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ルーチンワークを少しだけ変えた年末

新年明けましておめでとうございます。

ちょっと年始の更新が遅れて、3が日も過ぎてしまいましたが。
年末は例年通りに登山に行ってきましたが、今年はちょっと順番を変えて、長野県茅野市の渋御殿湯の方に先に行きました。
というのも、茅野市には尖石縄文考古館という博物館があるのですが、さすがに年末年始は休みなので、今まで近くを通りながら行けなかったのです。
今回、12月28日までは開館していることを確認の上、28日朝に名古屋の実家を出発、午後には考古館に着きました。
ちなみにこの博物館は写真撮影可(展示品によって例外あり)なので、以下では自分で撮影した写真もアップロードしていきます。

展示室に入る前、エントランスのところにも展示ケースがあって、土器の把手(とって)に実用性がないことを解説しています。

把手付き土器

↓これはどんぐり。エントランスに出ていましたが、展示物ですらありません。
台車には「文化財研究室」とありますが……
縄文人の生活再現研究等で使うんでしょうか。

どんぐり

↓そしてこちらが歴史教科書にも載っているここの目玉、国宝の土偶「縄文のヴィーナス」です。

縄文のヴィーナス

↓こちらは2014年に認定されたもう一つ国宝土偶「仮面の女神」。身長からしてやや「縄文のヴィーナス」より高く、一回り大きい作品です。

仮面の女神

「仮面の女神」の方は新しいので教科書に載っているかどうか分かりませんが、何しろこれで全国にも5つくらいしかない国宝の土偶が尖石だけで2つ、ということに。
だから、「仮面の女神」認定以降、かなりのポスターがあちこちに貼り出されていました。というかよく見ると、今でも茅野駅周辺は考古館の広告だらけです。これで町おこしと言わんばかりに。

ちなみにこの2つの土偶がある展示室では、国宝認定の証書まで壁に貼り出してあって、「縄文のヴィーナス」の方は文部大臣・与謝野馨と署名がありました。「仮面の女神」の方は文部科学大臣・下村博文です。

ちなみに「仮面の女神」発掘状況の写真記録なども展示されていますが、それによると片足だけ折れた状態だった模様。

仮面の女神・発掘現場

「縄文のヴィーナス」の方も、折れた部分を修復したという説明はありました。
土器では、修復の継ぎ目や補填部分がかなりはっきりと分かるものもあるのですが、両土偶についてはほとんど修復痕を視認できず。そう言えば土器の修復についてはあまり知りませんでしたね。研究関係者にはどう修復されたのか、分かるようになってると思うんですが。

ところで――そもそも同じ展示室には、実は他にも大量の国宝が並んでいました。
何しろ、器が6個くらい、全部国宝なのです。
保存状態がいいのは確かなようですが。

器

他にも急須のような注ぎ口のついた土器とか(しかし本当に注ぐのに使っていたのかどうかは不明です)、

注口土器

どう見ても実用的でない把手(?)のついた土器など、色々ありました。

把手土器

他にも体験コーナーなどもあり、割とサービスのいい博物館だったように思います。
考古館を見た後は渋御殿湯へ行って宿泊。温泉もたっぷり楽しみました。

翌29日はいつも通りに天狗岳へ登山。
雪は少なめ(というか、今年はかなり気候が暖かな気がするので、融けてしまったのかも知れません)で、天候も晴天。
冬のこの辺、特に山頂付近は吹雪いていることが多い印象なのですが、まったく珍しい(去年もそうだった気もしますが)。

天狗岳より

西天狗

帰りに一つ道を間違って唐沢鉱泉の方に出てしまい、そこからタクシーで帰るという予想外の展開もありましたが。

30日はいつもと逆に、松本駅へ降りてそこから上高地へ。
バスもあったのですが、予想以上の好天にこれは早めに行って時間を有効活用した方が良かろうと、バスを待たずタクシー利用を決定。

