FC2ブログ

希望は現実の敵か?

前回の『仮面ライダー鎧武』では、ついに光実が正体を明かし、紘汰の前で斬月に変身して襲い掛かってきました。
彼の曰く、「希望ってのは悪い病気みたいなものだ。甘いことばかり言って現実から目を背けるようになる」。だからこそ、感染源である紘汰を消さなければならない、と。
ちなみに貴虎についても「死んだよ。その病気のせいでね」と言うのですが、殺そうとした側の張本人が何を言うのやら……

しかし、生きていた貴虎本人はロシュオによって地球に帰されたところで、そんな紘汰と光実のやりとりも一部始終見ており……今回の冒頭で、姿を見せ割って入りました。
今回、貴虎は以前使っていた旧型の戦極ドライバーでふたたび斬月に変身(途中から貴虎が使うのは次世代型の「ゲネシスドライバー」に変わっており、正確にはそれで変身したのは「真・斬月」です。光実が奪ったのもこちらのゲネシスドライバーの方)、ついに兄弟対決となります。
性能的には光実の変身する真・斬月の方が上のはずですが、開発者サイドの人間としてその性能を知り尽くしてきた練度の差か、戦いが貴虎が優位に進めます。しかし、最後で兄弟の情により手が鈍ったところで反撃を食らい、貴虎は海に沈みました。
「崖から落下」に続き「水没」も生存フラグというのが定番ですが、さすがにこの場合助ける存在はいなさそうなので、厳しいでしょうか。

さてこの話、光実の言う枠組みに従えば、「希望」と「シビアな現実」の対立ということになります。
しかし、この対立図式にはもちろん前提があって、それは「現実は過酷である」ということです。
ですが、「希望」も「過酷」もどちらも構成されたものであって、その意味でいずれもわれわれの理念に貼られたレッテルである――ということはないと、なぜ言えるのでしょうか。
確かに、『鎧武』世界で人類がおかれた状況の厳しさはいかなる視点からしても確かなように思われます。ロシュオが消し去った米軍のミサイルはアメリカ各地に転送されて壊滅的な被害を出した上、前回は「いたずらに苦しませるのも忍びない。時計の針を早めてやるか」とロシュオが地球全土にクラックを開いてヘルヘイムの植物を出現させた結果、世界中で軍隊が出動して対ヘルヘイムにおおわらわ、一気に事態はのっぴきならないところまで来ています。

しかし、だからといってそうした「現実」を見据えた上での「希望」が全て否定されることはただちには導かれません。
さらに反対方向から考えてみるならば、光実はなぜ「自分の選んだやり方は現実を見て、それに適合したやり方だ」と信じられるのでしょうか。それこそ都合のいい願望である可能性はないのでしょうか。
彼がフェムシンムと協力しているのは、紘汰が「オーバーロードと話し合って協力を得る」とか言っていたのと、どう違うのでしょうか。「犠牲を出す過酷な道である」ことから「それが良策である」ことは導かれません。

そもそも、彼はいつから皆して「知恵の実」を求めることを当たり前だと思うようになったのでしょうか(「私は王になりたいわけじゃない。王になる人を見守りたいの」という湊耀子に対しては「バカな」と呆れていました)。元々、手段を選ばず知恵の実を求めるのは凌馬やシドの欲望でした。
彼は誰よりもよく現実を見て、上手く回っていると思っていますが、ある面では「現実とはこうあるべきはず」という思い込み、あるいは願望によってひどく視野を狭められているように思われます。

その意味で、紘汰の読みはおそらく核心を衝いています。
「あいつはずっと自分たちを騙していた」と憤る皆に対して、紘汰は言います――「一番苦しんでるのはあいつ〔光実〕自身のはずだ。あいつは、自分は本当は何が望みか分かってないんだ。自分がついたウソにがんじがらめにされて、追い込まれてるだけなんだ」
ただし、だから「話せば分かる」という理屈にはならないわけで、その区別をよく理解していないところが紘汰の「甘い」所以なのでしょうが……

さて問題は、光実にはいかなる末路、いかなる挫折が相応しいのか、ということです。
彼はフェムシンムのレデュエと協力して、自分の選んだ人間を生き残らせることを約束させて、それをノアの方舟に喩えるなどすっかり神様気取りです。
こういう人間がえてしてあまり良い末路を迎えないのは当然のことです。

