

実名での仕事
7ページだけですが、拙稿が掲載されています。
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
カレンダー
03 | 2021/04 | 05
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
参考文献
私が展開している思考の拠り所など(一部)。
スポンサー広告