上高地、河童橋の当たりでいつも見ているケショウヤナギ。
さすがにサルももう剥ぐ皮がないのか、あまり変わって気がしますが……

ケショウヤナギ

写真は撮れませんでしたが、生きたサルにも出会いました。
しかも堂々とこちらに向かってきて避ける気配がなく、人間の方が避けなければならなくなるという図々しさ。

今更気が付いたのですが、河童橋にはこんな石碑のようなものもありました。

河童橋石碑

景色を描いた上面のプレートには「森永キャラメル」、下の方の縦長の銘板には「贈呈 森永製菓株式会社」と書いてあります。観光地の側から注文したものでしょうか。

河童橋石碑2

河童橋石碑3

↓大正池からの光景。見事でした。

大正池より

そのまま上高地を往復してくると、バスに乗り20分くらいで高山の平湯温泉に。つまり例年と逆コースです。
ぴったりバスの時間に間に合い、時間計算もばっちりでした。

平湯の温泉に浸かり、飛田牛の焼き肉を食い、そして31日は西穂高岳に登ります。
まずはバスでロープウェイ乗り場に、そしてロープウェイ2本を乗り継いで、そこから歩いて登ります。

西穂山荘では例年より2日遅く来たせいか、ほぼ巨大雪だるまが出来上がっていました。

西穂

そして丸山独標までは行ったのですが、前に初心者の団体がいて極めて進みが遅いので、その先のピークに行って帰ってくるのはかなりの時間がかかると判断、そこで引き返しました。
何しろ冬は暗くなるのが早いですし、ロープウェイの最終もありますから。

丸山独標

でも下山中にこの通り、いい景色が見られました。

西穂

西穂より

ちなみにやはり暖冬なのでしょうか、手袋を外してカメラのシャッターを切っていても、(もちろん氷点下で冷たいことは冷たいのですが)いつもより楽だった気がします。

雪の上でよく見るのがウサギの足跡。生きたウサギを見た覚えはまだありませんが。
というか、ウサギ以外の足跡に関しては正体がよく分からないことが多いんですね。

ウサギの足跡

1月1日はふたたび松本へ下り、そこから穂高神社に行った……のですが、本殿の前には例年に見たことのない長蛇の列。鳥居まで百メートル以上続いていたでしょう。いったい並べば待ち時間は30分か、1時間か……
時間の都合もあるので参拝は諦めて、破魔矢だけ買って帰りました。

正月は実家で過ごし、1月2日に熱田神宮に初詣するのもいつも通りです。

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ゲームではなく、各自が自分で考えて生きている現実で――『お前みたいなヒロインがいてたまるか! 3』

またまたお久しぶりですが……
今回取り上げる小説はこちら、アリアンローズの『お前みたいなヒロインがいてたまるか!』3巻です。



 (前巻の記事

さて、本作のWEB版の方は、最近完結したようです(最終回となる148話が2016年10月22日更新。ただし第84~90話と第92話は1話が複数に分かれており、さらに第94.5話があるので、合計160話。また後日譚となる番外編は12月現在も連載中)。
単行本版は2巻が第46話までの収録だったので、この調子だとまだまだ長いかと思いきや、今回3巻はなんと一気に第96話までを収録。
内容的には、ちょうど中等部編3年間を丸々収録した形になります。むしろ内容的にもそれがキリがいいから、ということでこうなったのしょうか。
もちろん、WEB連載1回の字数は特に決まっていないので、話数と字数は必ずしも比例しないのですが、やはりかなりの改稿と圧縮があった模様。この調子だと残り50話ほど――高等部編――が4巻で完結でしょうか。

3巻目にして今更説明する必要もないかと思いますが、本作は今や「小説家になろう」の女性向け作品では定番となった「乙女ゲームの悪役令嬢に転生した」主人公の話であり、しかも作品世界はファンタジーではなく、やはり現代日本の世界です。歴史とか基の世界とどれくらい一致しているのか、細かいことを考え出すと色々気にはなりますが……
とにかく、もはや「悪役令嬢転生もの」としてジャンル名すら確立されている世界ですが、その中で何に注目するかは様々(もちろん、こういうヴァリエーションの付け方がある意味で限られた世界での差別化であることは事実ですが)。
本作の場合、やはりポイントはゲームと現実の違い、でしょう。

ゲームの登場人物は(モノによっては膨大な数の登場人物が設定されていることもありますが)数に限りがありますし、いつどこでどんなイベントが起こるかも決まっています。それに対して、本作の舞台は登場人物や設定がいかにゲームに近かろうと現実の世界であり、プレイヤーとNPCの区別もなく、そこにいる人間たちは皆自分で考えて生きています。