光実自身、別にレデュエを信用しているわけではありません。レデュエは同胞の一人を光実の監視役に付け、光実は内心で「分かりやすいお目付け役とは、甘く見られたものだな」等と思っていました。
しかし、ではなぜレデュエが約束を守ると信じられるのか、どうも定かではありません。レデュエに強要する手立てがあるとも思えないのですが……この辺も彼の言う「現実」が実は願望の謂いではないかと思えてしまう理由です。

ただ、最後でレデュエに裏切られたとしても、その場合に光実が思うのは「もっと上手く立ち回るべきだった」であって、「上手く立ち回ることばかりを追い求めた結果、自分が何を見失っていたか」は考えない可能性の方が高いのではないでしょうか。

他方で、甘い「希望」を求めて諦めない紘汰が光実のシビアな見通しに勝利する――これは普通のヒーロー物なら定番の展開ですが、(シナリオライター虚淵玄氏の作風などという問題は全く抜きにして)それだけではやはり、「希望」と「現実」という対立軸そのものの甘さを突き崩すには至らないでしょう。

ここにどんな決着をつけるか、注目です。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村 人気ブログランキングへ

テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

等身大ヒーローという枠の型破り

『仮面ライダー鎧武』ですが、前回、斬月(貴虎)に惚れて「メロンの君」と読んでいた凰蓮が、今の斬月は貴虎でないことに気付いていました。
今週(6/22)放送分では、そのことを聞いた湊耀子が、今の斬月の正体は光実だと気付きます。
彼女は貴虎がヘルヘイムに消え、残された斬月のゲネシスドライバーを光実が手にするところを見ているのですから、気付いて当然です。
とは言え、光実がチーム鎧武の皆から信頼されていることをよく分かっている彼女は、皆の前で光実の正体を指摘しても信用されないことを理解していてそれはせず、ただ、二人きりになったところで光実を問い詰めます。

「なぜあなたがここにいるんだ。これ以上僕の居場所を邪魔しないでくれ」という光実に対し、耀子は言い放ちます。「あなたにはとっくに居場所なんてない。人を騙し続けてきたあなたに」

光実は今でも紘汰たちに信用されており、彼の「嘘」を耀子のような余所者が指摘しても、彼の立場は用意に崩れることはありません。
それでも、周りを騙し、嘘で塗り固めて自分の居場所を確保しているという負い目は、自分自身が誰よりもよく知っているだけに、誤魔化せません。そしてその「嘘」を知る者が入ってくることで、負い目は一気に表面化します。
いくら周りから信用されていても、騙しているということは、結局自分の方から壁を作っていることであり、そういう者はつねに孤独です。

そんな光実は、フェムシンムのレデュエと結託、知恵の実を手に入れるのに協力する代わりに、レデュエが支配者となった暁には人類の支配権を譲り受ける、という約束をしています。
レデュエの曰く、フェムシンムの王ロシュオの目的は妃を蘇らせることだけ。そして彼がすでに知恵の実を手にしているのに使わないのは、「どうやって死者に知恵の実を食べさせたらいいのか分からないから」。
知恵の実を使わなくとも、妃を蘇らせる手段があれば、ロシュオは知恵の実にはこだわらず譲ってくれるはず……と言うのです。
そのためにレデュエは地球人の技術を利用するつもりのようですが、さて何をするのでしょう。

そしてレデュエは、ユグドラシルタワーにあったコンピュータを解析し、通信網に侵入して、全人類に宣戦布告します(短期間で日本語を覚えたフェムシンムの知能からすれば、たやすいことだったのでしょう)。

これを受けてアメリカは、ついに沢芽市を焼き払うべくミサイルを撃ち込んできます。
しかしそこでロシュオが登場、「ここはレデュエの挑発に乗ってやろう」と言って剣を一振りすると、街中に降り注ぐミサイルが全て着弾直前で空中停止、そして消滅します。

通常、等身大ヒーローの戦闘規模はそう大きくないものと考えられます。
「空爆で敵を殲滅する」という手が使えないのは、敵が人間(じんかん)に潜んでいるからであり、それゆえに敵を一人一人見つけ出して倒すヒーローが要請されるのです。
もちろん、これは絶対ではなく、たとえば後半になると怪人を倒して半径3kmの爆発が起こるようになった『仮面ライダークウガ』なら戦闘規模に関する事情も異なってきますし、またたとえば敵に「通常兵器では倒せない」という類の設定があった場合にも話は変わるでしょう。

