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フィクションを書く意味

現在執筆中の論文、一応は哲学の論文であって、圧倒的に引用の多いメイン文献はやはり哲学書なのですが(というかいつも通りにベルクソンの著作です)、サブ文献としてはほとんど哲学研究書を引くことなく、物理学者の著作ばかりといういささか特異なラインナップに。
これが野心作となるかただの馬鹿の仕事となるかは、結果次第ですが。

まあ、結論部の候補を二つ書いて選んだりしているのを思うと、やはり馬鹿なのかも知れません。

 ~~~

さて先日、「異世界で言葉が通じる」ことの問題について少し書きました。
この件についてもう少し考えてみましょう。

まあフィクションの世界には、途方もなくハイスペックな天才主人公が溢れているのも事実。
そんな天才ならば、先人の手引きもないまま未知の言葉を話す人々の中に入り、ゼロから言葉を習得していける――という話なら、どうでしょうか。
確かに、そういう設定であっていけない理由はありません(転生ものですが、『転生少女の履歴書』などは実はそれに近い設定です)。

しかし、未知の言葉を習得していく過程というのは、なかなか描くのが難しいものです。
「未知の言葉」についてある程度詳しく設定するのか否か……
さらに言えば、いくら天才であっても、なかなか外国語を母語を同じ感覚で使いこなせるようにはなりません。それでは、言葉遊びや冗談を駆使した会話をするに当たってもマイナスなのではありますまいか。
あえて「カタコトの主人公」を設定する意味があるなら、ともかく。

そうやっていくつかの困難を乗り越えて話を書いたところで、さて、そもそも現実に未知の地で未知の言葉を話す人々と出会い、ゼロから交流を築いた探検家やフィールドワーカーのドキュメンタリーはすでに存在しています。
それをフィクションで反復して面白いのか、ノンフィクションの迫力に勝てるのか、そこを考えないといけません。

「リアリティの追究」と言いますが、現実にあることを写すだけでは、フィクションを書く意味がないのです。

現実的な感覚を備えているのは大いに結構、しかし問題は、どう「フィクション」へと踏み込むかです。
(なおこれは、別に「現実は厳しく思うようにならない、フィクションの世界は優しくてご都合主義」といった安易な対比とは限りません。踏み込む方向は様々に考えられます)
そして、おそらくそれこそが、「創作の才能」に関わる部分なのです。取材して細部を作り込むとかいうのは、言ってしまえば、その上に乗せる装いです。

まあつまり、繰り返しになりますが、フィクションの筋に大して重要でないことはこだわらずに片付ける、それもテクニックの一つです。「説明もなくなぜか異世界で言葉が通じる」であっても、それは一つの手法です(ただし、「それが許される雰囲気の作品に仕立てる」ことこそが一番重要なテクニックになってくるでしょうが)。

――結局、これだけ分析をやってきてようやく分かってきたことの一つですが、「その筋ならば何が重要で、何をスルーすべきなのか」、あるいは逆に「その作風ならばどんな筋が活きるのか」、この見極めこそが肝心要であり、難しいところです。
商業出版作品にも、その辺がちぐはぐに見えるものは珍しくありませんし……

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余計なことを気にしない/させない才

異世界とはそもそも何ぞや……という話も時々してきましたが、そういう根本的な問題はひとまず脇に置いたとしても、私のような理屈っぽい人間は、「異世界に召喚される」という一事についても、色々と気になります。
たとえば、異世界人とすぐに言葉が通じるのはなぜか。

その世界での人生を赤ん坊からスタートする「異世界転生」の利点は、こういう問題をクリアしやすいことかも知れません。
(とは言え、少し形を変えつつ似たような問題は生き残るのですが……「転生考」の記事参照。というか今その記事を読み返すと、すでに話題が被っていたり)

もちろん、説明を色々と考えることはできます。

曰く、もともと言語・地理など多くの点が共通していて、そこに少しだけ違いが加えられた世界である