何しろ、本作の主人公・椿がゲームだと死ぬはずだった母親を救うと、その母親が再婚してしまいます。
再婚相手の朝比奈薫やその一族など、ゲームには登場しません。
さらに再婚で従姉妹となった八雲杏奈(義父となった朝比奈薫の妹の娘)は椿と同じ転生者であり、はとこでドイツ人のレオン・グロスクロイツ(薫の母がドイツ人で、その一族)は小学生時代に椿に惚れて、さかんにアプローチを繰り返してきます。
ここは現実の世界、相手の男はゲームでの攻略キャラに限ることはないのだ、と言わんばかりに。

ちなみに、今回3巻では新たにゲームでの攻略キャラも2人登場、ある程度の役割は果たしますが、どちらかというと影は薄め。
ゲームの攻略キャラだからといって重要な役割だとは限らない、製作者によってあらかじめ役割を与えられているゲームとは違うのです。

そんな「生きた人間たち」の中であえて悪役を演じたりすることで上手く人間関係を操作して、自分の地位を築いていくのが主人公たる椿の戦いとなります。
その点、彼女は前世がアラサーのOLだけに経験値が段違い、ある種のチートです。

対して、ゲームでのヒロインでありやはり転生者の立花美緒は、その辺が分かっていません。
すでにゲームとは違っている点があることも、必ずゲーム通りにイベントが起きるわけでないことも理解しておらず、しかも自分にはヒロイン補正があると信じています。

そんな美緒が中等部から入学、どんなにすげなく扱われても恭介が自分に惚れるものと信じてアタックを繰り返してきます。
女性に対して強く出られない恭介の性格も災いすることに。

――とはいえ、裏を返せば美緒は幼稚な人物なので、「厄介なライバル」にはなり得ません。
そもそも、彼女にヒロイン補正があって恭介が一目惚れしたりするわけでもないと判明した時点で、――そして美緒のような強引なタイプは恭介の好みでもないので――恭介と美緒が結ばれて、避けたい事態(椿の母親に対抗心を持っている美緒の母親が水嶋家に権力を持ち、椿と母親が嫌がらせを受ける)に陥る可能性は、ほぼなくなっているわけです。

だから本作は「強敵と戦って窮状をどう乗り切るか」という流れにはなりません。
どちらかというと前巻(2巻)で、美緒の母親に対し椿が(子供の天然発言と見せかけて)痛烈な言葉を浴びせた場面の方が、「嫌な奴をやっつける」痛快さはあったかも知れません。

ただ、親の権力を笠に着て取り巻きを作っている美緒はしばしば他の女生徒に嫌がらせや脅しを働きます。
親の権力で勝っている椿自身は問題ないのですが、無関係の女生徒や椿の友人が被害を受ければ、さすがに放ってもおけず。今後のことまで計算に入れて、どう解決を図っていくか……それが今回椿の直面する主な問題になります。

加えて、ゲームと違って現実には「こうすればクリア」という決まりもありません。とりわけ、諦めない相手を諦めさせるくらい難しいことはありません。
その辺の先の見えなさが苦しいところではあります。

そんな中で良かったのは、恭介が意思表示を見せたことでしょうか。
前巻から、(家柄と容姿と…その他すべて揃っているために)女子たちにはよく付きまとわれて、強く出ることができないのであしらいきれず、困ったら従姉妹である椿のところに逃げてきている節のあった恭介。
こんなに頼りなくて大丈夫か、と思いましたが、それがようやく意思表示を…というのはそれなりの感慨があります。

さらに、終盤で椿が嫌がらせで実害を受けて、友人たち皆が集まって怒り、行動を起こす場面も胸が熱くなるものがあります。
人を見下す悪役を演じている椿と、他人に警戒心が強い恭介。どちらも友人は多くなく、しばしば「お前は友達少ないだろう」と喧嘩しては両者ともにダメージを受けている始末ですが、数よりも質で確かな友情を築いていたんだな、と実感させてくれます。

それから、上述のレオンとの関係。
レオンのアプローチは積極的で、さらには椿が恭介に「売られた」格好で無理矢理レオンと会うようセッティングされたりしていたのですが……椿としてもレオンは嫌いではないものの、恭介と美緒に関する問題を解決するまでは自分の恋愛をする気はなく、どう扱おうか困っていた状態。
そんな中、恭介と椿が表向き婚約者となっていることを知られて、一時関係が悪化……といった展開を経て、椿とレオンの関係も少しは進展した感あり、というべきでしょうか。
レオンはその諦めの悪さも含めてなかなかいいキャラをしている男の子なので、頑張ってもらいましょう。