しかし、本当に軍隊がミサイルで敵の潜む都市を殲滅しようとするのは、少なくとも『仮面ライダー』としては前代未聞です。
その攻撃を退けてしまうロシュオの力は、「人類の敵わない敵」を決定的に印象付けました。
自然の猛威が敵となっていたことと言い、等身大ヒーロー物に前提にラディカルに挑むことによって、「世界を救うヒーロー」をきちんと基礎付けようとする姿勢は明らかです。さて、この戦いはどこへ向うのか……

そして、ロシュオの力を見た光実は慄然とした後、フェムシンムと協力した自分の正しさを確証し、「居場所なんていらない。支配者になってから、自分の都合のいい場所を作ればいい」と言うのですが……

 ―――

以下は余談ですが、「型破り」というのは決して「否定」や「反対」ではありません
この場合も、「仮面ライダーとして型破りな設定・展開」は、仮面ライダーを否定するものではなく、むしろ「仮面ライダーのような等身大ヒーローはいかにして可能か」を問い詰めた結果ではないでしょうか。

たとえば、ヒーロー物は通常悪と戦っている現役ヒーローを描くものであって、「ヒーローは戦いが終わった後どうなるのか」といったことは主題として持ち上がることのあまりないものです。
そこで現役ヒーローの活躍を描いた物語を「王道」とすれば、「戦いが終わった後のヒーロー」を描いた話は「奇策」です。
しかし「あまりない」は「全くない」ではありませんし、「ヒーローは戦いが終わった後どうなるのか」といったテーマを描くに当たって奇策は王道より優れていると一概に言えるわけでもありません。
「戦いが終わった後どうなるか」は「ヒーローとはどんな存在か」という問いに含まれていて然るべきものであって、そして「ヒーローとはどんな存在か」を問わなければ、王道もまた成立しないからです。

ここで、『仮面ライダー鎧武ザ・ガイド』のインタビューで虚淵氏が「奇を衒った話も書いたけれど、『仮面ライダー』を作るからには王道を書く」旨を語っているといった作品外の事情を持ち出せば傍証になり得ますが、そうでなくとも、『鎧武』がいかに王道でヒーローを描こうとしているかは、作品そのものから読み取られて然るべきでしょう。
だからこそ、王道も奇策も一纏めにして「虚淵玄の作品」という括りから作品を解釈し、「虚淵玄の思想」を読み取ろうとする坂上秋成氏の評論には、いささか賛同しがたい部分はあります。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村 人気ブログランキングへ

テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

戦後への覚悟が足りない子供たちに

『仮面ライダー鎧武』ですが、今や光実はすっかり悪役になり、知恵の実を求めてフェムシンムのレデュエと協力し合いつつ裏を掻こうと化かし合う状況に……
「僕にとって仲間とは、思い通りになるやつのことさ」とかもう、本音を言いまくってくれます。いや、紘汰たちとの関係が良好だった時には、自分でも「本音」がそこまでのものだとは、思っていなかったのかも知れませんが。

ユグドラシルがヘルヘイムの植物に呑まれて壊滅し、インベスが街に溢れ出た中、プロフェッサー凌馬も今や組織の体面も社会秩序も省みることはなくなり、全人類の6/7を抹殺する予定だった「プロジェクト・アーク」について世間に公開してしまいます。
そんな中、ビートライダーズたちが街をパトロールして、インベスを退治しています。その中心にいるのは戒斗です。

舞も、敵対関係にあったビートライダーズに元ユグドラシルの湊耀子までもが協力している現状を「戒斗がいたお陰だと」と言います。
人を惹き付ける求心力を持っていて、皆が協力しているのはあなたのお陰とヒロインに言われるのは、普通なら主人公の役割なのですが……

「力のある人が好き」で、戒斗を新たなリーダーとして認めた湊耀子は、紘汰にも「あなたは力をどう使うつもり?」と問います。ヘルヘイムから人々を救うというのであれば、「じゃあ戦いが終わった後は?」
そう問われて口ごもる紘汰に、耀子は言い放ちます。「あなたには覚悟が足りない。」「あなたでは戒斗には勝てない。」
「戦う必要なんてない」という紘汰は実際、甘いのです。知恵の実は勝ち残った一人にしか与えられないのですから。