曰く、召喚者あるいは非召喚者の「言葉が通じる」相手を求める心理により、そういう世界(相手)が引き寄せられた
曰く、翻訳の魔法のようなものが働いている

竹本泉氏の漫画『ねこめ~わく』では、当初はそんなことはまったく考えられていなかったにもかかわらず、連載が始まって十数年経ってから気付いたように説明が与えられました。
さらにこうした設定がひとたびつけば、さらに色々活かすことも考えられます。
たとえば3番目の「翻訳の魔法のようなものが働いている」に該当する作品で、『義妹が勇者になりました。』では、読唇術を備えた登場人物が実際に発声されている言葉と翻訳されて自分の耳に届く言葉の違いに気付くばかりか、さらに「翻訳を経る必要なく、異世界の人間が口にしている地球語の単語」の存在から、かつてこの世界に召喚された人間の影響を推論したりもしています。
あるいは『巨竜城塞のアイノ』では、召喚と同時にあらゆる言葉を理解する能力を与えられた主人公は、その異世界でも人間とコミュニケーション不可能であった存在とも心を通わせます。

このように、設定は何とでもなるのです。
しかし、そういうことにばかり力を入れていて本筋を疎かにしたのでは、本末転倒です。
問題はその辺のバランスを考慮して、どうするかなのです。

私のような人間が話を書こうとすると、そういうところばかり気にして、そのくせストーリーを作る創造性はないので、だいたいそこで「ああ、これじゃ“話”にならないな」と気付いてしまうのです。

ですから、「何の説明もなく異世界で日本語が通用して、そのまま話を進める」というのは、一つの立派なテクニックです。
むしろ、「どうでもいいことを問題にせず、読者にも自然とスルーするよう仕向ける」ことこそ、物書きのもっとも重要な才能と言ってもよろしい。これはおそらく、フィクション以外にも当てはまります。

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登山記――予想外の状況

すっかり遅ればせになりましたが、毎年恒例の登山記です。
出発は8月1日、いつも通りに実家のある名古屋から富山へ。去年も言っていましたが、新幹線の開通により在来線が金沢止まりになり、金沢で乗り換えねばならないのが不便なところ。しかも今回は(1時間に1本くらいしかない)北陸新幹線のダイヤが事前調査していたものと違うというアクシデントも。
立山黒部アルペンルートを経て、室堂から雷鳥沢へ。

雷鳥沢

ただ、例年利用している雷鳥沢ヒュッテの予約が取れなかったということで、雷鳥荘の方に宿泊となりました。

雷鳥荘

しかもこの雷鳥荘に、小学校(おそらく)の修学旅行生たちが宿泊しているという、あまり見たことのない事態に遭遇。
小学生たちがこんなところに来て満足しているのかどうかは不明ですが。

8月2日、剣御前を超えて剣沢へ。
天候はくもりで、この通り上の方は完全に雲の中、何も見えないのですが、暑くないのは助かります。

劔御前

↓この通り、劔岳も山頂には雲がかかっている状態。

劔岳

本来ならば、ここから雪渓の上を歩いて剣沢を下っていくはずでした。
ところが――剣沢小屋で話を聞いてみると、今年は稀に見るほど雪が少なく、雪渓の状態が悪いので、現在通行止めにしているとのこと。雪渓の横を通る夏道を現在建設中であるものの、10日はかかると言います。

かくして、まさかの午前中に到着した山小屋で足止め。急遽剣沢小屋に宿泊することになりました(当然ながら、予約を入れていた仙人池ヒュッテにはキャンセルの電話を入れることになります)。

このままだと何もすることがないので、一応、歩けるところまでは行って剣沢の様子を見てくることにしました。
下記は平蔵谷の出会いの写真と記憶していますが、左上の岩が見えますでしょうか。例年のこの時期ならば、この岩が根元まで露出していることはなかったかと思います。それが今年は、岩の下の地面がさらに高さにして1~2m露出してます。それだけ、雪が少ないということです。

剣沢

その岩の辺りのアップ↓ いささか見づらいかも知れませんが、向こうに見える雪渓部分にもクレバスができています。

剣沢2

谷を見上げるとこの通り↓
普段は上まで雪渓が続いているのが、今年は完全に雪渓が切れて、砂利が露出しています。