結局、恭介が両想いとなって結ばれる相手が見つかれば一つの「落としどころ」になり、椿も自分の恋愛でも何でもできるはずです。
その「相手」の布石は少しだけ見えてきていますが……はてさて、次巻の高等部編ではどうなることやら。
そして、美緒との戦いはまだ続くのでしょうか。

ちょっと引っ掛かったのは、朝比奈家の使用人にして養護教諭で、学内における椿たちの警護の命を受けている護谷晃(もりや あきら)の存在ですね。
彼は、実は朝比奈の血を引く「お嬢様」たる杏奈にしか忠誠心はなく、連れ子である椿のことは警護対象とも思っていないという癖のある人物だったのですが、今回は終盤まであまり活躍はなく……少なくとも、なんだかんだで椿にとってマイナスになるような動きをしたりはしませんでした、今までのところ。
わざわざ番外編で朝比奈家使用人の不破佳澄が護谷晃に苦言を呈する話まで書かれただけに、これが今後も何か話に関わってくるのか、気になるところです。

上述の通り、次巻辺りで完結しそうな気もしますが、楽しみに待ちましょう。
皆いいキャラ揃いで、会話も楽しく、個人的には割と気に入りです。

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2016年11月の読書メーター

先月の読書メーターまとめです。
10冊2480ページでした。

読書メーター2016年11月

明らかに、読書メーターを始めて以来最低の数値です。
その理由は一つには、550ページくらいある英語の大著『The Simgular Univers』(+いくつかの未読了の学術書)を読んでいたことでしょうか。2ヶ月続けて300~500ページの洋書を登録しているというのは、そう多くないはずです。
逆に言うと、学術書に集中してこの程度のペースではとうてい満足はできませんが。
今後はもっと研究に本腰を入れ、洋書をもっとハイペースで登録できる……といいのですが。その一方でブログの更新がなければ、そういうものだと思ってください。

それと、最近読書メーターがリニューアルされました。
書き込みの反映が遅かったりと不便も多いのですが、まとめも少し変化したようで、月間読書冊数のグラフはまとめに入らなくなりました。今はまだ旧読書メーターも使えるので、そちらからグラフをダウンロードしましたが、それもやがて消えるかも知れません。

以下は抜粋です。


【小説】



失恋した女子高生・児嶋アリサのもとに哲学者ニーチェを名乗る男が現れる。以来、ニーチェをはじめキルケゴール、ショーペンハウアー、サルトル、ハイデガー、ヤスパースが現代の京都に現れ、哲学を教授してくれる日々が始まる…ニーチェの時には大胆に噛み砕きつつも外れてはいないという感覚だが、キルケゴールに至っては宗教的な部分を抜きにすると中身も失われた感が否めない。背景の異なる思考を伝える難しさよ。ただ、著者が自らの実存から、表面的な慰めでなく真の導きとして哲学を受け止めているのが伝わるのは好印象。読後感も良かった。


こういう「現代日本人に分かりやすい例で噛み砕いて説明された哲学解説」を見ると逆に、やっぱり西洋哲学には西洋的文脈が重要なのだなあ、と実感しますね。それはやはり一つには、キリスト教です。
キリスト教を厳しく批判して「神の死」を唱えたニーチェにせよ、独自の信仰の立場を確立しようとしたキルケゴールにせよ、どちらの方向についてもそれは言えます。が、やはりとりわけキルケゴールについては……という気がします。

……が、他方で、これが哲学解説書のコーナーに置かれているのではなく、(専門家ではない)「哲学ファン」を自称する著者の手によって書かれた小説である限り、これもいいのかな、とも思います。
著者が自分の人生の導きとして哲学を求め、自分の問題として受け止めていることがよく伝わる、それでいいではないでしょうか。
学問の題材として哲学書を読んでいるとかえって疎かにしがちなことだけに、なおさらです。

そもそも死者の魂が残って現世に帰ってくるという設定が彼らの哲学と相容れるのか、等という野暮なことも言いますまい(等と書いた時点で言ってしまっていますけれど)。




 (前巻のレビューを含む記事はこちら

現役中高生の相談に答える『読売中高生新聞』連載版の単行本化、これをもって今度こそ最終巻らしい。相談員は初期メンバーの3人のみ。ただ、書き下ろしの最終回を除いて1話4ページしかないため、あらぬ方向に話が転がって行くいつもの持ち味は弱め。毎回回答ページには別個のキャラ絵があり、あとがきにもイラストを使ってのネタありでイラストはやけに凝っている。随所にキャラのらしさも見られたので良しとするか。