ようやく、皆を救う力を手に入れるため戦い抜く覚悟を決めた主人公ですが、まだ甘い、ライバルに及んでいない、と。

戦いを終えて平和になったらヒーローはどうなるのか――これは少なからず問われる余地のあったことです。
ヒーロー物の終盤や後日譚でこの点に真剣に切り込んだ例もありますし、ライトノベル『最終戦争は二学期をもって終了しました』のようにそれを主題にしてしまうという手もありです。
しかし、『鎧武』はさらに問います。そもそも「戦いが終わった後のことまで含めて力の使い方を考えていないのは、ヒーローとして“覚悟が足りない”のではないか」――と。

「大人と子供」という『鎧武』の主題の一つから考えても、「いつでも下りられる」のは子供の遊びです。
仕事も辞めることはできますし必ず辞める日は来ますが、「終わった後のことは知らない」というのは無責任な人間の態度でしょう(そういう人間がどれほどいるかは別にして)。
戦いが終われば全ては解決し、その時点で下りるおとができる、というのはやはり、ゲームの感覚です。

自然災害としてのヘルヘイムという観点から考えても、自然の猛威が消えてなくなるとか完全に馴致されるというこは、考えにくいものです。
ヘルヘイムを支配できる力が手に入ったなら手に入ったで、その力の扱いを巡ってその後も多くの問題が生じてくるでしょう。
「戦いが終わった後のこと」は、考えておかねばならない課題なのです。

他方で、紘汰は食欲が無くなり、しかも食べ物の味をあまり感じなくなっている描写が。
知恵の実から採られた極ロックシードの影響か、人間をやめつつある気配が濃厚です。
味を感じなくなるというと思い出すのは『仮面ライダーOOO/オーズ』でグリード化しつつある主人公・映司の描写でしたが、映司は最後でグリード化を免れました。しかしむしろ、紘汰を待ち受けている運命は最終話で人間をやめた『仮面ライダー剣』の主人公・一真の運命のような気もします。

いずれにせよ、未来永劫に渡るヘルヘイムの力の管理という問題に絡んで、紘汰がもはや「戦いが終わった後で平穏な日々に戻る」ことはできなくなることを、はっきりと予感させたのでした。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村 人気ブログランキングへ

テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

『仮面ライダー鎧武ザ・ガイド』

さて、時期的には数週遡って話をしますが、最近の『鎧ライダー鎧武』では大きな展開として、ヘルヘイムの森に住む「オーバーロード」の存在が明らかになりました。
彼らはヘルヘイムの果実を食しながら、植物に従属するインベスとはならずに新たな進化を遂げた存在で、これは人類を救う鍵にもなり得る……とのこと。
異世界の存在らしく、オーバーロードが謎の言葉を喋るのも『クウガ』のグロンギを思い出していい感じの演出です。

他方で、裕也を殺したのは自分だと知って打ちひしがれていた紘汰の前に、ふたたびDJサガラが現れました。
紘汰に発破をかけつつ、店にあった普通の果物を見たことのないロックシード――カチドキロックシードに変えて渡していくサガラ。
この場面は店の中なのに、いつの間にかサガラが現れると周りの人は消えていました。サガラと話し終えたところで紘汰は目を覚まし、夢か……と思いきや、手の中には確かにカチドキッロクシードがありました。
再起した紘汰はこれで鎧武カチドキアームズに変身(ちなみに、カチドキロックシードはプロフェッサー凌馬でさえ「知らない」と驚いていました)、ユグドラシルが街を焼き払うためのレーザー兵器を破壊しました。

それを見ていた光実が「紘汰さん……どうしてあなたは思い通りにならないんだ」と言う辺りは今までになく危険なフラグを感じましたが。
光実は兄・貴虎の考えに賛同しつつ、紘汰や舞たち「チーム鎧武」の仲間も大切であるがゆえに難しい立場にありました。しかし結局、そこで彼は仲間たちを「思い通りに」動かすことで事態を上手く収めようとしていました。
いつの間にか仲間を仲間として損なうような考え方をしている、これはモラル危機の徴候です。そして、そういう場合に待っているのは手痛いしっぺ返しと相場は決まっているわけで……