その手前もクレバスだらけで、かなり薄くなっているのが見えるところもあり、上を歩いたら受けて転落する可能性大。とても歩けません。

剣沢3

この谷はあくまで支流なのですが、剣沢の本流ももう少し下るとこれに近い状態の悪さで、通れないとのこと。
(と言っても、下に真砂沢の方まで行ってしまった人が戻ってくるのとは、しばしば遭遇しました。それは仕方のないことです。ただ、今から向こうに行ってしまうと、雪は日に日に融けつつあるわけですから、戻れなくなる可能性があります。向こう側へ抜けるルートもあるにはありますが、かなり長い道のりであり、気が進むところではないので……)

8月3日。
予定外の足止めにより、(仕方なく)剣御前から立山の方に登ることにしました。
劔岳に登頂するという選択肢もあったのですが、あちらは混む上に、難所で不慣れな人が立ち往生することもあって、時に1時間近く待たされる場所があるので、近年は登っていません。

相変わらず大半は雲の中であるものの、ちょっと山の形が見えてくる時もありました。

剣御前付近より

↓別山山頂の別山神社。

別山神社1

雄山から縦走してきた人が貼るのか、雄山神社のお札が何枚も貼ってありました。

別山神社2

ライチョウも見ました。しかも親子連れです。

ライチョウ

↓こちらの動画を見れば、雛が動き回っているのがよくお分かりでしょう。



ちなみに剣沢キャンプ場には「剣沢雪渓は非常に危険」と通知が↓
ただし、これも少し前のものでした。状況は日々変化しています。

通知

8月4日。徐々に天気は良くなってきています。

朝焼け

剣沢の池

リンドウの花↓

リンドウ

予定より1日早く引き返して下山し、この機に立山博物館でも観覧に行くことにしました。
富山地方鉄道が一部通行止めになっており、ワゴンバスを利用せねばならないなど、ここでも不便を味わうのですが……

ちなみに余談ながら、ワゴンバスに乗り合わせた女子学生のスマホ画面下方に、見覚えのある赤白のボールを発見。どうやら『ポケモンGO』をプレイしていたようです。こんな田舎でも配信されているのかと思いましたが、少なくとも見覚えのあるカメのモンスターはいた模様。

立山博物館に並んで、雄山神社の本殿もあります。

雄山神社2

街中まで熊が下りてくることもあるとかなんとか。

雄山神社

博物館では企画展「立山×地獄」展第1部「閻魔の眼光」を開催中。
なかなか貴重な文化財もあって楽しめました(館内は写真撮影禁止なので、あまりお見せできる写真はありませんが)。

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選択の余地のない選択

国民的RPG『ドラゴンクエスト』シリーズといえば、比較的プレイしたゲームの少ない私にとっても思い出深いゲームの一つです。
時々、このゲームの話もしてきました。
もっとも、私が自分の手で実際にプレイしたのは『VI』までで、『VII』と『VIII』は家族がプレイしているのを後から見ていただけ、『IX』以降は見てもいないのですが(だから、だんだんストーリー認識が怪しくなります)。
最近になって『VII』は改めてプレイしたりしましたが。

ただし、今回は『VII』の話ではありません。

今更な話ではありますが、『ドラクゴンクエストV 天空の花嫁』と言えば、言わずと知れた、主人公6歳の時からの半生を描き、物語の中盤で主人公が結婚するというシナリオが強烈なインパクトを残した作品でした。
そして主人公の嫁候補が2人いて、「どっちを選ぶ?」という展開であったのも、とみに有名。

ただ、(これまた周知のことではありますが)この選択、まったく非対称なのです。
ビアンカは主人公の幼馴染みで、幼年時代にも一緒に冒険したことがあり、そして花嫁選びの直前まで主人公の冒険に同行していました。それに対してフローラとは少し前に出会ったばかりで、さしたる恋愛フラグもなし。大富豪ルドマンが家宝の「天空の盾」を娘の婿に与える、と宣言していることから、天空の盾を求める主人公は品目当てでなしくずしで花婿候補に立候補した格好です。
しかもフローラに想いを寄せるアンディという青年がいて、主人公がビアンカと結婚した場合はきっちりフローラと結婚しているのに対して、主人公がビアンカを選んだ場合はビアンカはずっと独身のままという辛さ。