【漫画】



 (前巻の記事

総大将ジシュカの裏切り、多くの女達も捕虜になり苦境のターボル軍。だが、娘を攫いにクマン人が街に潜入し、攫われたクローニャを助けるべくシャールカが動いたことから真冬の奇襲が始まる…多重の裏切り工作も成功し、最後は十字軍を国から追い出す勝利も戦争終結には至らず、さらに新たな内紛の影も。毎回不穏な影をちかつかせながら、それを振り払っての勝利を描いてきたが、どこで終局を迎えるのか…怖いながらも楽しみだ。女の戦いという点では、今回はクマン人の姫エドゥアとフランチェスカも、それに皇后バルバラの存在感も印象的だった。


今回、シャールカはついに親友を殺した犯人を知るのですが、それでもその相手を「憎む」方には向かいません。そもそも、敵に対しても憎しみで戦っている風ではありませんでした。けれども戦う力を欲し、優しくか弱い少女でありながらいくら傷付いても立ち上がる――そんな主人公シャールカの不思議な強さが魅力なのは、言うに及ばず。




『週刊文春』の連載、気になっていたがちゃんと単行本化されたか。前半は東京の漫画喫茶に泊まり込み、後半は伊豆の別荘での計3年間の生活を綴る日記漫画。行き逢った不快な人、変な人をしばしば怒りを交えて描くのはもはや芸風だが、後半は環境の変化により人が減って虫や齧歯類との戦いが増えていく。虫の擬人化が多かったのは人間の女性が足りないせいか。その中でも珍しく日記漫画でなかったナウシカネタには大笑い。場面に応じた絵の味の出し方も外さず、老練の味である。久々の単行本を読めて良かった。


ちなみにケース入りの装丁で判型は横長(短編綴じ)、表紙と裏表紙も漫画になっている――というか、普通に連載第1回が表紙に、最後の収録分である第150回が裏表紙に掲載されています。週刊連載150回でちょうど3年分。

前半はこんな感じでしばしば人と世間に怒りをぶつけ、

日々我人間7回

伊豆の別荘暮らしになった後半では、たとえば屋内に侵入するタイワンリスと戦ったりする日々(他にもムカデとの戦いが何話にも渡って続いたり)。

日々我人間87回
 (いずれもクリックで画像拡大されます)


【美術】



個人的にダリは昔から馴染み深い画家なので、こういうコンパクトな本に書かれることならばかなりのことは既知。ポイントは画家の著作も豊富に引用し、ダブル・イメージの指摘も親切な作品解説、それに様々な作風を模倣した初期から、夫婦仲も冷え切って不遇になった晩年までの包括的な記述だろうか。最盛期の細密描写を示すいくつかの拡大写真や、例外的に抽象的な遺作《ツバメの尾》の読み解きがあるのも良かった。



【科学】



相対性理論、量子力学、宇宙観の歴史、素粒子論、相対論と量子論の統一理論、熱力学、そして宇宙における人間の地位を題材とした7つの物理講義。「とくに中心的な」統一理論として超弦理論でなく自分の専門であるループ量子重力を挙げる辺りはこだわりか。ループ入門には手頃かも。反面、熱力学と時間については古典的な印象も。古典や歴史にも通暁した学識と簡素ながらも鋭さのある解説は流石。ただ、各項の説明は本当に初歩の初歩。ベストセラーとは裏を返せば、これだけ易しくないと売れないのか、と思わないでもない。


イタリアではジャンル別ではなく、全書籍でトップのベストセラーになり、「奇跡」と言われた一冊とのこと。それは凄いことです。
しかし、「売れる本とはこれくらい初歩的なもの」だというのを見せられた後だと、興味深い本を見るたび「でもこれじゃ売れるには専門的すぎるか……」と、自分と世間との落差を思い知らされそうです。
ちなみに、著者のロヴェッリは物理学者ですが、人文学にも豊富な教養を持つ人だとあとがきでも言われています。それは事実。しかしその面でも、本書に表れているのはほんの一端でしかないように思われます。何しろ、古代ギリシアの哲学者アナクシマンドロスに科学的思考の起源を見るという本を書いて、紀元前のミレトスの歴史を述べ、古典ギリシア語でアナクシマンドロスの断章を飲用したりしているのと見比べれば、分かります。




