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気付いた時にはもうないものを追って――『昼も夜も、両手に悪女3』

あまり余力もない中でいまいち語りにくさを感じていたのですが、ライトノベル『昼も夜も、両手に悪女』の3巻(これにて)完結が出ているので、ひとまずその話にします。

昼も夜も、両手に悪女 3 (ガガガ文庫)昼も夜も、両手に悪女 3 (ガガガ文庫)
(2012/07/18)
鳥村 居子

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最初から「昼」の神谷日向と「夜」の幡ヶ谷月夜、ダブルヒロインを掲げていた本作ですが、1巻では主人公の仁と共にここ1週間の記憶を失っていたのは幡ヶ谷ただ一人でした。
2巻ではもっとはっきり、失われた記憶らしきものが夢でフラッシュバックしますが、そこでは、仁は幡ヶ谷のことが好きだったことが示唆されていました。
しかし彼女を傷付けてしまい……そこから発端の「書いた覚えのないラブレター」が登場したわけです。

恋は最初から失われたところにしかない、あるいは不在を共有することによる関係――それが「記憶喪失」を用いて印象深く描かれたイメージでした。

ちなみに2巻でも、クライマックスでは日向が譲って協力し、幡ヶ谷に「真の奇跡」が起こったような格好でした。
ところが3巻の表紙はウェディングドレスの日向……何事?

実際、この最終巻は作者自身「徹頭徹尾日向さん回」(あとがき、p.284)と言うほどの内容でした。

最後まで超常現象による記憶の改変を巡るラブコメであるのは変わりませんでしたが、作者自身「もともとはわりと伝奇チックなお話」であったのを変更しており、3巻は「だいぶ物語の作り方を変え」た旨、また日向についてはキャラ像を「意識してガラリを変えた」旨も語っている(同所)ので、かなり構想の変化もあったことは窺えます。また3巻では、超常現象による改変に対する主人公の態度も前巻から大きな考え直しを迫られます。
が、その上で総括して見ると、最後まで「気付いた時にはすでに失われたもの」を追い求めるという形での恋愛を描いていたという印象でした。

今回の改変では、仁が日向の幼馴染になってしまいます(ただし、仁だけは――日向と幼馴染ではなかった――以前の記憶を保っていますが)。

さて、社会学者の大澤真幸氏が、最近のオタク系コンテンツにおいてヒロインが「幼馴染」である率の高さを指摘して、かつて流行った「前世」にも通じる、家族よりも根源的な結び付きを求める傾向を見て取っていました。
幼馴染人気は分かる気がするものの、他方でそこまで率が高いかと言われるとどうも確証がありませんが……幼馴染に特権的なものが期待されているというのは事実のようです。
本作中でもトリックスター文学少女・藤森文子が的確に指摘します。

「ボクの考えだと」
 藤森さんが水筒から麦茶を注ぎながら言った。
「神谷が恋人ではなく幼馴染という立ち位置に甘んじたのには理由があるんだよ」
 僕は手のひらを顔から外す。
 藤森さんは目を閉じてお茶を飲んでいた。
 コップから口を離した彼女は、淡々とした口調で話した。
「友情よりも尊くて、儚くて、甘くて、それでいてリスクがない」
 断罪するかのように。
「自分で選べるんだ。距離を遠くするか、近くするか。それは友情という関係性ではひどく難しいよ」
 藤森さんの双眸からは、何も感情が見えてこない。
「ノーリスクで自由度の高い関係性。それを彼女は望んだんだろうね」
 (鳥村居子『昼も夜も、両手に悪女3』、小学館、2012、pp.199-200)


幼馴染として親しく接して来る日向を見て、今までいかに距離があったかを思い知る仁。
しかしその改変を元に戻してしまったところで、彼女を孤独の内に放置してしまったことをも遅ればせに知ることになります。これで良かったのか? と。
超常現象で改変されてしまった状態に違和感を感じ、改変される以前を取り戻そうとし、そして取り戻してしまえばまた別のものを失ったことに気付く、そんなことばかりです。

いつもいつも失ってから気付き、追い駆けるほど遠さを知る。「愛する人」はそもそも、決して捕まえられないものであることを示すかのように――

周りからすっかり忘れられてしまった2巻でも、二人のヒロインとの関係を築き直そうと追い駆ける仁でしたが、人見知りの激しい幡ヶ谷や人気者の生徒会長である日向にそうそう近付けるはずもなく、ほとんどストーカー紛いの行動に及ぶ羽目になります。
仁の側からすれば「既成事実としてできていた関係を取り戻す」という事情はあるわけですが……しかしこれ、好きな人に近付こうとしても困難な事態を寓意的に表しているようにも見えます。
今回もストーカー紛いの接近は相変わらず。特にクライマックス。まあ、今まで雨の中に立ち尽くしてばかりという印象だった彼が、今回は走って身体を張ってもいますが。

愛する人はどこまでも「不在のもの」としてしか現れず、その不在が身を焦がす。

こういう詩的な書き方になってしまうのは作品の性質ゆえである、と言っておきましょうか。別に責任転嫁するわけではありませんが。

ちなみに藤森の持ち味は変わらず。まあ仁へのアプローチはからかっていただけではなく、それなりに本気の好意があったらしい描写もあって、そう思うと観察者・相談役的なポジションゆえに不遇な気もしますけれど。

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Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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