他方でサガラは、あの舞にそっくりで謎の予言をする少女と知り合いであったことが(視聴者視点では)発覚。
こうなると、彼がこの世界の存在でない可能性が高まってきます。
ずっと放送局に籠りきりで、ユグドラシルの幹部会議にもホログラフで参加していた彼が、捕らわれていた紘汰のところで現れた時には「これまで引っ張っておいて、ずいぶんあっさりと生身で現れたな」と思われたものですが、あれも本当に現実に肉体を持って登場していたのか、どうか……

そして今週の放送では、湊耀子たちユグドラシルの幹部が調べたところ、サガラという名前も戸籍も偽造だったと判明。
そしてやはり彼らユグドラシル幹部の前に現れて、(この時には確かに実体があったのに)ホログラフのように消えていきました。
曰く、彼は「ただの観客」だけれど「どうしても弱い方を応援したくなっちまう」とのことですが……

そして、戦極凌馬の目的も明らかに。
彼の仮説では、有史以前からヘルヘイムと地球の接触は存在し、エデンのリンゴのように各地の神話に見られる「禁断の果実」の物語はすべてヘルヘイムの果実のことである。すなわち、ヘルヘイムには動物をインベスにするだけでなく、力を与える果実がある。それを手にすることこそが――
サガラもこの「禁断の果実」の存在を肯定します。
ただし、それを手にできるのは最後まで勝ち残った者のみ――

他方、紘汰はオーバーロードとの接触を試みますが、一方的に叩きのめされます。
戒斗は言います――力なき者が話など聞いてもらえるはずがない、と。
だから戒斗はオーバーロードをも屈服させる力を求め続けています。

勝ち残った者のみが禁断の果実を手にできるのだとしたら、そこに生じるのは『仮面ライダー龍騎』のようなバトルロワイヤルの世界でしょうか。
ただし、勝者の報酬は、ただ各自の願いではなく人類を救う可能性に繋がるかも知れないとあれば、バトルロワイヤルであっても「この戦いに正義はない」とは限らないかも知れません。
けれども、では紘汰は血を流す道を行くのか? 「小さな犠牲」を許容して?
ここには確かに、『龍騎』を「バトルロワイヤル物の金字塔」として評価する虚淵玄氏のオマージュと継承、そしてそこから新たな問題系を開く意志が感じられました。