「単独の宇宙」「時間の包括的実在性」「数学の選択的実在論(反プラトニズム・反規約主義)」という三つのテーゼに基づき、部分を理解するための理論を全体へと延長する宇宙論的誤謬を乗り越え、宇宙全体を理解するための自然哲学を目指す、哲学者と物理学者の共著。哲学的時間論ではなく現代の物理学が直面する問題から時間の実在性を唱えるのが味噌。スモーリンの部がTime Rebornより専門的なのはともかく、アンガーの部は繰り返しが多くやや辛い。ただ数学の選択的実在論だけでも価値はあったか。とにかく重要な一冊なのは確か。



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ここ二週間ほどのこと

随分と長いあいだ、ご無沙汰してしまいました。なぜそうなったのか、という言い訳も今回の記事に含まれるのですが……

まず11月3日(祝日)、アルバイトで京都哲学会の手伝いに行ってまいりました。
ただ、看板などの案内に働いた後はほとんど受付で外に座っていたので、あまり忙しくない代わり、発表も聞けず。これが報酬の一環として懇親会にタダで参加できても先生方の話に入りにくい一因にもなりました。
なお報酬は5000円+懇親会への無料参加。1日で5000円ということは、1年間休みなしで働いて180万円のペース、最低賃金にも届きません。懇親会の食事代は本来ならばそこそこ高額なのでしょうが、タダでも一食は一食、食いだめができるわけでもありません。
研究者にとっては、学会参加自体は(分野が自分の関心に合っているならば)お金を払ってでもする価値のあるものですが、肝心の発表を聞けないならばその価値も激減。
他にいないので引き受けざるを得なかった手伝いですが、仕事としては微妙でした。目先の金に困っているならそれでもありがたいのかも知れませんが、残念ながら(?)今のところ金に困るところまでは来ていないので……

そもそもこの京都哲学会、京大の哲学において大変伝統のある会なのですが、今回は参加者もそれほど多くなく、懇親会に至ってはほぼ京大文学部の哲学系の先生方+アルバイト学生+発表者2人のうち1人だけというメンバーに。
そして、現在の責任者は前任者から、過去の発表者のリストもHPの管理方法も何も引き継いでおらず、HPで今年のプログラムを告知できなかったのもそのせいという衝撃の告白が。もはや実質別団体と化しています。

 ―――

翌4日(金曜)は演習に出た後、そのまま名古屋の実家に帰ることに。
というのも毎年恒例、母校である愛知県立芸術大学の芸術祭があるからです。
ただし、今年の芸術祭は(3日が祝日であるおかげで)3~5日という日程なので、4日夜に名古屋着の私が生けるのは最終日だけです。

去年は講義棟が改築工事中のため、講義棟の下に模擬店を出すことはできなかったのですが、今年はいつも通り、講義棟下の店舗復活です。
我が出身専攻の店も例年通りの場所で一安心。

芸術祭2016 (2)

ただ、今年は講義棟下が店舗で埋まっておらず、空きがありました。
こんなことは先例が思い当たらないのですが……その代わり、何もないところに屋根までデザインして建てている店舗が目立ったので、まあ出展者の希望の結果だったのでしょうか。

芸術祭2016 (3)

芸術祭2016 (4)

ただ、メニューに関しては気にかかることもありました。
たとえば、彫刻専攻の出している「大刻屋」など、かつては炊き込みご飯「大刻飯」が看板メニューだったのですが、数年前に保健所の指導で米を出すことが禁止になってからは麺になり、ついに今年はメインがお好み焼きになっていました。
日本画専攻の「ぽん」も、餅搗きが名物だったのですが、米の禁止により餅搗き廃止で切り餅になりました。
何十年も続いてきた伝統のメニューを保健所の一存でこんな風にすることが許されるのでしょうか。

さらなる問題は、米などというのは一番食中毒を起こしにくい食品で、禁止される理由がさっぱり分からない、ということです。
大学祭での主たる食中毒事件というと、名古屋大学のクレープ食中毒事件(2008年)がありましたが、クレープと米は関係ありませんし……
もう少し内容的にも時期的にも近いものというと、2010年に滋賀県K市の地区主催の餅搗き大会でノロウイルスによる食中毒が発生した、という一件でしょうか。
しかしこれも、まず指導すべきは手洗いの徹底であって、特に餅であったから、という話でしょうか。