そもそも、パッケージをはじめとする公式のイラストからして、基本的に主人公と一緒に描かれているのはビアンカで、息子と娘のイラストもビアンカと同じ金髪というあからさまさ(私のように二週目プレイで両方を試さなかったものぐさなプレイヤーは、そもそも子供たちの髪の色が母親に合わせたものになることにすら長いこと気付かなかったり)。

さて、これはあからさまに意図されたことのように思われます。
というのも、制作者の堀井雄二氏からして、「9割方の人がビアンカを選ぶと思ったが、思ったよりフローラを選ぶ人もいた」と言い、さらにはリメイクに当たってデボラという3人目の嫁候補を追加してかなり議論を呼んだ(※)のですが、これも「思ったよりフローラを選ぶ人がいたので、誰も選ばなさそうなキャラを作ってみた」との談なのですから(その意味では、リメイクだと幼年時代からフローラとの接点が描かれたりしているのも、「ぽっと出のキャラだったフローラに対する救済」というよりも、「フローラをあえて“選ばれないキャラ”にする必要がなくなった」とも考えられます)。

※ 上述の通りで、リメイク版については私はざっと見ていただけですが、『V』はシリーズ中でもリメイクによる改変が本編ストーリーに及んだものの一つで、そのしわ寄せは他にも少なくない感はありますが。

つまるところ、制作者は「どちらも捨てがたくて、迷う」選択ではなく、「初見ならおのずと一方に決まり、選択の余地はない」選択を作ることに熱心であったように思われるのです。
ギャルゲーの制作者ならば、いずれのヒロインにも選びたくなる魅力を設定して迷わせるところかも知れませんが(とはいえ、世の中には常識外れのゲームもあるので分かりませんけれど)、この場合はそうではないのです。(※※)

※※ 念のために言っておきますが、これはもちろん、「どちらが良いか」「どちらが正しいか」という話ではありません。
ただ、作品の意図として選択が非対称になるよう、大多数のプレイヤーが一方を選ぶように作られている、ということに注目したいだけです。
もちろん、「大多数のプレイヤーが選ぶ」方を選ばなかった人に何か悪いことがある、というわけではありません。少数派であることや他人の意図通りに動かされないことは、必ずしも悪いことではないのですから。

考えてみると、ゲームには存外、こういうことが多いのです。
一方で、特定のアイテムを手に入れるとかフラグを立てないと次のイベントが起こらず、先に進めないという形で完全にルートが固定されていることもありますが、他方で、「その気になればルートを外れることもできるけれど、初見で普通に半田してプレイしていれば、だいたいこうなる」という風にプレイヤーを誘導していることも多々あります。
あるいは、予備知識があれば回避出来るけれど、初見だとだいたい誰でも引っ掛かる難所とか。つまり、誰でも同じように考えるということです。

そしてゲーム制作者なら、そういう誘導の仕方は周知のことでしょう。

ゲームには確かに選択肢があり(「はい/いいえ」の選択肢だけでなく、キャラのパラメータをどんな風に育てるかといった、ほとんど無数の可能性があることまで)、プレイするたびにその選び方を変えることができます。
しかし、選択肢が存在することによってかえって、「実質的には、人にはそれほど選べる可能性は多くない」と思い知らせてくることもあるのです。

「“ゲーム的想像力”の世界=多様な可能性が並置された偶然性の世界」という見方に対し、私がどちらかといえば批判的なのも、こういうことがあるからです。

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今年の連休は短く

ゴールデンウィークの思い出――今年も上高地に行ってまいりました。
ただし、今年は5月2日が月曜日なので、公式の休日は3連休のみ。
父は3日から週末までの予定を組んでいたのですが、私は6日の授業に出ねばならず、2泊3日だけで本日先に一人帰ってくることに。

例年通り、JR松本駅から松本電鉄で新島々へ、そしてバスで上高地の河童橋まで。

河童橋

来る度に定点観測しているケショウヤナギ