主題歌は最初から歌っていました。

どこにある? どう使う?
禁断の果実



 ~~~

そんな中、発売は3月下旬なのですでに1月近く経ってしまっていますが、星海社から出ている『仮面ライダー鎧武ザ・ガイド』を手にしてみました。

仮面ライダー鎧武ザ・ガイド仮面ライダー鎧武ザ・ガイド
(2014/03/21)
星海社

商品詳細を見る

内容としては、まず主要キャストと製作関係者のインタビュー。
製作関係者は第1話監督の田崎竜太氏と脚本の虚淵玄氏はもちろん(とりわけ虚淵氏のインタビューは予想通りと言いますか、10ページのボリュームがあります)、ダンスの振り付けを手がけている足立夏海氏と掛札拓郎氏、インベスデザインの山田章博氏、バンダイのおもちゃ開発チームリーダー西澤清人氏までいます。

そして、5人のイラストレーター(しまどりる、竹、中央東口、serori、ざいんの各氏)によるイラストギャラリー、さらには『レッドドラゴン』で虚淵氏と共演したクリエイターとして三田誠、成田良悟、紅玉いづきの各氏による短いコメントも掲載。

それから、坂上秋成氏による評論「虚淵玄論」。ただしこの評論はタイトル通り、ノベルゲームやアニメでの虚淵氏の仕事を幅広く取り上げて、そこに見られるテーマの延長上に『鎧武』を位置付けるというもので、『鎧武』のガイド本ではなく別の場に載っていても違和感がない気はしますが。

それから最後に、江波光則氏による30ページ弱の小説「REAL RIDERS 駆紋戒斗外伝」
まだインベスゲームが始まる前の時期、高校生だった頃の戒斗を描いた短編です。物語に深く食い込むような内容ではありませんが、それは作品の性格上止むを得ないでしょう。現場の都合で内容が変わることもある特撮作品にあって、まだ作中で語られていないことを踏まえたメディアミックスができるとも思えませんし。
それでも、戒斗の育ち――父親の工場がユグドラシルに土地ごと買収されてなくなった――等の事実関係に関しては本編と矛盾なく、それでいて内心に関しては独自の読み込み(あるいは読み替え)を加えて、江波氏らしい屈折した内省をも描いて読ませるものにしているのはさすが、というべきでしょうか。
(「監修/虚淵玄」というクレジットが形式的なものでないと仮定すると、戒斗の過去の方に関してはこれ以上新情報がそうそう出てくる予定はないと見なすべきでしょうか)

いずれの記事も読み応えはありました。
虚淵氏のインタビューは決して驚くような内容ではなく、それゆえに非常に腑に落ちた思いです。光実は案の定挫折する予定のようで……彼は要するに「上手く立ち回ること」を良しとする風潮へのアンチテーゼなのですね。

あるいは仮面ライダーブラーボ・凰蓮は「大人げない大人」だとか。
彼はさすがに軍隊経験のある「戦闘のプロ」だけのことはあって、危険な目や痛い目に遭っても揺らぎはしません。インベス事件の元凶としてビートライダーズを糾弾するというのもユグドラシルから引き受けた仕事としてちゃんとこなそうとしていますし(ただし彼自身、インベス出現の原因はビートライダーズではなくユグドラシルが嘘を吐いていることを知らないのでズレているのですが)、パティシエとしても客を守り、客を人質に取るという策は拒否、他方で騒ぐ客は追い出すなど、仕事上の筋は通しています。
ただ、子供の遊びに「これが本物の世界の厳しさ」と言って乱入してくる時点で大人げないことも事実であって……

それから、『クウガ』が時代('97年の神戸連続児童殺傷事件など)を反映して殺人鬼の恐怖を描いていたのを踏まえて、「今怖いもの」として「天災」を扱っているのだとか。
「天災」はライダーの流れとしては異質なものを感じていましたが、「震災以後」という時代を自覚的に踏まえた結果というなら話は明瞭です。

はたまた、チーマたちがインベスゲームを繰り広げるというアイディアの理由を、

虚淵 (……)「シリアスなお話で」というオーダーでしたが、錠前で変身してフルーツをかぶるシリアスなヒーローがどうにも想像できなくて。さらにそのヒーローが人々を救うなんていっても全然信用されないだろうと思ったんですね。だから、いっそもうこれは導入部だけは「おもちゃです」と言い切って、子ども達の中に放り込むしかないぞと。
 (『仮面ライダー鎧武ザ・ガイド』、星海社、2014、p.97)


とか。
変身ギミックとストーリーが必ずしも一致していないことはままあるように思うのですが、真面目な話です。
ただ、これは以下の話と考え合わせるとなかなか興味深い。

虚淵 仮面ライダー1号こと本郷猛の時代からヒーローというのはみんな、頼れるお兄さんでした。対して、子どもの立ち位置は「少年ライダー隊」であり、ヒーローに守られる側でした。でも実際には子どもがおもちゃのベルトで遊んでいるわけです。だとしたら「自分がベルトを巻く側だったらどうする?」という物語にすべきじゃないかと考えました。
 (同書、pp.99-100)


繰り返し言っているように、「未熟なヒーローの成長」そのものは極めて伝統的な題材ですけれど、『仮面ライダー』においてそれが前面に出なかったことが多いのは確か。そこにはもしかしたら、「等身大のヒーローの成長を描く物語は別にある」という住みわけもあったのかも知れません。
そもそも初期の仮面ライダーは「大人がライダーごっこをしているような」(ひこ・田中氏の表現による)チープさゆえに親しまれた作品なので、その辺のギャップはあまり問題にならず、『クウガ』のような作品では「頼れるお兄さん」を前面に出すパターナリズムが強化されていました。
でも、実際にライダーベルトを巻くのは子供――この点を念頭に置いた作品作りというのは、歴史的に新たな一歩となるかも知れません。

それに、貴虎について、彼は自分の正義のために「いろんなものを諦めている」けれど、「実はひとつでも諦めた瞬間に正義を語る資格はなくなってしまう」(同書、p.99)という箇所。
私は『フォーゼ』の時に論じましたけれど(「君の正義と俺の正義は違うか」参照)、問題は必ずしも、Aの正義とBの正義が対立するという相対主義的状況だけではありません。そうした相対主義は、「それぞれの正義」を確固としたものとして前提しています。
けれども、自分の正義を貫こうとする中で自分に対する誠実さを裏切っていたと気付く場面も、あるのではないでしょうか。
貴虎がそのことに気付けるか、と同時に、紘汰が大切なものを諦めずに正義を追求し続けられるかどうかも、見所でしょう。


Just Live MoreJust Live More
(2013/12/11)
鎧武乃風

商品詳細を見る

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村 人気ブログランキングへ

テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

人類の存亡を賭けた二重の戦い

本日(3月2日)放送分の特撮。

『列車戦隊トッキュウジャー』――まず、トッキュウジャーの5人がシャドーライン(敵)によって闇に呑まれた街の出身である、というのは確かなようです。
その時、並外れてイマジネーションの力が強かったために弾き出されて、4人はトッキュウジャーの拠点であるレインボーラインに、そしてライト(トッキュウ1号)はシャドーラインにまで飛ばされた、ということ。
つまり、第1話の展開としては、4人がすでにトッキュウジャーとしての力とその説明を得ているところにライトが迎えられる、という形になっていましたが、彼らが現在の状況になりトッキュウジャーとなったのは、ほとんど同時だということですね。
他方で、記憶がないのは単に闇に呑まれたせいではない、ということですが……
彼らがライト、トカッチ、ミオ、ヒカリ、カグラという名前だけで姓がないのも、記憶を失っており本人たちもそれ以上の名前を思い出せないせいである模様。

しかしこの第3話の最後で、ライトとカグラは子供時代の思い出から、自分たちの生まれ育った街には海があったことを思い出します。こうして少しずつ手がかりを得ていくのでしょうか。

つまり、戦いながら自分たちのルーツを探す『超新星フラッシュマン』タイプの話になるようです。
ただ、『フラッシュマン』の場合、フラッシュマンの内誰かの両親らしき人物とは再会するもののそこまでで、しかも最後にはそれにも別れを告げて地球を去ることを余儀なくされます。
『未来戦隊タイムレンジャー』や『特命戦隊ゴーバスターズ』という小林靖子氏の作例を考えても、素直に故郷を見出してハッピーエンドにはしないような気もしてきます。
……そもそも、トッキュウジャーは「今闇に呑まれつつある街」を助けてはいますが、「すっかり闇に呑まれてから時間の経った街」を助けられるのかどうかも、定かではありませんし。