これは保健所職員の医学知識の低下ではないか、「ゆとり世代」とかいって若い世代をバカにして「自分はまだ大丈夫だな」と安心するあまり勉強を怠っている間に、皆して知的水準が深刻なことになっているのではないか、と憂慮する次第です。
まあもちろん、保健所には医者がついているから、そんなことはないはずなのですが……しかしだったらなぜなのか、解せません。


展示ももちろん盛況ですが、撮影禁止のところも多いので。
そんな中、ちょっとユニークだったのは、講義棟内部のこれでしょうか。

芸術祭2016 (1)

廊下の真ん中に無意味な階段出現。

後は最大の見所と言ってもいいこれ、デザイン専攻の段ボール遊具。
今まで以上にたくさんの子供たちで盛況なのを見た気がします。
幼稚園児から小学校高学年まで年齢層も幅広く(兄弟で一緒に来ている場合、中学生くらいが混じる場合も)。

というか、大人も楽しみなくらいですから。回転遊具に乗った子供を転がすとか。

芸術祭2016 (7)

芸術祭2016 (5)

↓これは起き上がり小坊師のようなもの。一人で乗ろうとすると倒れてきますが、うまく乗って真ん中に体重をかければ大丈夫。
さらに複数人でバランスを取れば……ということでこんなに乗っても。
段ボールの強度に驚くばかりです。

芸術祭2016 (6)

 ―――

翌週は東京と関西にまたがって国際ベルクソンシンポジウムが開催されました。
私は10日木曜日には東京にも行って来ました。
シンポジウムは翌11日にもあったのですが、その日は大学の演習があるので、その日の夜には京都に帰ってきた……のですが、その帰りの道中辺りから体調が悪化。一時期は眠れないほど関節痛が酷いわ喉が荒れて声も出ないわで、大学は休むことにしました。そのために帰ってきたのに行かないとか、何とも噛み合いません。

12日土曜日は移動日で、13日日曜日に大阪大学で3日目が開催です。
2日間寝込んで療養した私は、13日には大阪に行ってきました。まだ咳はありましたが。17日現在で9割5分は回復といったところです。

↓こちらは去年のシンポジウム論集。今年の分も来年刊行される……んでしょうかね。



日本勢は研究者にはお馴染みのメンバーとして、海外勢ではまさにベルクソンの専門家としてカミーユ・リキエ氏が参加。彼の研究はさすがに大したものでした。
海外勢で昨年に続いての参加となったのはバリー・デイントン氏。彼を含め、今回のシンポジウムは分析哲学や脳神経科学といった他分野との比較参照にウェイトを置いていて、専門研究という点では色々と引っ掛かることもあります。しかし他方で、今まで英語圏では忘れ去られていたベルクソンを紹介する仕事は、尊敬すべきものでしょう。

 ―――

東京では国立新美術館のダリ展も観てきました。
まあ同じ展覧会は以前に京都市美術館でもやっていたので、その時に観ていれば良かったのですが、機会を逃したままで……

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2016年10月の読書メーター

先月の読書メーターまとめです。
22冊5156ページでした。

読書メーター2016年10月

大部分は漫画ですが、洋書を3冊読了できたのが成果でしょうか。
それがこのくらいのペースに留まっている原因とも言えます。

以下は抜粋。他の本は改めて取り上げるつもりがあるものもありますが、結局記事を書く余裕がないまま終わるかも知れません……


【ライトノベル】



 (前巻の記事

耳長族(いわゆるエルフ)の村に招待されたエルネアとミストラル。そこで登場する第三の嫁候補? は耳長族の幼女プリシア。そこに猫モドキのニーミアも加わり、前半は賑やかながら平和。後半、戦巫女ルイネイネのお使いの旅にエルネアが同行することになってから、ようやくバトル展開も。竜人族との揉め事は当然想定されたが、直接ミストラル絡みではなく背後にもっと大きな騒動がありそうな展開。そして、ここでも女性陣が協力してハーレムへの道を敷くことがハーレムの条件なのか。エルネアの着実な成長は描かれているが、多分道は遠い。


ハーレムについての論は他作品で展開したので割愛。
今巻の前半は新ヒロインとして耳長族の幼女プリシアを加えての割と平和な日々、後半は1巻から主人公に好意を寄せている様子の描かれていた戦巫女ルイセイネの意外な能力が判明、一気に重要な味方メンバーに浮上、と同時にミストラルと手を取り合ってハーレムルートという内容でした。
なお、勇者リステアの出番は一気に巻末付録エピソードのみに後退。