高さにして写真全体の半ば、幹の左側と、右上の枝に新たに皮を剥がれて白くなっているヶ所があるのがお分かりでしょうか。

ケショウヤナギ1

 (昨年末の観測

右上の枝の様子はこの通り↓ 見るも無惨です。昨年末の写真と比べてみると新たに剥がれた箇所がよく分かります。

ケショウヤナギ2

もちろん、原因はサルによる食害と思われます。
他にもあちこちで皮を剥がれて枯れている木を見かけました(ちなみに、今回はサルそのものの姿は見ませんでした)。

かじられた木

そして上高地のさらに奥地へと徒歩で、明神池徳沢を経て、横尾山荘へ。
今年は暖かいので、すでに桜も咲いていました(標高1500mあるので、平地よりはだいぶ遅くなります)。


桜

木の新芽の芽吹きも早いように思われます。

新芽

ただなぜか、例年帰りの頃に声を聞くカエル(ヒキガエル)の声と姿は行きにも帰りにもありませんでしたが……

当然ながら人の歩く道には植物が生えず、道沿いは土が失われるので、木の根も露出していたりします。

倒れかけ

さらに冬には雪が積もり、雪崩もあるので、派手に折れたり倒れたりしている木も見かけます。
↓これなど直径1m以上ある大木なのでかなり壮観で、しかも破断面を見るにまだ新しいようです。折れた原因はよく分かりません。

折れた木

↓根元から倒れているというのも凄いものですが。

倒木

この季節ですので、横尾山荘の前の橋には鯉のぼりも。

鯉のぼり

横尾山荘に泊まって、2日目の5月4日は往復で上に登ってくる予定で、例年ならば涸沢を通って北穂高に登るはずなのですが……
まず天候、3日の夜から4日の朝にかけて雨が降っていました(ちなみに、多くのWEBサイトで携帯電話向けサービスを終了していることもあり、最近になってスマートフォンに買い換えたのですが、GPSでこちらの場所を特定し、午後8時頃には「1時間以内に雨が降ります」等と教えてくれました。割と正確です)。
さらに何の因果か、私が行きの道中でピッケルを失くしました。
駅で確かに持っていた記憶があり、それから乗った電車を降りる際にないことに気付いたので、駅で忘れたのだと思うのですが……今までに杖は何度か忘れたことがありますが、ピッケルは初めてです。
あんな大きなものを失くす自分も謎ですが、帰りに駅の遺失物預かり所で聞いてみても出てこず、さらなる謎となりました。

無しでも涸沢までは問題ないでしょうが……そうした事情から、蝶ヶ岳方面に向かうことに。

道中で槍ヶ岳も見えます。

槍ヶ岳

樹林帯の中でも見晴らしのいい「展望台」は何箇所かあり、「槍見台」は別にあるので、「なんちゃって槍見台」というひどいネーミングの場所から、ですが。

なんちゃって槍見台

そして、樹林帯を向けた上からの眺望。

蝶ヶ岳方面より

ただし、ここは樹林帯の上に出ると、とにかく風が強いのです。
ちょっとカメラで動画を撮影してみました。



この風で波打っているのは草ではありません。丈は低いですが、ハイマツという松の一種です(地面を這うように伸びるのでハイマツ)。
ハイマツの枝先の実↓

ハイマツ

あまりの強風に、この中を抜けてその向こうの山小屋に行くのは断念しました。

そして本日、5月5日は帰りとなります。
帰りがけに、明神池の近くにある穂高神社の奥宮にも参拝してきました。

穂高神社

川では魚も見ました。
イワナでしょうか。自然状態で捕まえもせずにの観察には限度があります。

魚

↓徳沢近辺にて。鳥の声が動画に収録できないかと思いましたが、やはり遠くの音声を拾うのは難しい模様。前半かろうじて聞こえるくらいでしょうか。

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プロフィール

T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

当ブログはリンクフリーです。

引用もフリーです(出典明記していただけるとより有難いですが)。

コメントは返信しないことも多いですが、基本的にちゃんと読んでいます。

実名での仕事
7ページだけですが、拙稿が掲載されています。
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