 ~~~

今回『仮面ライダー鎧武』は、呉島貴虎が紘汰に、プロフェッサー・戦極凌馬(せんごく りょうま)が戒斗に、それぞれ真相を説明している場面が並行して展開されました。
そしてついに、貴虎が紘汰にヘルヘイムの森の真相を見せます(視聴者にとってもついに真相公開)。
光実をして「こんなの、公表できるわけがない」と言わしめた真相とは――ヘルヘイムの植物によって呑み込まれた街の遺跡でした。

貴虎と凌馬の曰く、ヘルヘイムが地球とは別の惑星なのか異世界なのか不明ですが、この世界の生物は進化の段階を経ず、ある時突然すっかりインベスに取って代わられている、と言います。
すなわち、ある時ヘルヘイムの植物が出現したことにより、それを食べた動物は(街を作ったこの世界の「人間」も)インベスに変わり、ヘルヘイムの植物の種子を散布する役割を担うようになるのです。

実はだいぶ前から、インベスに襲われた人々は身体からヘルヘイムの植物が生えてきて苦しんでいる、という話はありました。
ただ、襲われた人の身体から植物が生えてくる演出はおそらく今回が初で、これはもっと前に強調しておいて良かった気もしますが……
とにかく、これは木の実を食べて未消化の種を排泄することで種子を散布するのと同様の現象だったのです。ただし、ヘルヘイムの植物は地球の植物よりも遥かに強引に人間を操りますが……

ユグドラシルコーポレーションの目的は、ヘルヘイムの侵略に対抗することでした。

こんな大事なことなら公表するべきだ、という紘汰の意見を貴虎は切り捨てます。
公表すれば人々はパニックを起こし、そしてヘルヘイム対策を制する者は世界を制するのだから、国家間にも争いが起こる、ヘルヘイムという敵に対して人類が団結することなどできない、というのです。

他方で、徹底して「強さ」にこだわる戒斗は違います。「侵略は〔強者と弱者を選別する〕チャンスだ。ヘルヘイムとの戦いに勝ち残れる者だけが強者だ」と言い放ちます。
それを聞いた凌馬とシド、そして湊耀子(みなと ようこ)(仮面ライダーマリカ)は、改めて戒斗を仲間に迎え入れます。