森川瑠璃は幼い頃から篠宮あさひに付きまとわれて迷惑していたが、ある時あさひと同級生4名と共に異世界に召喚される。そこでも疎まれて森に追放と不遇な目に遭う瑠璃だが、実は精霊達に好かれる「愛し子」であることが判明。そして何の因果か猫に変身する腕輪を嵌めて竜王の城で暮らすことに…。国をも滅ぼせるチート能力ゆえにかえってその制御に苦心し、考えなしに戦争を目論む弱小国を止められずに苦労する様が深刻だが楽しい。そして瑠璃と竜王の、互いに惹かれ合いながら猫になっていて正体に気付かないすれ違いの恋愛が本筋かな。


アリアンローズの新作です。
竜王ジェイドは女性としての瑠璃に惹かれながら、目の前の白猫の正体が彼女とはつゆ知らず、瑠璃も自分を探しているという男がジェイドとは知らず。
お互いに惹かれ合いながらすれ違う男女……はラブコメの基本でしょう。


【学術書(洋書)】



「言語に対してもっとも批判的な哲学者こそ、もっとも上手く書く哲学者である」―言語は持続を表現できないと批判するベルクソンは、それでも持続を表現すべくいかに言語を用いたのか。ソシュールとの比較からベルクソンの批判はランガージュよりむしろ「ラング」に該当すると論じ、後半はベルクソンの文体分析を通してその哲学者としての言語使用を解明。最初のカントやフッサールの時間論との比較はやや形式的で、そこがソシュールとの比較にも不安を感じさせるが、ベルクソンの言語論研究としては興味深いものの一つ。


まあ「誰それにおける○○」という、専門家以外は読まない「研究書」の典型ではありますが。




物理学はつねに永遠不変の法則を求め、時間を排除してきた。とりわけ時間を第四の空間軸として記述するニュートン以降は。だがその考え方を全宇宙に適用することはできないし、「なぜこの法則なのか」の問いにも答えられないと見なす著者は時間の実在性の復権と、その中で法則も進化してきたという「宇宙論的自然選択」を提唱。哲学的には共同研究者アンガーの影響らしいが、ベルクソンとも多くが呼応する。その上で物理学者として反証可能な仮説を立てており、実に興味深い。最後は時間の実在性から社会論にも結びつく辺り、やはりベルクソン的。


著者のリー・スモーリンは理論物理学者ですが、哲学の学識もあり、『迷走する物理学』では「科学とは何か」を考察して学界のあり方についても提言するなど、優れた教養の持ち主です。
本書はブラジル出身の哲学者ロベルト・マンガベイラ・アンガーとの共著である『The Singular Universe and the Reality of Time(単独の宇宙と時間の実在)』への導入編のような扱いとのこと。
「時間の哲学」と現代哲学の対話可能性という、私自身の関心事にも深く関わる内容で、非常に興味深い一冊でした。



H.G.ウェルズの『タイムマシン』で始まった「タイムトラベル」という新しい想像力の形、その原型から現在に至る展開まで。タイムトラベルSFの主要作品を取り上げつつ、哲学者による議論や物理学の関連トピックも絡めて話を展開。科学史ライターの著者が現実には不可能な話題で書くとは? と思ったが、この不可能事を人々がいかに(時に真面目に)論じてきたか分かって面白い。最新の作品や議論(最近読んだものも)への言及もあって良かった。ただ一般向け読み物故か、引用の正確な出典を示していないのが残念。


なぜか日本のAmazonだとハードカバーのISBNでKindle版のページに飛ぶ上、ハードカバーは来年発売予定になっているのですが……
なおカバーの右下には「A HIstory」とあり、アメリカのAmazon.comでは『Time Travel: A History』までがタイトルでした。『タイムトラベルの歴史』という感じでしょうか。
タイムトラベルという現実には実現されていないものの歴史とはこれいかに……と思いますが、もちろんタイムトラベルを巡る思考と言説の歴史です。日本語でこのタイトルの本が店頭にあったら……悩むところです。
普段から学術書ばかり読んでいると、小説表現の引用が多い本書のようなものはやや読みづらくはありますが、しかし面白いものでした。


読んだ本の詳細は追記にて。

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T.Y.

Author:T.Y.
愛知県立芸術大学美術学部芸術学専攻卒業。
2012年4月より京都大学大学院。

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