かくして、ユグドラシル内部でも、少なくとも貴虎と凌馬の方針の違いははっきりしてきました。
そして光実は、貴虎がやっていたようにヘルヘイムの植物を焼却し、隠蔽する部隊を指揮しながら、チーム鎧武の一員を続けています。


元祖『仮面ライダー』においては、仮面ライダーを含む怪人は改造人間――つまり、きわめて人工的な存在でした。
改造人間ではなくても、このような設定は近年のライダーでも主流です。

もちろん、たとえば『555』で人間の内にオルフェノクが出現するのはまったく自然発生的なものでした。
このような事例も少なからずあり、また怪人の発生と、それを利用する人間の営み(それは善にも悪にもなります)がはっきりと区分される設定も珍しくありませんでした。

しかしそれらと比べても、『鎧武』は敵が人為からかけ離れている点において、仮面ライダー史上抜きん出ています。
多くの場合、怪人には人格がありましたし、また人格がないとしても、人型の怪人はまだ人間との近さを感じさせます。
しかし『鎧武』の場合、インベスは元人間だとしても、元凶は植物です。
貴虎はヘルヘイムの侵略を「理由のない悪意」と呼んでいますが、本来これは「悪意」というのも相応しくない、自然の猛威としか言いようがないものです(それが人類の経験したことのない、地球外の自然であるということが大問題なのですが)。

普通、怪人というのは少数派です。吸血鬼のように仲間を増やしていくことができるとしても(『555』のオルフェノクはまさしくそうでした)、現在が少数であれば、まだ潰すことは可能に思われます。
『555』の映画『パラダイス ロスト』はオルフェノクが多数派となり、人類は滅亡寸前という世界を描いていましたが、これは劇場版ならではの特殊な事態でしょう。
『鎧武』の場合、地球上でこそ“まだ”ヘルヘイムは散発的に出現しているだけですが、向こうの世界は一面この植物に覆われているわけで、この「元を断つ」ことは容易ではありません。そして、地球もヘルヘイムに呑み込まれるまで、試算では10年とのこと――。

そしてユグドラシルの――少なくとも貴虎の目的は、まさしくヒーローの目的たり得るものです。
紘汰はその方針に必ずしも賛成できませんけれど、公表することで皆で力を合わせられる、という性善説にそれほどの自信を持っているわけでもありませんし、そもそも「元人間」であるインベスと戦うこと自体を迷っています。

まず人類は生き残れるのか、という戦いがあり、その戦いの方針において人間の内にも対立があります。
最大の「敵」はもはや善悪を問うことすらできない自然であり、人間の側の方針においてもいずれが正しいのかは容易には言えません。そして、主人公はそんな正しさの見えない状況を体現するかのように迷い続けています――


超新星フラッシュマン VOL.1 [DVD]超新星フラッシュマン VOL.1 [DVD]
(2010/04/21)
垂水藤太、植村喜八郎 他

商品詳細を見る

超新星フラッシュマン VOL.2 [DVD]超新星フラッシュマン VOL.2 [DVD]
(2010/05/21)
垂水藤太、植村喜八郎 他

商品詳細を見る

スーパー戦隊シリーズ 超新星フラッシュマン VOL.3 [DVD]スーパー戦隊シリーズ 超新星フラッシュマン VOL.3 [DVD]
(2010/06/21)
特撮(映像)

商品詳細を見る

スーパー戦隊シリーズ 超新星フラッシュマン VOL.4 [DVD]スーパー戦隊シリーズ 超新星フラッシュマン VOL.4 [DVD]
(2010/07/21)
特撮(映像)

商品詳細を見る

スーパー戦隊シリーズ 超新星フラッシュマン VOL.5<完> [DVD]スーパー戦隊シリーズ 超新星フラッシュマン VOL.5<完> [DVD]
(2010/08/06)
垂水藤太、清水紘治 他

商品詳細を見る

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ
にほんブログ村 人気ブログランキングへ

テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育

プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

当ブログはリンクフリーです。

引用もフリーです(出典明記していただけるとより有難いですが)。

コメントは返信しないことも多いですが、基本的にちゃんと読んでいます。

実名での仕事
7ページだけですが、拙稿が掲載されています。
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
カレンダー
07 | 2019/08 | 09
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
参考文献
私が展開している思考の拠り所など(一部)。
スポンサー広告